祈願
3年経っても、祈りは届かなかった。
某新型肺炎のパンデミックは俺たちの生活を変えた。
まず、部活時間が縮小された。
入学直後授業は殆どオンラインで行われたが、ここで本気出してきた通信制高校のせいで半クラス分の生徒は一学期で消えた。
校外学習、修学旅行が無くなった。
ソーシャルディスタンスは当たり前になった。
マスクを外せば睨まれた。
進学校だったのもあったのか、結局、俺らの高校生活は殆ど受験勉強で終わった。
一つだけいいことを述べると、俺は東大、じゃないけど国立の大学に春から進学が決まっている。それを嘗て同じ高校を目指した奴らにLINEで送ったら進学・就職先が決まった奴らで遊ぼうぜ、返された。地元のファミレスでハメを外したい所だが、どこも密だろう。娯楽施設など論外だ。
ので、俺は今、母校の公立中学校の校門前にいる。
「久しぶり」
「久しぶり」
2メートルくらい先からありふれた挨拶を交わすフユと治寿に俺は軽く会釈する。
ポニーテールはサイドテールに、スポーツ刈りはツーブロックと眼鏡になっていたが、一目瞭然。それに対して俺はなあんにも変わっていない。少し体が大きくなって知識が増えただけ。
バスケ部で3年間苦楽を共にした二人は、第一志望校に俺だけが落ちたあの日以来の対面だ。
それからのことを話そうとしても口が言うことを聞かず、開いてくれなかった。
気がついてくれたフユは話しかける、残念話題が違った。
「昔よく行った、あそこ行こ」
「あそこ?」
「思い出作りにさ、いいでしょ?」
あそこ、て言われても何処か分からなかった。校舎は閉まっているし嘗てよく行ったカラオケスタンドはここから遠い。塾の先生も迷惑がるだろう。
「わかった」
治寿は駅の方に向かっていった。
俺たち三人は『あそこ』、児童公園近くの自動販売機前でアイスキャンディーをしゃぶっていた。
中一の夏、引退前の先輩が教えてくれた。県内大会の後、苦労を癒すために一番高いやつを買いに行ったら売り切れだった。模試の成績が伸びず、やけで2本詰め込んで腹を下した。
そして、『別れの日』、
慰められながら四人で食ったオレンジシャーベットは、涙の味がした_
青春を思い出した。
俺たちはいつものボタンを押す。
「懐かしい……」
ソーダ味の氷菓は処女の舌先に刺激される、という卑猥なコピーを2メートル先から思い浮び、消した。にしてもお前はいっつもそうやって大事そうに食っていたよな。ソーダも、オレンジも、レモンも。
「うん」
相変わらず美味いよな、ここの、と返すのすらよそよそしさを感じる。
治寿は空気を読んだのか、俺らと思いやりの距離を取る。いやぜってえ違うな。頭部をチョココーティングされた苺アイスと睨めっこをしていた。
この時間も、J -POPの一曲分を満たすかどうかだった、満たせたかな。
「ごめん」
遅れてきたのは志穂だった。同じ塾に通っていたのにトップの公立に二人と差をつけて合格した天才、いや変態元技術部員も、今日は参考書を持ってきていないようだ。しかし陸上競技でも始めたのだろうか、降ろしただけの髪は陸上女子のように短くなっていた。
「別に、気にしてない」
顔を彼女に向けずに、少しだけ眉を顰めながらアイスの袋を眺める。もう少し愛想良くしてやれよ、中学時代の同級生としては久しぶりの再会なんだから。
「ホント?」
「うん」
咥えていたチョコミントの棒を取って素気ないフユのを強調させる。相変わらず容器に目を細めていた。
「よかった」
公募推薦で合格した大学に奨学生として入ることになった志歩は、トートバッグからクラッカーの入った紙袋を四つ取り出した。
甘いアイスの後に齧った海苔クラッカーは最高だった。フユは食べずにポーチの中へ入れた。丁寧に、丁寧に。
治寿のバイトの時間もあって、4人でいられたのも1時間足らず。
「ありがとね」
それでもフユは白く甘い芳香を放ちながら、輝く瞳とこの上無い笑顔を俺に向けてくれた。よく笑う彼女だが、ここまで嬉しそうなのを見たのは5回くらいだ。
「こちらこそ」
やっぱり、言えなかった。高校が違うだけで、少し会えない時間が伸びただけで、人との距離は大きくなるものだ。前のうちに、言っておけば良かった。
『コロナが落ち着いたら』なんて御伽噺だ。
この分かれ道を右に行けば、俺のうち。商店街沿いの道は、志穂と治寿の家方面。
鳥居近くの細道に、フユの家。
俺らが次に会う時は二十歳の冬だ。地方の大学に行くので、卒業までしばらくは帰ってこれない。
「また来るよ」
誓いの挨拶。みんな果たせると思った。
「待ってる」
治寿が何か続けようとしたところにフユは割り込むやつだったけ。
「次はさ、お土産楽しみにしててよ!」
「どこ行くんだよ」
「内緒!」
少し笑窪が強張っていた。
「教えてくんねぇのな」
どうも二人も行き先は聞けなかったみたい。でもお揃いのストラップを買ってくれるよう頼んどいた。
「またな!」
「うん。またね!」
フユの瞳孔が揺れた、気がする。銭湯の給湯器の熱で出来た、季節外れの陽炎も、フユの後ろで。
それが最後になった。
親の収入が無くなり、アルコールにより崩壊した家庭で彼女は無理心中の被害を受けたのだ。しかも、あれから2時間後だった。
警察の調べによると、フユは小学生の弟を連れて父方の実家に逃げようとした時に、母に見つかったらしい。
弟が大事に握っていた袋のクラッカーはあいつの胸で砕け散った。
町長や当時の校長の祝辞が痛すぎて感覚が麻痺した耳を休ませる暇もなかった成人式を終えて、俺ら三人は花澤蜉蝣の寝床にいた。
永遠の眠り姫を前にして、沈黙を破ったのは治寿だった。
「変な嘘つきやがって……あのバカ」
彼女は携帯電話の電話を切っていたらしい。救えたはずの命を思い出に陽キャは警察になった。
車椅子に乗った弟君もうまく動かせない顔を悲しそうに歪める。
高校を中退して昼夜バイトしていた姉に抱かれて、少年は骨折と脳に軽い麻痺が残るだけで済んだのだ。
唇の咬み傷が白い。虫歯はないのに歯が痛い。
最近になってようやく「アフターコロナ」社会に変わりつつあるのに、今度はやれ大災害だの南海トラフだの世間は落ち着きを知らない。
コロナの威力は恐ろしく、経済的な被害は多くの貧困家庭を生み出し、また家族心中や虐待を増やした。
凡人たちが宴会を楽しめる日が来た今でさえ、その余波で命を落とす子供や女性。未だに職につけず路上を彷徨う青年。
オレンジシャーベット、ソーダ味の氷菓、砕けたクラッカー。
幸福は儚きものとは、祈りがこんなに愚かだとは、あの日まで気付かなかった。
そうだ、本当に世界が平和になることはないんだ。これまでも、これからも。
ならば。
「あーあ。また行きたいなぁ」
霊園を出て呟いた志穂にそれな、と同感する。
でも、次に行くときは、
隕石でも降ってきて、俺らがあっちに行ける日だね。
ごめん、もっかい神に祈ってみるわ。
その日まで、またね。おやすみ。