125 お兄様のお迎え
「こうしてお元気になられて安心しました、オルタンシア様」
「私たち、ずっと神殿でお祈りしていたんです! オルタンシア様がよくなりますようにって」
「えへへ。エミリー、ジャネット、ありがとう」
友人たちの優しい気遣いに、オルタンシアはにまにまと頬を緩ませた。
魔神――リュシアンの野望はジェラール(と、一応オルタンシア)の尽力により潰えることとなった。
王家からの叙勲だのなんだのと事後処理がいろいろあったが、ようやくオルタンシアの周辺も落ち着きを取り戻し、もとの穏やかな日常に帰りつつある。
今日は友人エミリーの邸宅でのお茶会だ。
「それで、例の侯爵令息とはどうなったの?」
「聞いてくださいオルタンシア様! エミリーったら私たちを置いて大人の階段を――」
「ちっ、違いますオルタンシア様! まだそんな段階じゃ――」
茶化すジャネットと真っ赤になって慌てるエミリーを眺め、オルタンシアはくすりと笑う。
「よかった、うまくいってるんだね」
「あの、今のところは……。それよりも、ジャネットだって若き実業家の方とデートされたと聞きました」
「もぉ、あれはデートじゃないって。ただの市場視察よ」
(わぁ、二人とも進んでる……)
社交界デビューからずっと一緒だった二人は、オルタンシアよりも先に一回り成長を遂げつつあるようだ。
「恋愛、かぁ……」
オルタンシアがぽつりとそう呟くと、二人は同時にこちらを向いた。
「神託によればオルタンシア様はヴェリテ公爵家から出られないんですよね? お婿さんを募集ですか?」
「きっと国中の殿方が殺到します……」
「あはは、残念だけど今のところその予定はないよ。まずは私よりお兄様だし」
――『オルタンシア・アルティエル・ヴェリテは神に愛されし子。その輝きはヴェリテ家にありてこそ真価を発揮する。英雄と聖女が手を取り合う限り、この国は祝福に包まれるであろう』
女神様がジェラールの気を静めるために出した(とオルタンシアは思っている)神託は、既に人々の知るところとなっている。
だがその内容については、オルタンシアですら解釈に迷っているのだ。
とりあえずヴェリテ公爵家から動くなということはわかるが、二人の言うように婿を取ることも可能なのだろうか。
(まぁ、今のところはそんな予定ないんだけどね)
オルタンシアにとって何よりも大切なのは、大好きな兄や父の幸せだ。
少なくとも義兄ジェラールが心を許し、支えあえるような相手を見つけるまでは、自身の結婚相手を探すつもりはない。
(お兄様にもそんな相手が、いつか現れるのかな……)
社交界に出るようになってあらためて感じたが、世の女性たちからジェラールは絶大な人気を誇っている。
どれだけ冷たくされても、彼の視界にすら入らなくとも、彼女たちはジェラールに熱狂せずにはいられないのだ。
ジェラール目当てでオルタンシアに近づいてくる者だっている。
父や兄は表には出さないが、きっと縁談の申し入れだって数知れないだろう。
その中には、ジェラールに似合いの相手もいるかもしれないが――。
「お兄様とお似合いの相手ってどんな感じだろう……」
オルタンシアがそう呟くと、ジャネットとエミリーは再び同時に視線をよこした。
オルタンシアは二人の意見を待ったが、二人は何も言わなかった。
まるで、視線だけでわかるだろうと言うように。
「……私の顔に何かついてる?」
「いえ、そうではないのですが……」
「ジェラール様にお似合いの相手というと、やっぱり――」
ジャネットが何か言いかけた時だった。
コンコン、と控えめに扉をノックする音が聞こえ、控えていた使用人が対応する。
「エミリーお嬢様。ヴェリテ公爵家よりオルタンシア様のお迎えが到着されました」
「あっ、今日はお医者様がいらっしゃる日だった……!」
すっかりそのことを忘れていたオルタンシアは慌てて立ち上がる。
久しぶりの友人たちとの再会に、それこそ時間を忘れて楽しんでしまった。
だが足を踏み出そうとしたとき、扉の向こうに現れた人物を見てオルタンシアは仰天してしまった。
「お兄様!?」
そこにいたのは、間違いなくオルタンシアの義兄――ジェラールだった。
忙しい彼がわざわざやってくるなんて、何か非常事態でも起こったのだろうか。
「お兄様、いったいどうなさったのですか!? 何か――」
慌てて問いかけるオルタンシアに対し、ジェラールの返した答えは非常にシンプルなものだった。
「お前を迎えに来た。それだけだ」
「えっ……えぇ!?」
そんなまさか、オルタンシアを迎えに来るなんて使用人に任せておけばいいのに。
次期公爵である多忙なジェラールが、わざわざそれだけのために時間を割くなんて!
