5話 『スライムの角』を求めて
スライム。
半透明でぶよぶよしたゲル状の魔物だ。
主な生息地は『湿度が高く暗い場所』で、都市部の地下水路などでも発生することがある。
通常『核』があり、水分を集めてゲル状にし、その核を守っている。
集めた水分の種類によって様々な亜種がおり、『冒険者が一番最初に狩るモンスターだが、必ずしも雑魚モンスターではない』というのが冒険者の中では一般的な認識だ。
その形状は『核の周囲に水分を集めている』ことから、だいたい、球形であることが多い。
ゲル化が難しい液体もあるようで、必ずしも球を形成できているわけではないが……
角は、ない。
それが一般的な認識だった。
「角のある特別なスライムがこの世には存在するのかもしれないが、どうにも話では、『通常の、そう強くもない、鍾乳洞などに住む青いスライム』が落としたらしいのだ」
「『話』っていうのは?」
「私の主家にある古文書でな。そこは西、つまりこのあたりで冒険者をして財を成したとか……ああ、『ニンジャ』というのは、基本的に、偉い家に仕えるものなのだ。私にも、仕えている家がある……あるというか……あったというか……」
「つまり、ニンジャはメイドなんですね」
「うーん……『メイド』をよく知らないが、きっと違う気がする……」
二人は『スライムの洞穴』に来ていた。
よく初心者が来るダンジョンだけあって、入口あたりには薬草などの冒険お役立ち品を出す市がもよおされていた。
二人はしつこい客引き――とナンパ――を振り切って、洞穴に入った。
ジメジメした洞穴内には常に『ピチョンピチョン』という水滴が落ちる音が響き続けており、耳をすませば、どこかで流れる川の『ごうごう』という激しい音を捉えることもできるだろう。
よく音の反響する場所だから、人のちょっとした会話なども耳にとどきやすい。
そこらから聞こえてくる妙に元気な声は、アナたちより先に入っていた若手冒険者たちのものだろう。
アナは軽装だった。
ここのスライムは『安全』だから、特に防具などはいらないのだ。
スライムは物理攻撃に強いという特徴がある。
大剣などならばゲル状の体を重さで圧し斬って核を両断することが可能だろうが、冒険者がそのような巨大武器を帯びていることはまずない。邪魔だし、高いし、手入れが大変だからだ。
さりとて軽い武器や飛び道具だとゲル状の体に弾かれてしまう。
そこで魔法だ。
『魔法ならゲル状の体を貫通できる』というわけではない。
スライムが弱いのは『急激な温度の変化』だ。
ゲル状の体を熱くしてやると、スライムは自ら体を崩して、新しい、冷たい水分を求める習性がある。
だから高熱の火球をぶつけ、スライムがゲル状の体を自ら放棄し、核を丸出しにしたところでとどめを刺す――というのが、スライム退治の正攻法になる。
また、ここのスライムが『安全』と言われるゆえんは、『対処法が確立されている』以外にももう一つある。
「アナ、知っているかもしれないがいちおう確認すると――ここのスライムは、『殺意』がない。だから命の危険はないはずだ」
殺意。
モンスターというのは基本的に好戦的で、人を見れば殺意をもって向かってくる。
だが、ここのスライムは――王国の飲み水をささえる綺麗な地下水を体にしているからか――攻撃が、やけに、手ぬるい。
主な攻撃手段が『くすぐり』なのだ。
スライムと言えばゲル状の体……ほぼ『全身筋肉』と同義の瞬発力を用いた体当たりや、冒険者の顔を取り込んでの窒息攻撃などが恐ろしいとされている。
だが、ここのスライムは『体に貼り付いてはいまわる』だけ。
結果、『くすぐったい』という効果が発生する。
先ほどから響いてくる冒険者たちの声が、どこかのどかなのも、命の危険がないからだろう。
もっとも、相手にするのは『人類の敵』であるモンスターだし、鍾乳洞のそこここには深い穴も空いている。
まったくの安全と言い切ることはできないが――冒険に来ておいて『ここはまったくの安全地帯だ』とタカをくくる者が命を落としたところで、『そいつの不注意だ』としか言えない。
「アナ、奥の方にな、狩り場があるんだ。そして、私は効率のいい狩り方を開発した」
ぽん、とハヅキが背負ったバックパックを叩く。
アナは軽装――だが、ハヅキは、妙に大きな荷物を背負っていた。
「あの、それ、なんなんですか?」
「油だ」
「……あぶら?」
