121 責任を取らせてくれ
「こうして会えてよかった、シア……」
「……王子殿下も、ご無事で何よりです」
現在、オルタンシアは公爵邸の庭園でヴィクトル王子と向かい合っている。
オルタンシア自身も、彼と話すことを望んだからだ。
最初に、パメラが「ヴィクトル王子が訪ねてきている」ということを口にした時、ジェラールは荒れた。
「なんだと……?」
「ひっ!」
一瞬にして極寒の猛吹雪のような恐ろしいオーラを身にまとったのだ。
真正面からジェラールの怒気に宛てられたパメラは、へなへなとその場にへたり込んでしまったくらいだ。
これにはオルタンシアも驚いた。
この件に関しては、ヴィクトル王子は完全な被害者だ。
だから、なぜジェラールがそこまで怒るのかわからなかったのである。
「お、お兄様、落ち着いてください……!」
とりあえずパメラを救出しなければ……と、オルタンシアはジェラールの注意を自分へと向ける。
「ヴィクトル王子はきっと私たちのことを心配して来てくださったんですよ」
「……お前は療養中で見舞いには対応できないと話は通してある。それにも関わらず、王家の権威を笠に着て無理を押し通すような真似は――」
「あ、あの、それが……ヴィクトル王子は王家としての公式訪問ではなく、あくまで秘密裏にいらっしゃったようで……」
「えっ?」
今にも泣きだしそうな顔でパメラが口にした言葉に、オルタンシアは思考を巡らせる。
(それって、王家としてじゃなく個人的に来てくれたってことだよね)
ただでさえ誘拐された直後なのだ。
きっと、ここへ来るだけでも大変だっただろう。
だがそれでも、彼はここに来た。
自分のせいでオルタンシアやジェラールが大変な目に遭ったことを心配してくれたのか、それとも何か別の意図があるのか……。
「わかった、会いに行くわ」
そう言ってベッドから立ち上がると、すぐにジェラールに肩を掴まれた。
「……すぐに追い返す。お前はここにいろ」
「いいえお兄様。私がヴィクトル王子に会いたいんです」
「っ……!」
まるで爪が食い込むかのように、オルタンシアの肩を掴むジェラールの指先に力がこもる。
だが、オルタンシアだって負けてはいなかった。
「大丈夫です、ほんの少しお話をするだけですから。……そうね、パメラ。庭園でお話をする準備を整えてもらえるかしら。お話の最中は、少し離れたところに待機してもらえる?」
「し、承知いたしました!」
オルタンシアの指示を受け、パメラは慌てたように走り出す。
その背中を見送り、オルタンシアはジェラールに向かってにっこりと微笑んでみせた。
「お兄様も、心配なら少し離れたところで見守っていただいて構いませんよ?」
「……強情だな」
肩を掴むジェラールの指先が少しずつ緩んでいく。
どうやら今回は、オルタンシアの粘り勝ちのようだ。
「……私もヴェリテ家の一員。お兄様の妹ですから!」
そう言うと、ジェラールは少しだけ困ったような顔をしていた。
(……でも、お兄様は近くにいないようね)
ちらりと周囲に視線を走らせると、向かい合うオルタンシアとヴィクトル王子から少し離れたところ――おそらく会話が聞こえない程度の場所にパメラを始めとするヴェリテ公爵家の使用人、それにヴィクトル王子の侍従と思わしき人物が控えている。
オルタンシアはてっきりジェラールに見張られるものかと思っていたが、どうやら彼は引いてくれたようだ。
案外これでよかったのかもしれない。
彼の視線を受け続けた状態では、きっとヴィクトル王子の話もまともに頭に入らないだろうから。
「まずは……ありがとう、シア。僕が目覚めた時にはすべてが終わっていたけど、君とジェラールのおかげで僕の命が助かったと聞いたよ」
「……臣下として当然のことです、殿下」
申し訳なさそうな表情を崩さないヴィクトル王子に、オルタンシアはそっと微笑んでみせる。
……彼がこうして無事だったことを、オルタンシアは心から喜ばしく思っている。
一度目の人生のあれこれを考えるとあまり接触したい相手でないのは確かなのだが、オルタンシアは彼のことが嫌いなわけではない。
「まさかリニエ公爵が王位簒奪を目論んでいたなんて……君とジェラールがいなければ、僕だけじゃない。国中を巻き込んだ大きな争いが起こっていたことだろう。君たちは国を救った英雄だ」
「そんな……」
真正面からそんなことを言われ、オルタンシアは恥ずかしさといたたまれなさを味わった。
彼が今口にしている手柄はそのほとんどがジェラールによるものであり、オルタンシアといえば「お兄様が魔神に乗っ取られちゃう!」と早とちりして、よくわからないままに乗り込んだに過ぎないのだ。
(まぁ、そのあたりは黙っておこう……)
オルタンシアが内心でそんなことを考えているとは露しらず、怪我一つなかったはずのヴィクトル王子はひどく痛みに耐えるような顔をしていた。
「……僕を救う際に、君が大怪我を負ったと聞いた」
「そんな、たいしたものでは――」
「シア、嘘はつかないでくれ。君はその怪我のせいで生死の境を彷徨い、完治しても傷跡は残るってことも僕は知っているんだ……!」
……全部、知られていたようだ。
できることなら、彼には知られたくなかった。
自分のせいだと、自らを責めるようなことはしてほしくなかったのだ。
リュシアンに胸元を刺された際の傷は、今もはっきりとオルタンシアの体に残っている。
医師の見立てでは、完治しても傷跡は残るだろうということだった。
これでは名実ともに傷物になってしまったとオルタンシアは自嘲したが、思ったよりショックはなかった。
「……王子殿下を救うことができたのですから、名誉の負傷です。あの、本当に私、そこまで傷のことは気にしてないから大丈夫ですよ」
オルタンシアは何度もそう言ったが、ヴィクトル王子は俯いたまま泣きだしそうな表情をしていた。
かと思うと、彼は勢いよく顔を上げて真っすぐにオルタンシアを見つめる。
「……シア」
彼の目は、今までに見たことないほど真剣な色を帯びていた。
初めて出会った時の、いたずらっぽく光る少年の瞳とは違う。
立派に成長を遂げた、大人の男の目をしていた。
「こんな言い方はずるいかもしれないけど、責任を取らせてくれ」
その瞬間、時間が止まったような気がした。
「……君に、結婚を申し込みたい」