14話 冒険者の現実
「コレン、そろそろアルウネラの間合いに入るぞ。備えろ」
ハヅキが注意を喚起する。
前を歩くコレンは、うなずきもしない。
集中しているのだろうか?
しかしパーティーというのは連携が大事だ。
いくら接敵を前に集中しているとはいえ、返事もないのは困る。
ハヅキはコレンの細い肩に手を乗せた。
「コレン、返事ぐらいはするものだ。……コレン?」
様子がおかしい。
アナとハヅキは見つめ合ってうなずき、コレンを左右からかかえて、三歩ほど後退した(アルウネラの間合いから出るためだ)。
コレンはまったく抵抗なく二人にひきずられ、二人が腕をはなすと、ばしゃん、とドロドログチョグチョの地面に尻もちをついた。
「……コレン?」
二人してコレンの顔をのぞきこむ。
衝撃的なものを見てしまった。
コレンは――混乱していた。
焦点の合っていない瞳はどこか遠くの空を見ている。
口の端からはヨダレが垂れて、小さく「あっ、あっ、あっ、あっ……」とつぶやいている。
表情は笑顔とも無表情ともつかない不気味なもので、やけに瞳孔が開いて碧い瞳が輝いているのがとても恐い。
体はガクガクと大きく震え、そのたびに尻の下の泥水がなみうち、彼女の服や肌を汚していく。
アナとハヅキは、あんまりにもあんまりな様子を見せるコレンを呆然と見守ってしまう。
二人の脳裏には、さきほどのコレンの発言がリフレインしていた。
聖騎士の真髄は盾さばきにありますのよ――
どんな攻撃だろうが、盾一枚でしのぎきってみせましょう――
盾一枚でしのぎきってみせましょう――
しのぎきってみせましょう――
みせましょう――
「……ハッ!? あ、アナ! 毒消し! 毒消しをしないと!」
「あ、は、はい! そうですね!」
アナが腰のポーチからわたわたと毒消し草を取り出す。
手のひら大の濃い緑色の葉っぱで、噛むと強い苦みとともに解毒成分がしみ出すのだ。
「ほら、コレンさん、毒消し――」
アナが差し出した毒消し草を、コレンは手で払った。
ぽちゃん、と新品の毒消し草が泥水の上に落ちた。
コレンは手足(右腕に盾を装備している)をふりまわし、めちゃくちゃに暴れ回る。
手がつけられない。
「やむをえん! アナ、私がコレンを背後からおさえる! 君はそのスキに口に毒消し草をねじこむんだ!」
「わ、わかりました! あ、でも泥水の上に落ちちゃって……」
「もったいないから泥水を拭き取って再利用だ!」
冒険者にとってあらゆるリソースはただではない。
毒消し草一枚はたしかにそう高いものではない――だが、積み重なれば大きな値段となる。
ハヅキがコレンの背後にまわる。
アナが毒消し草の泥を手ぬぐいでぬぐう。
コレンが暴れる。
ハヅキがコレンをはがいじめにする。
アナがコレンの口に毒消し草を近付ける。
コレンは首を大きく振り「うー! うあー! あうー!」とわけのわからない叫び声をあげながら抵抗する。
アナはコレンの顎をつかんで、顔を固定する。
そして、いやがるコレンの口の中に、むりやり毒消し草をねじこんだ。
「あうー! あうあー! うー!」
「吐き出さないでください! 噛んで! 噛んで!」
アナがコレンの口をふさいだ。
「むぐー! むぐうー!」
抵抗していたが――
コレンはついに、毒消し草を咀嚼する。
「むぐー! むぎー! むうー! むうー!」
あり得ない苦さなので、コレンの目には涙がたまってきた。
吐き出されても困るので、依然、アナはコレンの口をおさえている。
コレンは涙をぼろぼろこぼしながら抵抗していたが――
「むうー! にっがあああああああああああ!? 苦ッ! この世すべての苦さを煎じ詰めて一滴のエキスにしたものだけで作ったのかってぐらいにがあああああああああい!」
「こ、コレン、正気に戻ったんですね!」
「戻りました! 戻りましたから、後ろの人にわたくしを解放しろと言って! 背中になにか当たるんですのよ! ものすごいのが! バックパック越しでも伝わる巨大質量! スライムスレイヤーは自身までスライムになってるんですの!?」
「……正気に戻ってますよね?」
「戻ってますわよ!」
コレンは解放された。
そして、自分の体を見下ろし、アナとハヅキの体を見て――
「……泥だらけですわね……」
「まあ沼地ですから」
「……ん!? ちょっとアナさん! あなた、なんですの、その服!?」
「え? どういうことですか? やっぱりスリット深すぎます?」
「そんな話ではなく! 跳ねた泥がみるみる流れ落ちているんですけれど、どういう撥水加工ですの!?」
「え、さあ……? これ、冒険者になるって言って故郷を出る時に、パパにもらったやつなんで……白いのに汚れが全然つかないから重宝してるんですよ」
アナの肩でエルマーが「きゅいー」と鳴いた。
ちょっと自慢げだ。
コレンはずーんと沈んでいる。
「……あれだけ大口をたたいて一瞬で毒にかかり、服はドロドロ、背中からは巨大な胸を押しつけられ、この世のものとは思えない史上最悪の苦みを味わわされる……」
「……」
「しかも、内心ちょっと見下していたお二人の世話になってばかり……」
「けっこう言葉の端々に出てましたよ」アナは小さな声で一応つっこんだ。
「……なるほど。わたくしは……未熟でしたのね。冒険者を見下し……覚悟が足りず、実力も足りない……だからきっと、騎士団も免職になった……」
「それは知りませんけど」
「……帰りましょう」
「ええええええ!?」
「きっと、アルウネラは、わたくしが一生かかって倒すべき敵だったのですわ」
コレンは遠くのアルウネラを見る。
その瞳には、まるで終生のライバルを見るかのような熱があった。
「冒険者として立派になって、いつかきっと――倒しますわ。一歩一歩下積みをして、いつか、きっと……」
コレンは決意の表情で語る。
アナとハヅキが、左右からコレンの肩に手を置いた。
「コレン――」ハヅキが口を開く。「冒険者として立派になりたいというのはとてもいいことだと思う。なら、早速、第一歩を踏みだそう」
「はい。わたくしは心を入れ替えて、先達たるあなたたちにご指導賜ります……なんなりとおっしゃってくださいませ」
「冒険者は、無駄な時間を過ごしている余裕がないんだ」
「……どういう意味ですの?」
「『長い時間をかけて、下準備をして、仕事に来ました』『でも手ぶらで帰ります』なんてことは許されない。なぜならば……」
「……なぜならば?」
「お金がないからだ」
「……」
「今回は君のバックパックや毒消し草など、初期投資をしてしまった。回収しないと、明日のご飯に響く」
「……」
「だからなコレン、盛り上がっているところ申し訳ないが……」
ハヅキはちょっと言葉を選んで、
「アルウネラを倒すなら、『いつか』じゃなくて、『今』だ」




