108 最高の悲劇
「ぐっ――!?」
ジェラールの振るった刃が、リニエ公爵の体を貫いている。
彼は表情一つ変えずに血に濡れた剣を抜くと、くるりと背を向け動揺する黒ローブの集団へと相対する。
まるで、オルタンシアを守るように。
「……リュシアン、オルタンシアから目を離すな」
「承知いたしました」
まるで簡単な業務を言いつけるかのようにそう告げると、ジェラールはリュシアンがいつもと変わらず恭しく礼をするのも見届けずに、素早く黒ローブの者たちを斬り伏せていく。
オルタンシアはその光景に、信じられない思いで目を見開いた。
ジェラールは決してリニエ公爵の仲間をオルタンシアに近づけはしなかった。
……彼が心からリニエ公爵を信望していたわけではないことは、火を見るよりも明らかだ。
(お兄様……!)
こんな状況なのに、胸が熱くなる。
やはりジェラールはジェラールだった。
オルタンシアが彼と過ごした時間は無駄ではなかった。
彼は……オルタンシアの大好きな義兄のままだったのだ。
(お兄様、よかった……)
安堵するオルタンシアに、リュシアンがそっと囁きかける。
「……お嬢様のおかげで、ジェラール様は正しき道を選び取ることができたようですね」
……果たしてそうなのだろうか。
オルタンシアは無駄にジェラールの周囲を引っ掻き回してしまっただけのような気がしないでもなかったが……今はとにかく、ジェラールがヴィクトル王子を害するようなことがなかったのが有難い。
ジェラールは鮮やかな動きで、あっという間に黒ローブの者たちを斬り伏せてしまった。
くるりとこちらを振り向いた彼は、いつぞやのように血に染まっていたが……それでも、オルタンシアは今すぐに彼に駆け寄りたくてたまらなかった。
「お兄様……!」
その思いのままに駆け出そうとしたが、不意にリュシアンが背後からオルタンシアの腕を引く。
「リュシアン……?」
リュシアンはオルタンシアの問いかけには答えずに、真っすぐにジェラールを見つめている。
「さすがです、ジェラール様。あなたが魔神の囁きに惑わされずにこういった道を選び取ったのは実に喜ばしい。ですから――」
リュシアンが更に強くオルタンシアの腕を引く。
オルタンシアは思わずバランスを崩して、リュシアンに背後から支えられるような形で倒れ込んでしまう。
いったい何を……と、問いかけようとした時だった。
「え?」
眼前に何かが振り下ろされたのが視界に映るのと同時に、胸にドスンと衝撃を受ける。
何か、鈍く光る物がオルタンシアの胸元に刺さっている。
そう理解したのと同時に、焼けつくような痛みがオルタンシアを襲った。
「かはっ……!」
口の中に血の味が広がり、視界が赤に染まる。
「こうしてあなたに最高の悲劇をお届けできることを、心から嬉しく思いますよ」
そんなことをのたまうリュシアンの声も遠くなっていく。
最後にぼやける視界の中でジェラールの姿を探そうとしたが、ぼんやりした赤い影が映るだけで彼がどんな顔をしているのかはわからなかった。
(待って、お兄、様……)
彼がこちらへ駆け寄ってきたような気がして、オルタンシアは最後の力を振り絞って手を伸ばす。
だが、その手は誰にも触れることなくオルタンシアの意識は闇に飲まれて行った