恋の呟き
夏休みの一日とは何故こんなにも早く感じるのでしょうか。
一ヶ月あったカレンダーも、もう折り返し地点を過ぎています。図書館で会ったあの日から私たちは、毎日のように秘密の席に集まって日が落ちるのを2人で眺める日々が続いていました。
彼は夏休みというのに、毎日制服を着ていました。一度彼にその理由を問いかけたことがあります。どうやら予備校に通っているらしく、そこは毎日制服で行かなければいけないそうです。
当の私は、勉強なんてものは地平線の先の遥か彼方、地球の裏側に置いてきてしまったものですから、取りに行く時間がもったいないので勉強出来ずにいます。
そう自分に言い聞かせ、私は今日もグウタラに生きるのです。それが夏休みというものです。何気なくつけたテレビの天気予報の画面には、青い傘が並んでいました。
家を出るときに雨が降った日は、決まって彼は図書館に来ることはありませんでした。そのような日は、いつもよりも少し広い机に膝をつき、私は1人窓の外を眺めるのです。雨が窓にあたり、滴り落ちるのを見るのも私は好きでした。
彼はこの夏、私に様々な新しい感情の種を植え付けてくれました。彼に会えずに寂しい気持ち、彼と話せて嬉しい気持ち、そして彼に恋する気持ちの種。雨が降る日は彼に会うことはできません。しかし、寂しくはないのです。何故なら、その雨の中へ歩み出ることで私は、彼にもらった沢山の種たちに水を与えることができるのですから。
そして次に彼に会うときには、いっぱいのお日様と彼の笑顔を、種たちに与えてあげるのです。すくすく育つ種から咲く色とりどりの花を想いながら、今日も私は、彼と共に落ちていく奈落を楽しんでいました。
恋は、私をどんどん我儘にしていくのでした。
彼に会うだけで跳ねていた私の心は、今は彼に触れることを望んでいます。手にした幸せだったものは、持っていて当たり前の手荷物と化し、また新しいものを望んでしまっています。
彼はそんな私を嫌うことも、避けることもせず、いつも変わらない温度で接してくれるのでした。雨の日が2日続いた後の今日。変わらず図書館に来た彼は、私の中にあるもどかしい蟠りなど気づくわけもなく、目の前で本を読んでいます。
気づけば、夏休みの残りは、両手で数えられるほどまで減っていました。
いつものように家に帰ると、ダイニングテーブルの上に回覧板が置いてありました。誰が作って管理してるかもわからないチラシが数枚挟まっています。
その中に一枚、1週間後に開かれる夏祭りの概要が書かれたものがありました。
その日の夜はクローゼットの中をひっくり返して、必死に浴衣を探していたものですから、いつのまにかそのまま夜が明けていたような気がします。彼に次に会うことができた日は、今年いちばんの猛暑を記録していました。
「夏祭りかぁ。いいよ。行こう。」
私は、彼からこの言葉を聞くまでの記憶が、あまり鮮明ではありません。心臓の音が直接耳に届いてるのではないかと思うほど大きく鳴っていました。火照る体は夏のせいでしょうか? それならば、赫らむ頬はきっと外の日差しのせいでしょう。
いや。違います。
火照るのは彼を前にしているから。赫らむのは彼に気持ちを伝えたから。
いよいよ私は、明らかに彼に対して緊張し動揺する自我を、彼に恋するこの自我を、押し殺すのはもうやめようと思いました。
私は「夏」が好きなのです。大好きなのです。たまらなく愛おしいのです。
「今日は一緒に帰らない?」
「いいよ。君から誘ってくるなんて、珍しいじゃないか。」
久しぶりに彼と歩く歩道は、いつもより狭いせいか、彼との距離が縮んだように感じました。初々しい2人の影を、夕日がそっと縦長に伸ばします。
1週間後の花火大会が待ち遠しいですが、私たちを待ち構えているのはそれだけではありません。見て見ぬ振りをしていた彼とのタイムリミットも、同時に近づいているのです。
彼が初めて会ったあの日から、一度もそのことを話さないのが、私には変に現実的に感じてしまうのです。嘘ならば嘘だと言って欲しい。冗談だよと笑って欲しい。何度そう考えたことでしょうか。
それでも、私からそのことを聞いてはいけない気がしていました。彼は別れがあるのを知って私と会っているのでしょうか。悲しくはないのでしょうか。
彼を想う気持ちが大きくなるのと比例して、彼への不安も大きくなっていくのです。それでも、晴れた日に彼を見ると不安は縮み、好意は膨らむのでした。まったく面倒な心になってしまったものです。もちろん悪い気はしていません。
連日の熱帯夜が続き、湿った空気と蒸し暑い気温が、私をまだ現実世界に残しておきたいようでした。眠気が来るまで私は、彼と行く夏祭りのことを想像していました。
「貴方が好きです。」
自然に口から溢れた消えそうな独り言を、いつか彼に伝えることができますように。
願いを込めるように目を閉じて、今日も私は夢の運河へオールを漕ぎ始めるのでした。