124 ここがお前の居場所だ
「はぁ、疲れたぁ……」
うららかな日差しが差し込む午後、オルタンシアは忍び足で公爵邸の廊下を歩いていた。
なぜ自宅でもある公爵邸でこそこそしているかというと、パメラを始めとするメイドたちから逃げているのである。
きっかけは、ヴィクトル王子を救った功績を称えるという名目で、ジェラールとオルタンシアに王家から叙勲を行うと通達があったのである。
ジェラールは嫌そうな顔をしていたし、オルタンシアはジェラールの足を引っ張っただけの自分が叙勲などとは畏れ多いと震えあがった。
そんな二人を説得したのは、やっぱり父である。
「王家としても、ヴェリテ公爵家との友好関係を大っぴらに見せておきたいのだろう。二人とも思う所はあるだろうが、ここはいざという時の王家への発言力を強めるためにも出席した方がいいだろうね」
父にそう言われてしまっては、反対することなど出来るはずがない、
というわけで、オルタンシアは久方ぶりに公の場に顔を出すことが決まったのだが――。
「皆の者、お嬢様の晴れ舞台ですよ! 我らの手で、お嬢様を聖女の名にふさわしい完璧な淑女に仕立て上げるのです! 心してかかるように!」
「はい!」
オルタンシアの心中とは裏腹に、メイドたちが張り切りすぎてしまったのである。
オルタンシアの体に消えない傷が残ると知らされた時、我が事のように号泣したメイドたちだ。
これからもオルタンシアが真っすぐ前を向いていけるように、尽力してくれているのだろう。
それは有難い。有難いのだが……。
さすがに、何日も何日も着せ替え人形のように衣装をとっかえひっかえされ、エステだのマッサージだのを施され続けると逆に疲れてくるものだ。
かくして、オルタンシアは「ちょっと気分転換にお散歩してくるね」と書置きだけを残して、つかのまの逃避行を決行したのである。
もちろん、メイドたちを心配させたくはない。
少し気分転換したら、すぐに戻るつもりだ。
人目につかないようなルートを辿りながら、オルタンシアは庭園へと足を踏み出す。
「あ、シャングリラの花……」
他ではお目にかかれない希少な花は、今日も公爵邸の庭で美しく咲き誇っている。
……公爵邸に来て間もない頃、オルタンシアがこの花を好きだと勘違いしたジェラールが、大量に取り寄せたのだ。
その時のことを思い出し、オルタンシアはくすりと笑う。
「ここにいたのか」
その時、急に背後から声が聞こえ、オルタンシアは驚いて飛び上がった。
「お兄様!」
振り返れば、ジェラールがいつもの無表情でこちらへ近づいてくるところだった。
「メイドたちがお前を探していた」
「あはは……もう少ししたら戻ります。ちょっとここで休憩してたんです」
ジェラールはオルタンシアとシャングリラの花を交互に眺め、納得したように口を開く。
「お前は本当にこの花が好きだな」
「そ、そうですね! シア大好き!」
昔のことを思い出していたからだろうか、条件反射でぶりっ子モードになってしまったが、ジェラールは特に不審には思わなかったようだ。
「わかった。もっと増やすように手配をする」
「あー! それは大丈夫です!! あんまり増えすぎるとありがたみがなくなるというか……」
「……そういうものなのか」
ジェラールが思い留まったようなので、オルタンシアはほっとした。
確かにシャングリラの花は好きだ。
何より見た目が美しいし、爽やかな香りは心を洗われるよう。
それに何より――。
(お兄様が、私のために植えてくれた花だもんね……)
これは、まだぎこちなかったオルタンシアとジェラールを繋いでくれた花。
だからこそ、よりいっそう愛おしく思えるのだ。
「そういえば、お兄様は叙勲式の準備は進んでますか?」
「特にこれといって準備をすることはない。普段通りに臨むだけだ」
「わぁ……さすがはお兄様」
オルタンシアは尊敬の念を込めて、目の前の義兄を見上げた。
ジェラールはじっとどこか遠くを見つめていた。
その姿が、オルタンシアには眩しく感じられる。
(私……少しはお兄様の役に立ててるかな)
魔神の脅威が去ったとはいえ、ジェラールが多くの重荷を背負う大変な立場であることは変わらない。
一度目の人生で、父が突然この世を去ったことも忘れてはならない。
(私が、二人を守るんだ)
あらためて心にそう誓い、オルタンシアはジェラールと同じ方を向く。
「そういえば、お兄様……覚えてますか? 昔、お兄様が言ってくださったんです。ここが、私の居場所だって」
あの時のことは、今でもはっきりと覚えている。
きっと生涯、忘れることはないのだろう。
「私……すごく嬉しかったんです」
他ならぬジェラールにそう言ってもらえたことが。
一度目の人生では手の届かなかった場所に来られたのが。
今でも、オルタンシアにとっては宝物のような思い出だ。
「だから……ひゃっ!?」
言葉の途中で急激な浮遊感を覚え、オルタンシアは素っ頓狂な声をあげてしまう。
その原因はすぐにわかった。
ジェラールが突然、何の予告もなく、オルタンシアを抱き上げたのだ。
「お兄様ぁ!?」
「……俺も、よく覚えている」
「あ……」
オルタンシアはやっと、ジェラールの意図を察した。
あの時も、ジェラールはこうしてオルタンシアを抱き上げてくれた。
あの頃に比べるとオルタンシアも大きくなったが、ジェラールは今でもこうして軽々とオルタンシアを抱き上げてくれるのだ。
(ずっと、このままでいられるのかな……)
不意に、そんな一抹の不安が胸をよぎる。
今はこうして幼い頃のように接してくれるジェラールだが、いつかはオルタンシアと距離を置く日が来るかもしれない。
少しずつ彼の氷は解け、心の隙間は埋まり始めている。
そう遠くない未来に、彼がオルタンシアではない別の者の手を取る日も来るのかもしれない。
そんな日が来たら、オルタンシアは妹として兄の幸せを祝福するべきだろう。
そうわかってはいるのだが……。
(ちょっと、悔しいな……)
そんな身勝手な思いが押し寄せ、オルタンシアはぎゅっとジェラールに抱き着いた。
ジェラールは無言でオルタンシアを抱きしめ返してくれる。
「……忘れるな、シア。ここがお前の居場所だ」
「はい、お兄様」
今は……今だけはオルタンシアはジェラールの一番近くにいられる。
だからもう少しだけ、彼の優しさに甘えてしまおう。
寄り添う二人を見守るかのように、公爵家の庭園に温かな風が吹き抜けていった。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
ひとまず最初に考えていたところまで来れましたので、ここで第一部完!みたいな感じになります。
とはいえまだまだ書き切れていない部分が多いので、しばらくお休みをいただいてから続きを投稿予定です。
コミカライズは絶賛連載中ですので、そちらを楽しみながらお待ちいただけますと幸いです。
ぜひぜひここまでの感想など書き込んでいただけると嬉しいです!
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