114 約束したのに
「これはお見事。まさかあれを吸収してしまうとは。さすがはお嬢様ですね」
わざとらしく拍手をするリュシアンが、意味深な笑みを浮かべている。
彼は余裕の笑みを浮かべながら、ゆっくりと口を開いた。
「あぁ、なんと美しい兄妹愛でしょう! かつてはお嬢様を見捨て、断頭台へと追い立てたジェラール様が、こんなに心変わりをなさるなんて。私も、心から感服いたします」
リュシアンは明らかにジェラールを挑発している。
オルタンシアは慌ててジェラールに声をかけた。
「お兄様、聞かないで。リュシアンの言うことはすべてでたらめです!」
「おやおや、あなたはもっとジェラール様に恨み言を言ってもいいのでは? なにしろ唯一の家族に見捨てられ、絶望の中で殺されたのですから」
「そんなの、もういいよ……」
確かに、まったく恨みはないと言えば嘘になるだろう。
だが、あの時のオルタンシアは何も知らなかった。
ジェラールがどんな生い立ちを経て、どう成長したのか。
わからなかったから、互いに歩み寄ることができなかった。
それゆえの不幸な事故だと、そう思いたかった。
「ジェラール様はどうですか? たとえお嬢様が許したとしても、誇り高いあなたは許せるのでしょうか? 自身の身勝手で、最愛の妹を死に追いやった過去の自分を」
「リュシアン、やめて!」
過去のジェラールと今のジェラールは違う。
彼は変わった。だから今のジェラールに、罪の意識を抱えて欲しくはなかった。
「どれだけ取り繕ったところで、あなたは冷徹で非情な人間。氷の心を抱えた人形のようなもの。いつまでもつまらないしがらみに縛られ、さぞや窮屈でしょうね」
リュシアンの挑発は終わらない。
オルタンシアはジェラールが心配でたまらなかった。
もしも、彼がリュシアンの言葉に心動かされるようなことがあれば……。
「先ほどの剣の変化を見たでしょう? あれは魔剣の誕生の兆しです。……もうおわかりでしょう? あなたは本来、人間に混じって暮らすような存在ではないのですよ。我々と同じ、化け物なのです」
リュシアンの発した言葉に、オルタンシアの心臓が嫌な音をたてた。
ジェラールの人間離れした部分は、オルタンシアも度々目にしている。
だが、彼はオルタンシアの家族なのだ。
決して、魔神の依り代となるべき存在じゃない……!
だがオルタンシアがそう言う前に、先に口を開いたのはジェラールだった。
「だから何だ」
彼は真っすぐにリュシアンを見つめ、いつもの無表情で、欠片の動揺も見せずにそう言ってのけたのだ。
さすがのリュシアンもジェラールの反応が想定外だったのか、虚を突かれたような顔をしている。
「貴様を含め、周囲が何を言おうが、どう思おうが関係ない。俺は、俺の思うままに進むだけだ」
それは、強い意志を秘めた声だった。
その声を聞いて、オルタンシアの胸は熱くなる。
(やっぱり、お兄様はお兄様だ……!)
一度目の人生で起こった出来事は、完全に消えたわけではない。
だが、過去ばかり振り返っていても先には進めない。
やり直せたおかげで、オルタンシアとジェラールの運命は大きく変わった。
だから、こんなところで魔神の思い通りになんてなってやるものか……!
「お兄様、一緒に家に帰りましょう!」
そう呼びかけると、ジェラールは確かに頷いてくれた。
「……あぁ」
短い返事だったが、オルタンシアにはジェラールが心から同意してくれたのがよく分かった。
彼の持つ剣が、強い光を放ち輝き始める。
「まさか……それは聖剣!?」
その光景を見たリュシアンが、驚愕の声を上げた。
「あぁジェラール様……やはりあなたは素晴らしい! 是非とも我が器として――」
「散れ」
ジェラールは一瞬でリュシアンの目の前に移動したかと思うと、光り輝く剣で彼を一刀両断した。
眩い光が溢れ、オルタンシアは思わず目を瞑ってしまう。
そして、目を開けると――。
「わぁ……!」
リュシアンの姿は既にそこにはなかった。
『すごい、どんどん空気が浄化されてるぞ……』
ずっとオルタンシアにひっついてチロルが、驚いたように地面に飛び降りた。
まるで朽ちた廃墟のようなこの空間も、オルタンシアが洗礼を受けた場所によく似た荘厳な神殿へと徐々に姿を変えていく。
「……終わった」
こちらを振り返ったジェラールが、短くそう告げる。
魔神の討伐なんてとんでもないことをやってのけたのに、まったくいつもと変わらないその態度にオルタンシアはくすりと笑う。
「よかった……」
オルタンシアは安堵の笑みを浮かべ、彼の下へと駆け寄ろうとした。
だが、できなかった。
「え……」
熱い、胸の辺りが焼け付くように熱い。
思わず視線を降ろしたオルタンシアの目に、真っ赤に染まった自身の胸元が映る。
(そうだ、私……ここへ来る前にリュシアンに刺されて――)
そう思い出した途端、全身から力が抜けがくりとその場に倒れ込んでしまう。
(駄目、まだ、私……)
必死に視線を上げると、こちらを見つめるジェラールと目が合った。
彼は今まで見たこともないほど、驚きに目を見開いている。
「おに……さま……」
声にならない声でそう絞り出すと、弾かれたようにジェラールは叫んだ。
「オルタンシア!」
(あぁ、お兄様のそんなに焦った声、初めてかも……)
だんだんと目がかすんでくる。
オルタンシアを抱き起こしたジェラールが、何か必死に叫んでいるのが聞こえる。
だが、オルタンシアは本能的に察してしまった。
自分の中から、命の源が流れ出している。
……おそらく、もう長くはないだろう。
せめて最期にジェラールのぬくもりを感じたくて、オルタンシアは必死に手を伸ばす。
すぐに、ジェラールがしっかりと手を握り返してくれたのがわかった。
(一緒に帰るって、約束したのにな……)
せめて、魂だけは一緒に帰れるだろうか。
そう頭をよぎったのを最後に、オルタンシアの意識は闇に飲まれていった。