「帰るぞ」
「あっ、はい……。エミリー、ジャネット、急にごめんね。今日は――」
「いえいえ、私たちのことはお構いなく~」
「とても楽しい時間を過ごさせていただきましたわ、オルタンシア様。近いうちにまたお会いできれば――」
「うん、次はうちのお屋敷にも来てね!」
ジェラールに手を取られ、オルタンシアは慌てて友人たちに別れの言葉を告げた。
「ごめんなさい、お兄様。私すっかりお医者様の来訪の予定を忘れていて――」
「別に問題ない」
いつもながらに端的なジェラールの言葉から彼の真意を読み取るのは難しいが、きっとこれは怒っているんじゃないだろうな、とオルタンシアはほっとする。
今のジェラールが纏う空気は柔らかく、こちらの様子を伺う目は穏やかな色を宿している。
オルタンシアはこれでも、ジェラールの表情や纏う雰囲気から彼の感情を少しずつ読み取れるようになってきたと思っている。
それこそ、「お兄様検定」があったら余裕で合格できると自負しているくらいには。
つまり、今の「別に問題ない」という言葉は、本当に問題ないということを伝えたいだけなのだろう。
(ふふ、嬉しいな)
なんだかぽかぽかした気分で歩いていると、屋敷のエントランスへと続く大階段へと差し掛かった。
オルタンシアはそのまま階段を降りようとしたが――。
「待て」
「えっ? ……ひゃあ!」
急に制止されたかと思うと、ふわりと体が宙に浮かぶ。
何の脈絡もなく、突然ジェラールに抱き上げられたのだ。
「お、お兄様ぁ!?」
「何だ」
真っ赤になるオルタンシアに対して、ジェラールは相も変わらず平然とした顔をしていた。
「何だって……何でいきなり抱っこしたんですか!?」
「お前が階段から落ちる危険性がある」
「私そこまでおっちょこちょいじゃないですよ!?」
「少し前まで臥せっていたんだ。まだ本調子ではないだろう」
「でも、だからって……」
もごもご言っている間に、ジェラールはさっと階段を降り始めてしまった。
伯爵家の使用人たちの視線がこちらに集中しているのを感じ、オルタンシアは恥ずかしさのあまりぎゅっとジェラールの肩口に顔を押し付ける。
(うぅ、小さい子どもみたいで恥ずかしい……)
オルタンシアは既に社交界デビューを果たした一人前の女性だ。
それなのに、こんな風に扱われては……周囲に示しがつかないではないか。
(お兄様が心配するのわかるけど……)
魔神騒動の際にオルタンシアは大怪我を負い、一時は生死の境を彷徨った。
今は無事に回復し元通りの生活を送れるようになったが、あれからジェラールは前にも増して過保護になってしまったのだ。
オルタンシアが何度「もう大丈夫です」と言っても、いまいち信じてもらえないのである。
(お兄様からしたら、私ってまだまだ子供に見えるのかな……)
なんとなく釈然としない思いを抱きながら、オルタンシアはせめて落ちないようにぎゅっとジェラールの首にしがみ着いた。
……一方、その様子を陰からこっそり見守っていたエミリーとジャネットは互いに囁きを交わすのだった。
「やっぱり、ねぇ」
「そうですよねぇ……」
「ジェラール様に似合う方なんてオルタンシア様以外にいないし」
「オルタンシア様にお似合いなのもジェラール様だけですよね……」
オルタンシアが「子ども扱いされて恥ずかしい」と照れていた場面も、傍からは美貌の貴公子が恋人を溺愛しているようにしか見えないのである。
「オルタンシア様はああ言っていたけど、実際ジェラール様にオルタンシア様以外のお相手ができたらショックかも」
「ふふ、でもきっと大丈夫ですわ。ジェラール様がオルタンシア様以外の方に隣を許すとは考えられませんもの」
「それは確かに……」
階段を降り切っても抱き上げた体勢は変えないままに、ジェラールとオルタンシアはエントランスから屋敷の外へと出て行く。
そんな二人の背中を見送り、エミリーとジャネットは「ほぅ……」とその絵画のような光景に感嘆のため息を漏らすのだった。
大変お待たせいたしました。第二部の始まりです。
オルタンシアとジェラール、二人の関係が大きく変わっていく様子を見守ってくださると嬉しいです!
また、本作の書籍版が12月2日に発売予定となっております。
コミカライズの山いも三太郎先生が書籍版でもイラストを担当してくださり、あっと息をのむような素敵なイラストが堪能できます!
コミカライズの最新9巻も12月末ごろに発売予定です。
いよいよクライマックスに近づき心が揺さぶられるようなシーン満載なので是非チェックしてください!