126 どれだけ歪に見えても
公爵邸に向かう馬車に乗り込んでからも、ジェラールの過保護は留まることを知らなかった。
「振動が体に障るといけない」といういまいちよくわからない理論の下に、オルタンシアは座席ではなくジェラールの膝の上に座らされている。
互いの体温が混ざるほどぎゅっと密着した体勢に、オルタンシアの鼓動は早鐘を打つ。
(うぅ、心臓の音がお兄様に伝わっちゃったらどうしよう……)
「不整脈……? 怪我の後遺症か」と、ますますジェラールが過保護になるような展開は避けたいのだ。
「あの、お兄様……私、本当に大丈夫ですから!」
そう主張はしてみたが、ジェラールが解放してくれるはずもなかった。
「お前は病み上がりだ。無理をして怪我が悪化したらどうする」
「お医者様だって元の生活に戻って大丈夫だって言ってくださいましたし! お兄様だっていつまでもこうしているわけにはいかないでしょう?」
オルタンシアとしてはもっともなことを言ったつもりだが、ジェラールは「意味が分からない」とでも言うように目を瞬かせた。
「俺としては、いつまででもこの対応で問題ないが」
「わっ、私の方には問題があるんです!」
オルタンシアはもう小さな子どもではないのだ。
ジェラールが心配してくれるのは嬉しいが、いつまでも彼の手を煩わせるわけにはいかない。
そのようなことを言いたかったのだが、不意にジェラールの手が伸びてきて言葉を飲み込んでしまう。
「お前は」
ジェラールの指先が、そっとオルタンシアの側頭部を撫でる。
形を確かめるような、慈しむようなその手つきに、オルタンシアの鼓動は更に早まる。
「……嫌なのか」
一瞬、ジェラールが何のことを言っているのかわからなかった。
だがすぐに、先ほどの話の続きだと察する。
(……ずるい)
オルタンシアは頬を染めて俯いた。
だって、そんな風に言われてしまったら。
……拒絶なんて、できるはずがない。
(だって、嫌じゃないんだもの)
ジェラールに過剰なほど大切にされるのは、恥ずかしかったり情けなかったりするのだが……決して、嫌ではないのだ。
だからこそ、困っているというのに。
「わ、私がどう思うかよりも、お兄様の迷惑になっているんじゃないかと思って……」
俯いたままぼそぼそとそう言うと、ジェラールの手がぴたりと止まる。
驚いて顔を上げると、こちらを見ていたジェラールと至近距離で目が合う。
その途端、オルタンシアは時間が止まったように動けなくなってしまう。
そんなオルタンシアに言い聞かせるように、ジェラールはゆっくりと言葉を紡いだ。
「俺は、自分がしたいからしているだけだ」
端的な言葉だったが、その意図は十分にオルタンシアに伝わった。
つまりはわざわざ階段を降りる際に抱き上げるのも、馬車の振動を軽減させようと膝に乗せるのも、すべてはジェラールがそうしたいからしている。
ただそれだけのことなのだ。
「っ……!」
オルタンシアは今度こそ真っ赤になって俯いた。
そんなオルタンシアに追い打ちをかけるように、頭上からジェラールの声が降ってくる。
「わかったか」
「…………はい」
オルタンシアにできたのは、小さな声で了承してこくんと頷くことだけだった。
(お兄様には勝てないなぁ……)
ジェラールがオルタンシアのことを大切にしてくれるのは嬉しいが、あまりに過剰な扱いはよくないとわかっている。
だが……彼の想いを拒絶なんてできるはずがない。
ジェラールがそうしたいというのなら、オルタンシアには受け入れるという選択肢しかない。
たとえそれがどれだけ歪に見えても、ジェラールがよければそれでいいと思ってしまうのだ。