【亀戸真奈】支える者としての使命
亀戸真奈は足しげく林檎の母である内藤郁恵の元へと通っていた。
目的はただひとつ、林檎の3D化配信をその目で見てもらうためだ。
林檎がライバーに復帰してだれもが諸手を挙げて喜んだが、亀戸はこれで終わりじゃないと感じていた。
両親からの呪縛。既に片方解けているそれを、亀戸は完全に解きたかった。
林檎は自分が〝優しい〟と評価されること嫌う。それは復帰した今でも変わらない。
亀戸は思った――本当に優しい人間が、優しいと評価されて傷つくなんて悲しすぎる、と。
郁恵から何度も門前払いされても亀戸はめげなかった。
「いい加減にしてちょうだい! この前から毎日毎日……!」
「お願いします! どうか娘さんの配信を――」
「私はもうあの子のやることに口出ししない! それで充分でしょう!?」
結局、林檎の3D化配信前日になっても郁恵は亀戸の話を聞こうともしなかった。
林檎の3D化配信当日、亀戸は時間休を取得して出社時間をズラしていた。ギリギリまで郁恵の元へ通うためだ。
「亀ちゃん、私はにじライブEnglishチームのミーティングがあるから白雪さんの3D化配信行けないけど、夢美ちゃんのことよろしくね」
「僕もぶちょ――かぐやさんとイルカさんのオフコラボ配信の方に行かなきゃいけないから、獅子島さんのこと頼んだよ」
「ええ、任せてください!」
時間休をとっているのに会社に来るという、総務部の内海が見たら怒りだしそうなことをした亀戸は同期二人に別れを告げると、そそくさと手越邸へと向かった。
「お願いします!」
「またあなたなのね……」
何度断られようとも自分の元へ足を運ぶ亀戸。その姿を見た郁恵は呆れたようにため息をついた。
「どうしてそこまでするのかしら? 所詮、あなたと優菜は他人でしょう」
「確かに娘さんとはビジネス上の付き合いでしかないかもしれません。ですが、私にとって彼女は人生を変えてくれた大恩人であり大切なパートナーなんです。彼女のために尽くすことはマネージャーとして当然のことです」
「っ! あなたの心がけは立派だけど、私にできることはもうないの! わかったら、私の前から消えなさい!」
凛々しい表情で告げる亀戸に一瞬怯みこそすれど、郁恵は毅然とした態度で自宅に入ろうとした。
「待ってください!」
「放しなさい! ……あっ!」
「きゃっ!?」
咄嗟に腕を掴んだ亀戸を乱暴に振り払ったことで、亀戸はバランスを崩してそのまま近くにあったガードレールに思いっきり顔を打ち付けてしまった。
「お゛、お゛ぉ゛ぉ゛ぉ゛……………………」
突如走った激痛に亀戸は低い呻き声を上げた。
そんな彼女の様子を見た郁恵は血相を変えて叫んだ。
「ちょっとあなた大丈夫!? 応急手当するから、早く家に上がりなさい!」
よろよろと歩く亀戸を支えると、郁恵は躊躇なく亀戸を家に上げるのであった。
「その……ごめんなさい」
救急セットで亀戸の治療をした郁恵はバツが悪そうな表情を浮かべて素直に謝罪する。
「いえ、腕を掴んでしまった私に非がありますから」
「一応、後で病院にもいかないといけないわ。当然、治療費は全て出します。本当にごめんなさい……」
目の上に青あざが出来てしまった亀戸を心から心配すると、郁恵は顔を俯かせた。
しょぼくれた郁恵の様子から、本当に反省しているときの林檎に似た雰囲気を感じ取った亀戸は小さく笑みを零した。
「どうして頑なに優菜さんの配信を見ようとしないんですか?」
「……嫌っている人間が行ったところで邪魔にしかならないでしょう?」
自重するように呟くと、郁恵はポツリと自分の思いを吐露し始めた。
「今まで母親として頑張らなくちゃいけないと思っていた。主人が家族より仕事を優先する人だから、自分が頑張らなきゃいけない。自分でも頑張っていたつもりだった。でも、結局私は母親としての能力がなかった」
郁恵の家は代々音楽家の家系だった。
