7話 スライムは冒険者なんかに絶対に負けない
半透明のゲル体の中で、たくさんの『スライムの核』の欠片が一つにまとまっていく。
まとめあげられた『核』は理想的なカッティングをほどこされた宝石のように、水分の中で真っ赤にきらめいていた。
あたりでは未だ、廃油につけられた炎が燃えさかっているが――
水分量、質量ともに巨大となったスライムは、この程度の熱では核を排出しないらしい。
ハヅキの身長は人間女性の平均よりやや高いが、そのさらに倍はあろうかという直径のスライムが、咆え、飛びかかってくる!
「MOOOOOOOOOOOO!」
巨体に見合わぬ素早い突進。
ハヅキとアナはどうにか避けたものの……
突進の勢い、質量、そして風を逆巻かせる速度から、目の前のスライムがただ肥大しただけではなく、肥大したぶんだけ強くなっているということを感じさせられた。
強敵だ。
二人はこれからの激戦を描き、冒険者としての習性で周囲の状況を確認する。
地形――広く、わずかに傾斜のある皿のような丸い場所だ。
鍾乳石の柱がいくらかあるものの、それらは細く、頼りなく、あの巨大スライムの力を前には遮蔽物たりえないことが想像にかたくない。
天井。
ドーム状の空間で、垂れ下がった鍾乳石がそこらじゅうに張り巡らされている。
もっと低ければ『スライムを高く跳ねさせ、鍾乳石に突き刺す』ということも狙えたかもしれないが、これだけ高いと難しそうだ。
増援――
スライムは大きな声で咆えたわけだが、あたりに冒険者が来ているような様子はない。
地形の影響でこのあたりは音が響きにくいのか、あるいはハヅキが避けられているのか……
答えは闇の中だ。
ともあれ、他の冒険者の助太刀は期待しない方がいいだろう。
「きゅいっ、きゅいっ!」
仔竜のエルマーがハヅキになにかを告げるように鳴く。
ハヅキはエルマーが顎で指している場所を見て、ようやく気付いた。
「あのスライム――角がある!?」
求めていたものが、不意に目の前に現れた――
そのおどろきは、ハヅキに致命的なスキを生んでしまった。
スライムの突進。
ハヅキは自分に向かってくる巨体に気付くも、対応が遅れる。
大きなサイズのせいで、どの方向に避けるべきか迷ってしまったのだ。
スライムの突進がハヅキに直撃する!
アナは杖を握りしめ、叫ぶ。
「は、ハヅキぃー!?」
スライムの体当たりを受けたハヅキは、そのまま、右腕をのぞき、首から下ほぼすべてをスライムの体内にとりこまれた。
そして――世にも恐ろしき、この洞穴のスライム特有の『攻撃』が開始される。
「……ッ!? はっ……あはっ……あははははははははは!?」
そう――『くすぐり』だ!
サイズがでかくなってもやることは一緒らしい――スライムは、まだとりこめていないハヅキの右腕と頭部を体内にとりこんで窒息を狙うとか、その質量で押しつぶすとか、そういうことには興味がなかった。
『貼り付いて、はいまわる』。
王都の水事情を支える清廉な地下水に育まれたスライムには、殺意がない。
だが――
「はははははははは! はははははははは!! ひゃ、ひゃめっ……苦しっ……い、息が……はははははは! あははははは!」
取り込まれたハヅキの体を、スライムは的確にくすぐっているようだ。
スライムはハヅキの服内部に侵入しているらしく、スライムがどこをくすぐっているかが、ハヅキの服が持ち上がり、グネグネと動くことでわかる。
体のラインがハッキリ出る黒い衣服だけに、その動きは顕著で、腋の下や腹部、ふとももあたり、首、胸の下あたりなどでスライムがうごめいているのがわかった。
「し、死ぬっ……! 笑い、死ぬっ……! あはははははは! ひゃっ、あひっ、ひゅー! ひゅー!」
呼吸にだんだんと余裕がなくなっているようだった。
アナは意を決する――ハヅキを助けないと!