「うむ。鍾乳洞の拓けたところにな、油を撒いて、君が魔法で炎を放つ。すると熱さにたえかねたスライムたちが一斉に『核』を吐き出すので、私がそれを小刀で一体一体斬っていくというやり方だ」
「へぇー」
「時間はかかるが、消費リソースが少ない。なにぶん数をこなすしかないのが現状なので、魔力消費も体力消費も抑えて多くを狩るには、これが一番効率のいいやり方だと思う。廃油をもらってきてるのでちょっと点きが悪いのが難点だが……」
「わたし、いります?」
「は?」
ハヅキは真っ黒い目をまんまるに見開いた。
クールビューティーボインボインと思っていた彼女がこんなにおどろいた顔をするもので、アナは自分の考えに自信がなくなってくる。
「いえ、その……油に火をつけるだけなら、魔法ほど威力のある炎じゃなくても、火種とか……ありますよね? 魔導士は必要かなあ、って……」
「……アナ……そのことに気付いてしまったか」
「えっ!? やっぱり必要ないんですか!?」
「うん、まあ、それはね? それはそうだ。松明でも、火打ち石でも、油に火をつけることはできるだろう。けれど、人の魔法でおこした炎は、あたたかみが違うんだ」
「そ、そうかなあ……?」
「うん、まあ、あと……」
「あと?」
「……延々と単純作業をする羽目になるだろう?」
「そのようですね」
「……寂しくないか?」
「……はえ?」
アナが首をかしげる。
ハヅキはハイライトの消えた暗い瞳をして、口を開く。
「スライムを熱する。スライムを斬る。スライムを熱する。スライムを斬る。そんなことを繰り返す。なん百? なん千? なん万? スライムの角は出ない。まだ出ない。まだまだ出ない。なん匹狩っても出ない。本当にあるのか? 地元の人たちが言うように、スライムの角なんて存在しないんじゃないか? 私はここで永遠にスライムを刈り続けるだけで人生を終えるんじゃないか? 永遠に万病に効く薬の材料なんか手に入らないんじゃないか?」
「え、え、あの」
「私の人生はなんのためにある? 私はなんだ? 私は誰だ? スライムか? 目の前で切られていくスライムの核のきらめきに自分の顔が映る。それに刃を突き立てる。だんだん笑えてくる。楽しくもないのに、笑えてくるんだ。自分を斬る。自分の人生というリソースを消費しながら、スライムの核に映り込む自分を切り裂いていく。出ない。角は出ない」
「あの、ハヅキさん、その……」
「やだ……私は……私は……スライムを殺害するために生きてるんじゃない……! 万病に効く薬の材料を持って! 故郷に帰って! 褒めてもらうために生きてるんだ……」
「……」
「でも、もし、出なかったら?」
「……」
「一匹狩るたびに『もし永遠に角なんか出なかったら?』という疑問がちらつくんだ。出なかったら、私の人生は無駄だ。意味がほしい。故郷を飛び出して異境でスライムを殺す者なんていうあだ名をつけられて、それだけが人生だなんてイヤだ……助けて……うるおいがほしい……たたただ絶望が心に重くのしかかるだけのスライム狩りという単純作業にも、意味があったって……たとえば、『あの苦しい時間を過ごしたお陰で友達ができた』とかの意味づけがしたいんだ……」
「……」
「まあ、まとめると……魔導士の炎はね、温かいんだ」
「……な、なるほど……」
「うん。温かいんだよ。本当に、温かいんだ」
ハヅキは首をちょっとだけかたむけて、穏やかに笑っていた。
そこには慈愛の神が宿っているかのようだった。
彼女の独白に、アナは――
「……気持ち、わかります」
「わかるのか……!? わかってくれるのか……!? 私の孤独、私の寂しさを……!? この誰にも共感なんかされない、私の気持ちを……!?」
「わ、わたしも、色んなパーティーから追放され続けて、ここにはわたしの居場所なんかないんじゃないかって……! パパの反対を押し切って故郷を飛び出したのに、人生になんの意味も見出せずに死んでいくんじゃないかって、毎日、毎日不安でっ……!」
「……わかるよ。わかるとも! 毎日、『ああ、人生がいきなりいい方向に転がらないかなあ』と思って生きているのに、こんな、こんな……毎日『今日は生きていけるかな』ばっかり考える生活……! やだ……! 希望、希望が足りないんだ……! 人生に、希望が……!」
「ハヅキさん……!」
「アナ……!」
二人は抱きしめ合った。
互いにガッチリと背中に回した腕には、『この共鳴者を逃してなるものか』という決意があった。
そんな二人を――
仔竜のエルマーが、「もう故郷に帰っておいでよ」とでも言いたげな目で見ていた……