ピアニストである母を持った郁恵は、幼少期からピアニストになるべくして育てられた。
厳格で口答えを許されない母の元で育った郁恵は、絶対にこんな母親にはならないようにしよう。そう思っていた。
だが、気が付けば自分はかつて嫌悪していた母親と同じような母親になっていた。
「……あのプライドが高くて頭なんて一度も下げたことがなかった主人が優菜のために『今まで本当にすまなかった。俺に郁恵と優菜を愛する資格をくれ!』なんて泣きながら謝るんですもの。嫌でも気づかされたわ。自分が最低の母親だってね」
郁恵は今までさんざん優菜の思いを踏みにじってきた。
それは全て〝優菜のため〟という、自分の母親としての存在意義を保つための行動からだった。
武蔵が仕事を優先して優菜の出産に立ち会わなかったあの日から、郁恵はいつも孤独を感じていた。優菜が笑顔でいてくれることが救いだった。
自分自身でその笑顔を奪っていた。見ないようにしていた事実に郁恵は打ちのめされた。
ピアニストとして多忙な身で母親としても一心不乱に頑張ってきたはずだった。
優菜のためにやってきたことが、全てただのエゴだと理解してしまった。
もう郁恵は自分が林檎の母親とは思えなくなっていた。そんな資格がどこにあるのだろうか。あるはずがない。そんな風に心を閉ざしてしまった。
「私にはもうあの子に関わる権利はない。母親なんて血縁や戸籍だけの話よ」
盲目的に娘を育ててきた郁恵の心は完全に折れていた。
そんな郁恵を見て、亀戸は唐突に自分のことを語りだした。
「私は母が嫌いでした」
「…………ほ?」
「大企業〝First lab〟の社長と秘書の娘だった私は幼い頃からいろんな習い事をさせられてきました。そのどれもが別にやりたくないことでした。母の口癖はこうでした、これだけお金をかけたのにどうして一生懸命やらないの?」
大企業の社長令嬢。箱入り娘とは思っていたが、亀戸がそんな大物だとは思っていなかった郁恵は唖然とした表情を浮かべていた。
「でも、大学を卒業して就職してわかったんです。学費も習い事もタダじゃない。お金を稼ぐのだって楽じゃない。普通に人一人を育てることって大変なことなのに、習い事までさせてくれたことは、凄いことなんです。まあ、今でもやりたくない習い事をさせられて友達と遊ぶ時間が減ったのはふざけんなと思ってますけど」
嫌々やっていたせいでためになったものも特にありませんでしたし、と呟くと亀戸は苦笑しながらも続けた。
「……私なんて自分のことすらままならないのに、母は私を生んで育ててくれました。今こうして私がここにいるのは間違いなく母のおかげなんです。だから今では母に感謝しています」
そう言って自分の話を締め括ると、亀戸は表情を引き締めて郁恵へと告げた。
「優菜さんの母親はあなたなんです。優菜さんの心の傷を作った原因があなたなら、心の傷を埋めるのもあなたのするべきことだと私は思います」
「でも、あの子はもう救われたんじゃ……」
「いいえ、まだです。まだ優菜さんの心には棘が刺さっています。それを抜くのはあなたしかいません。それに……大事に育ててきた娘が一番頑張っていたはずの自分以外に救われて悔しくないんですか?」
最後の最後に煽るような言葉をかけた亀戸の一言により、郁恵の胸に再び炎が灯る。
「そんなこと言っていいのかしら? 私が暴走して滅茶苦茶するかもしれないのよ?」
「笑わせないでください。あなた程度の暴走じゃ、にじライブは揺るぎません――そういう会社なんですよ、うちは」
それは、心から会社と所属ライバー、そして自分自身を信じた言葉だった。
「お話は以上です……スタジオで待っていますから」
亀戸の言葉に何も返さず、郁恵は黙って亀戸を見送った。
それから病院に行き、治療を受けた亀戸は慌ててスタジオへと向かった。
そこにはバツの悪そうな表情を浮かべた郁恵がいた。
「待っていましたよ、内藤さん」
郁恵に関係者用のICカードを渡すと、亀戸は笑顔を浮かべたのだった。




