第三話
「ディック様」
呼吸を忘れて閉まったかのように、空を見たまま動かない彼の名前をヒューが呼ぶ。
そんなヒューの声も届いていないのか、王子はピクリとも動かない。
「ヒュー」
「……ロビン」
外で待っていろと言われたけれど、どうしても心配で無理を言って様子を見にきたものの、ヒューは僕の名前を呟いたあと、静かに首を横にふる。
「ロビン、お前は」
「……ロビン、だと……?」
「ディック様?」
僕の名前に反応したディック王子が、ギッ、と僕を睨む。
「失せろ。失せろ失せろ失せろ失せろ!お前の顔など見たくない!!!!」
狂ったおもちゃみたいに、僕を見て叫ぶディック王子を、ヒューの腕が止める。
「ロビン、外に」
「ああ」
「出ていけ!! この国から出ていけ!!!」
そう叫ぶディック王子に、外に控えていた別の護衛たちが、室内へと駆けてくる。
「元の世界とやらでリホを庇ったからか?! 庇ってやった、とでも思ってるのか?! オレと巡り合わせてやった、とでも思っているのか?!」
止まることなく続くディック王子の言葉が、足に纏わりついている気がする。
「それなら、リホを取り返してこい! オレが求めているのはお前じゃない!!!リホだ!! リホだけなんだ!!!!」
ヒューの腕の中で、騒ぐ王子の言葉に、歩いていた足が止まる。
「お前なんて、いらない!!!!」
声を枯らしながら王子が力いっぱいに叫んだ、と思った直後、「ガッ」という音とともに、「王子!!」「ディック様!!」という声が響き、思わず振り返る。
「ロビン」
「……執事長……」
ディック王子の小さな頃から、彼に仕えている執事長が、「大丈夫ですよ」とほほえみながら僕のそばに立つ。
「ディック王子。あんた、リホさんから聞いてないんスか? 彼女が最低2回は神様とかいうやつのところか、元の世界かのどっちかに戻るって話を」
「は? なんの話だ? それならなんであいつはずっといる」
「ロビンは戻らないッス」
「戻らない? はっ、違うだろう? 戻るもなにもあいつは転生者でもなんでも無いんだろうか!」
「またその話っスか」
「はっ、そいつの話など、どうでもいい」
吐き捨てるように言ったディック王子に、ヒューの目が据わる。
「王子、リホさんの、いまの、神様とやらの呼び出しの意味、ちゃんと聞いてたんスか?」
「意味もなにも」
「無いとでも? あんた、彼女のなにを聞いてたんスか?」
「……何が言いたい」
ギッと目を釣り上げてヒューを睨む王子に、ヒューは冷ややかな視線を返す。
「2回目の呼び出しは、元いた世界の自分の生死がわかれるとき」
「……は……?」
「いわゆる、あっちの世界の戻る場所を完全に失うかどうか、っスよ」
「それは……」
どういう意味だ、と少し身体の力が抜けた王子が、ヒューに問いかける。
「生死が……」
それは、とてつもなく残酷な選択。
リホちゃんにとっての、運命の人とも言える人と出会ったこの世界に残るか。
家族もいる元の世界へ帰るか。
彼女がずっと、ずっとずっと悩んでいたこと。
ふと。
「じゃあ、なぜ、コイツは一度も戻らないんだ」
少しだけ、勢いも削げたディック王子が僕を見たあと、ヒューを見る。
そんな王子に「分かんないんスか?」とヒューが眉間に皺を刻みながら口を開く。
「リホさんには「戻る場所がある」っつったんスよ」
「それは、つまり……お前は」
口にしながら、何かに気がついたらしい王子が、ただ静かに僕を見やる。
そんな彼に、「ま、そもそも、僕が死んだのも、手違いらしいんですけどね」と答えれば、王子が息を吸ったのか分かる。
神様にも、愛されてないからなぁ、と思わず小さく呟けば、僕の声を拾ったらしいヒューが、泣きそうな表情を浮かべる。
けれど。
「それは違うよ、ロビン」
眩しっ?!!!
パァァァァ、と眩い光が一瞬にして視界を奪う。
「目を開けて、ロビン」
柔らかな声色に目を開ければ、「はじめまして、だね」と穏やかに微笑むひとりのヒト。
「……いや、ヒトじゃない。もしかして神様……ですか?」
見覚えのあるカーテンみたいな服と、見覚えあるサラリとした髪。
けれど、前にみた自分勝手極まりない自称神様と違って、髪は銀色だし、服も淡い黄色だし。
それになにより、雰囲気が優しい。
「まぁ……神、って呼ばれるかな?」
ふふ、と照れたように笑った神様が、「ところでロビン」と僕の名を呼ぶ。
「この間は、愚弟が酷いことを言ったみたいだね。傷ついただろう?」
愚弟? 銀髪の神様の言葉に首を傾げつつも、彼の様子を見て、とある人物を思い出す。
「ああ、あの……」
「そう。あ、愚弟は、この世界の神柱からおろすつもりだよ」
「え、何故ですか?」
「私が長く不在にしていた間に、何やら好き勝手にしていたみたいだからね。例えば、1個体だけを愛でる、とかね」
「……ああ、あれ」
やっぱりあれは執着だったのか。
そんなことを思いながら、うなずけば、どうやら金髪神様もすぐそこにいたらしく、銀髪神様が、バゴッ、と金髪の頭に拳を落とした。