「ハヅキ! ちょっと熱いかもしれません!」
スライムへの対処法はわかっている。
『水分でできたゲル状の体を熱し、自ら核を排出させ、それを叩く』だ。
だが、あたりで炎が燃えさかっている程度では、あの巨大スライムに核を排出させられない。
ならば――直接、火炎をたたきこむ!
アナは杖の先にある濁った白い宝石――魔法発動体から、炎弾を放った。
ドゥン! と重苦しい音を立ててスライムに直撃した炎弾は、スライムの体表をわずかにヘコませる。
だが、核を排出させるほどにはいたらず、核にとどくほどの威力もなかった。
「はひっ、はひっ! ひぃー! ひぃー!」
ハヅキの笑い声は苦しげなものになっていく。
『スライムスレイヤー、スライムに笑い殺される』――そんな冒険者日報の記事が浮かんで、アナは慌てて首を横に振った。
――そうは、させない。
けれど――炎は威力が足りない。
なら、どうするか。
「ハヅキっ!」
アナは杖を捨てて、駆けだした。
目指す場所はスライムだ。
幸いにも『くすぐり』に夢中なスライムは、逃げない。
アナはスライムのすぐそばに来ると、まだ取り込まれていないハヅキの右腕をとった。
「アナ!? いひっ!? き、君まで、とりこまれ……逃げろ……! いひひひひひひっ!」
「仲間を見捨てて逃げるなんて、できません!」
「しかしっ……ふひひひひひ! ぬ、抜けないっ……! スライム、とりこむ力、強くてっ……! はひー! はひーっ!」
たしかに、一生懸命に引っぱっても、ハヅキの体は抜けなかった。
だが――
「アナ、やめ……逃げっ……うひひひひっ!? き、君までとりこまれっ……だから、アナ……あ、おい、スライム! スライム!? どこに入ろうとっ……おほひひひひひ!?」
ハヅキが追い詰められた声を出す。
彼女を助けることができない。
――このままでは。
アナは、決意した。
「ハヅキさん、わたし、あなたのこと、お友達だと、思ってます」
「んいっ!? あ、ああ! 友達だからっ、逃げろって……! くひひひひひ!」
「だから――わたし、あなたに秘密を告白します!」
アナの体が白い輝きを放つ。
すると、アナの額から優美な二本の角が生えた。
小さくぷにぷにしていた手は、硬質できらめく真っ白いウロコに覆われ、爪も鋭くなっていく。
腰の後ろからは太い尻尾が生え、長いローブの下からのぞいた。
「その姿っ……ふひぃっ! ひっ、ひっ、ひっぃー! 姿はっ!?」
「わたし、半竜人なんです!」
「は、はーふふふふふふふ!?」
「人の姿の力では無理でも、竜の腕力ならっ――!」
ぶぼぼぼぼっ!
重くねばつく液体の中から、ハヅキの体を一気に引き抜く。
ハヅキを助けた――
だが、その反動で、アナがスライムの中に取り込まれてしまう。
「アナッ!」
重苦しい水分の体に全身をとりこまれたアナは、竜の腕を振り回してもがく。
しかし――
アナの体から、真っ白い光が飛び散った。
竜の腕が、角が、尻尾が消え、人の姿に戻っていく。
――竜化、限界。
竜とは、最強の幻想種である。
その力を十全に行使するには、アナは竜の血が薄すぎた。
まして彼女に宿るのは竜王の力だ――半分は人でしかない彼女への負担はすさまじく、
「……」
ごぼり、と口から泡を吐いて。
アナの意識は、途切れた。
――『条件』は満たされた。
こうして、鳴き、飛ぶしかできなかった小さな生き物が本来の姿を取り戻す。
娘に仇成すすべてのものを排除する――
過保護な父親の姿が、顕現する。