26話 竜と人
不可思議だと言わざるを得ない。
なぜ、人は挑戦するのだろう?
なぜ、人は叶わぬ目標を追い続けるのだろう?
できないことは、しなければいい。
叶えるのが難しいユメなど、あきらめてしまえばいい。
その愚かさを竜は嫌った。
摂理にあらがい滅びを嫌い、無様にあがくその姿を、竜は醜いと断じたのである。
――でもね、我が愛しき娘よ。
時がきたら、きっとお前に教えよう。
お前の母も、そんな――あきらめの悪い『人』だったのだ、と。
◆
「傾聴せよ」
真っ白い光とともにあらわれた壮年の男がそう告げるだけで、すべての人が、いや、爆ぜる雷の魔族でさえも、その動きをピタリと止めた。
シンとしずまりかえった平原。
その静寂を楽しむように、男は――アナを腕に抱きかかえた男は、しばらく黙ったまま目を閉じていた。
そして、ゆったりと、口を開く。
「さてまずは、人らよ。諸君らの奮闘、目に余るものがある。軍をおこし、同胞を駆り出し、命まで捨てさせての奮闘、まことに愚かと言わざるを得ない。なぜ、無理な目標に挑む? なぜ、そうまでして永らえたがる? 君たちの生き様は、我ら竜からは『醜く』映る」
そこまで言って、視線をめぐらせる。
そして、縦長の瞳孔がある黄金の瞳を、そばで倒れるコレンに向けた。
「そこの君、なぜ、君はあがく? 己には力が足らぬと知りながら、力以上の目的を叶えんと邁進する?」
「えっ、あ、わたくし?」コレンはどこか舌足らずだった。まだ痺れが残っているのだろう。「わたくしは……え、だって、そんなことは、当たり前ではありませんの?」
「当たり前とは?」
「だって、及ばぬから努力するのでしょう?」
「……」
「己の力が及ぶ目標など、目標たりえませんわ」
「それは――魔族や、他の脅威から、アナスタシアや、仲間の子を守るという大言壮語は、いずれ叶えるつもりだと?」
「もちろんですわ。わたくしは聖騎士ですもの。……いえ、聖騎士でなくとも、後ろに仲間がいて、手に盾があるなら、守ろうとするのは当たり前では?」
「ふむ」
男は――竜王はうなずき、周囲を見回す。
「人の諸君は、みな、そうなのかね? 力及ばずとも、守りたいもののために戦っているのかね?」
発言をする者は、なかなか出なかった。
だが、誰かが「そうだ」と言った。
それに続くように、次々と同意を示す者が現れた。
竜王は不思議そうな顔をして、
「なるほど。理解しがたいものだ。まったくもって目に余る。見ていて不愉快だ。竜の美的感覚からは、はなはだしく外れるありようだ。だが――」
視線を腕の中の娘に向ける。
気を失い、ぐったりとしている彼女は、半分だけだけれど、人だった。
「――強く惹かれる『なにか』があるのも事実だ。……人よ、どうかそのありかたを損うな。私は、私の中に芽生えた興味の理由を知りたい」
次に視線を向けた先は、魔族のフルフルだった。
先ほどまで人に向けていた視線を『温度のないもの』とするならば、今度の視線には氷点下の怒りがある。
「さて、魔族よ。貴様への沙汰を言い渡す。貴様は我が娘とその友を傷つけた。しかし、貴様とて『摂理』と『存在意義』に従ったまでであろう。貴様の邪魔をした娘たちにも責任の一端があることを認め――『死』で許そう。苦しまず死ぬことを許可する」
竜王がそう述べると、雷のカタマリと化したフルフルは、その光量を減じていく。
みるみる小さくなり、明滅し、消えかけ――
しかし。
名状しがたい、かんだかい叫び声をあげ、竜王の命令に抗った。
そして、無数の雷を触手とし、そのすべてを竜王に向けて放った!
光の速度であらゆる角度から迫り来る、非実体の触手だ。
それを前に竜王は――光の速度だというのに――たしかに「ふむ」と、ゆったり、述べた。
そして――「ふっ」と息を吹く。
ほんの軽い吐息だけで、雷そのもののはずの触手が、すべて吹き飛び、ちぎれ、霧散した。
「上位者たる我が命令に抗うか。なかなか見所があるぞ、ゴミ。わがままな輩だ。私に直接手を下してほしいと見える」
竜王の額あたりに、光が集った。
それは二本の角のようなかたちを形成する。
角と角のあいだで、バチバチとなにかが爆ぜる音がする。
それは、雷だった。
「疾く散るがいい、薄汚いカタマリ。貴様は竜王の逆鱗に触れたのだ」
バチンッ、と音がして、一瞬、あたりが静寂に包まれた。
続いて天からフルフルに凍滝のような太い雷が落ちた時、全員、まだ静寂の中にいた。
光に遅れること一瞬、音がようやく届いて、全員がその場で耳をふさぐ。
フルフルがどのような不快な鳴き声を立てようが眉一つ動かさなかった熟練の騎士たちでさえ、武器を放り捨て、耳をふさいだ。
本能が判断したのだ。
この雷撃の轟音を、耳もふさがず聞いては、音だけで死ぬと。
予想以上の轟音は、その場に居る全員の鼓膜だけでなく全身にたたきつけられた。
音だけで吹き飛ばされる者が出た。
全身をたたいた音の衝撃のせいで気を失う者も出た。
しばらく、全員が耳鳴り以外の音を失った世界に閉じこめられる。
そして『きいいいいいいん……』という音しかない中で見えた光景は――
フルフルのいた場所が、あたりの大地ごと吹き飛ばされているという、すさまじいものだった。
もしも冷静な者がいれば、『あれだけの衝撃の余波が音だけですむわけがない』と気付いただろう。
この『人』でも『魔族』でもない、『竜』を名乗る男は、己の攻撃の余波から『人』を守ったのだ。
「ああ、そうだ」
全員の聴覚が回復したころ、竜王がつぶやく。
傾聴の命令をくだされずとも、全員が耳をかたむける中で、彼は言う。
「私のことは、娘には内緒にしておいてくれよ。『つきまとっている』と思われて嫌われたくはないからね。――言いたければ止めないが、諸君らは私について語ろうとした者の末路を知っているだろう?」
一瞬、あとかたも残らないほど――それも雷を操るはずなのに雷によって――消し飛ばされたフルフルのことを、全員が想像した。
だが、そうではない、と気付く者が出てくる。
そうだ、あの――全身の体液を噴き出して気絶した男たちだ。
あれこそが末路。
この竜王に逆らった者は、恥ずかしい目に遭って尊厳にダメージが入るのだ――
そう気付き、その場で意識のある全員が、逆らわぬことに決めた。




