アンチューサ
男は警察から逃げていた。
見ず知らずの遠くの街で新しい生活をはじめた男は、どんどん自分自身を嘘で塗り固めていった。
新しい名前、整形した顔、住所も仕事もデタラメ。
そんな何もかも偽物の自分を、男はだんだんそちらのほうが本当の自分なのだと認識し始めた。
時は経ち、罪人であることを忘れた彼。花屋で働き、何不自由ない生活を送っている。あちこちに貼られている指名手配のポスターを見て、あんなふうにはなりたくないあと思うほどになっていた。
フラフラと通り過ぎようとしたその時。警察が男を捕らえた。
警察は、男の整形履歴の資料をすでに持っていたのである。
しかし男は頭が真っ白。
なにせ、頭の中は嘘で塗り固められた過去が支配し、実の記憶は忘れ去られていた。
男が見ていたのは、自分自身の過去の姿だったのだ。
しかし彼は、それをもう自分だとは認識しなくなっていた。
すぐさま逮捕され検査を受けたが、本当に何も思い出せない。結局、心神喪失と診断され、釈放された。
彼はその後、釈放されたがそのまま精神病院送りとなった。
どうも食い違う自分の記憶と、警察や検察そして裁判官の言い分。
次第に彼はそれに気づき、自分の過去について調べたいと思った。
しかし、その情報は開示されていない。
仕方なくお世話になった警察を再び訪ね、自分の過去について特例として教えてもらうことが出来た。
事件当時に撮られた写真、自分の指紋がついた証拠品、殺人・強盗・傷害致死など残酷な言葉。
全てが男の心に突き刺さった。
知れば知るほど自分を責める彼。
事件の全容を知った日の夜、男は首を吊った。
その手には、紫色のアンチューサの束が握られていた。
補足:
アンチューサ(アフリカワスレナグサ、ウシノシタクサ)
開花時期は4月~7月。
花言葉:「あなたが信じられない」
「真実」