120 オルタンシアのお願い
「でもお兄様、本当に変わったんですよ? 昔の私が今のお兄様を見たらショックで気絶しそうなくらいに!」
時間が経ち、二人は自然と体を離した。
だが、その後に訪れたのは……猛烈な恥ずかしさだった。
(うぅ、お兄様を元気づけるためとはいえ「可愛い妹」なんて言っちゃったし、恥ずかしい……)
どんな顔をして、何を言えばいいのかわからず……オルタンシアは少し怒っている振りをしているのだった。
「前の時なんて、『俺は一度たりともお前を妹だと思ったことはない』って言って……私、けっこう傷ついたんですからね?」
まるで茶化すようにこんなことを言えるようになったのも、大きな進歩かもしれない。
やはり、話してよかった。
オルタンシアは心からそう感じた。
「まぁ、あの時のお兄様に取って私は、得体の知れない怪しい子どもでしかなかったし、妹だと思ってもらえなかったのは仕方ないけど――」
「いや」
言葉の途中で、ジェラールの声が割って入る。
驚いて顔を上げると、ジェラールは真っすぐにこちらを見つめていた。
「俺が、お前を妹だと思っていないと言ったのは――」
どくり、と心臓が大きく音をたてた。
ジェラールの次の言葉を聞くのが怖い。だが、聞いてみたい。
期待と不安をその目に宿して、オルタンシアはじっとジェラールを見つめる。
だが――。
「…………いや、なんでもない」
なぜか、ジェラールはいつも真っすぐな彼らしくもなく言葉を濁したのだ。
「な、なんでもなくはないですよね!? 教えてください、お兄様!」
オルタンシアは慌ててそう言い縋ったが、ジェラールの口は貝よりも硬かった。
「何を言おうとしたのか忘れた」
「そ、そんな嘘には騙されませんよぉ!? 大丈夫です、何を言われても私、傷つきませんから!」
「だから忘れたと言っているだろう」
「お兄様、普段嘘つかないから嘘が下手すぎです!!」
ぷくぅ、と膨れるオルタンシアに、ジェラールはため息をつく。
「……今は、お前のことを大切な家族だと思っている。それでいいだろう」
「むぅ……」
なんだかうまく丸め込まれたような気がして、ついつい不満な声が漏れてしまう。
だが、内心は不満よりも嬉しさで溢れている。
ジェラールはオルタンシアのことを「大切な家族」だと言ってくれたのだ。
だからついつい、調子に乗って……口が滑ってしまった。
「……じゃあ、お願いがあります」
ぼそりとそう口にすると、ジェラールはじっと言葉の続きを待っているようだった。
そこまで注目されるとなんだか恥ずかしくなってくるのだが……意を決して、オルタンシアは口を開く。
「私のこと……シアって呼んでもらえませんか……?」
そう口にした途端、ジェラールは驚いたように目を丸くした。
その反応が恥ずかしくて、オルタンシアは自然と早口になってしまう。
「……ママが、昔そう呼んでくれていたんです。だから、その、あの……」
親しみを込めてそう呼んでほしい。
きっと、呼ばれるたびに彼と家族になれたのだということを再確認できるから。
……さすがに、そこまでは恥ずかしくて言えなかった。
(うぅ、さすがに馴れ馴れしすぎだよね……。お兄様だって、呆れてるかも……)
名門貴族の跡取りとして育てられた彼に、まるで分別の付かない庶民のようなお願いをしてしまった。
そう思うといたたまれなくて、オルタンシアは慌てて「やっぱりいいです!」と口にしようとした。
だが、その前に――。
「…………シア」
ジェラールは、はっきりとそう口にした。
その響きを聞いた途端、オルタンシアの胸中に、溢れんばかりの歓喜と懐かしさが渦巻いた。
「何を言い出すかと思えば、そんなことか。このくらいなら別に構わない。
「…………ありがとうございます、お兄様」
気を抜けば嬉しさに泣いてしまいそうだったが、それでもオルタンシアは精一杯の笑みを浮かべてみせた。
そんなオルタンシアを見て、ジェラールが何かを言おうと口を開きかける。
だがその時、部屋の扉をノックする音が響いた。
「お嬢様、ジェラール様、お取込み中失礼いたします。至急ご対応いただきたいことが――」
聞こえてきたのは、オルタンシアのお付きのメイドーーパメラの声だ。
「……何だ」
途端にジェラールが機嫌の悪そうな声を出したので、オルタンシアは慌ててパメラに声をかける。
「ありがとう、パメラ! 入っても大丈夫よ!」
すぐに、おろおろとした様子のパメラが部屋の中へと足を踏み入れた。
「……用件は」
「あ、あの、それが……お嬢様に来客がございまして――」
「オルタンシアは療養中だ。全ての来客には応じられないと命を出しているはずだが」
「そ、そうなのですがっ……」
苛立ちを隠そうともしないジェラールに、パメラは明らかに怯えた様子だ。
「お兄様、パメラを怖がらせないでください! パメラ、わざわざ知らせに来てくれたってことは、イレギュラーなことが起こったのよね?」
ジェラールを牽制しつつパメラを宥めると、パメラははっとしたように頷いた。
「はい、お嬢様。今お越しになっているのが――」
パメラはすぅ、と息を吸うと、意を決したように来客の名前を告げた。
「ヴィクトル王子殿下なのです」