迷宮に入り込んでしまった少年の話。
どこまでも、どこまでも続く石の壁。暗くて、狭い、圧迫感を与えてくる細い道。
どうしてぼくはこんなところにいるんだろう。
つい今さっきまでぼくは、もっと違う場所にいたと思う。でもなぜだかはっきりとは思い出せない。頭の中に薄く、靄がかかっているみたいにあやふやになってしまっている。いったいなにがどうなってるんだろう。
ジジジッと壁にかかるロウソク? が音を立てる。ゆらゆらと揺れるその灯りは、離れた間隔で並んでいるために、光が届く範囲と、真っ暗な空間が交互に続いていて、それがなんだかぼくにとっては言い知れない、不安と、じわっとくる恐怖を感じさせるものだった。
どうしたらいい?
こういう時にした方がいいこと、逆にしちゃいけないことってなんだ?
大声を上げて助けを呼ぶ。
近くに誰かいてくれればいいけど、もし誰もいなくて、声も枯れたら。
動かないでじっとしている。
こんな暗い場所に、今もなんの気配もないのに、誰が助けに来てくれるって思える?
今にも点いているロウソクの灯りが消えてしまうんじゃないか。そんなことを思ったとたん、大きくロウソクの灯が揺らめいた。
あんまりゆっくりしている場合じゃないのかも。このままじっとしているのは一番悪い手なのかも。もしかしたら、怪物みたいなやつが現れるかもしれない。ぼくは襲われて、そいつに喰われちゃうんじゃないか。そう思うと、居ても立ってもいられなくなってきた。ほかのなにも考えつかない。そうなるとしか頭の中がいっぱいになって。
やみくもに駈け出そうとして、ぼくははっと思いとどまった。もちろん、今しも怪物が襲ってくるかもしれない、早く逃げなきゃ! そう思っているんだけど。でもそれよりも、もっと怖い思いに捕まってしまった。
もし、もしも、出口自体が無かったら?
どこまでもどこまでも続くこの薄暗い細道が、永遠に終わりのないものだとしたら?
ただやみくもに出口を探して、さ迷い歩き続けてその先にはなにが待ち受けてるっていうのか。漠とした不安、諦めにも似た感情が、ぼくを押しつぶそうとしているのが分かった。
相変わらずロウソクは、細い灯を消すこともなくゆらゆらと、ほんのわずかな範囲だけを照らし続けていた。ぼくは座り込んで、膝を抱えたままちっとも動けないでいた。辺りは真っ暗で、しゃがみ込んでいるぼくにまでは、その光が届くことはなかった。ただただ膝を抱え、どうしてこんなことに、とか、誰か助けて、とかつぶやくだけ。
底冷えがする。ロウソクの灯が一方向に静かに揺れている気がする。
こんな薄暗く、暖房なんかもない石壁に囲まれた細道。そういえば僕が着ている服って、これは夏服? それとも冬服なのか? そもそも服ってこういうものだったっけ、ああなんだかさっきから頭の中がもやもやして、ちっとも考えがまとまらないや。ただぼうっとロウソクの灯を眺めるだけのぼく。
どれくらい時間が経ったんだろう、ぼくは首筋にぽたり、と滴が垂れてきた冷たさから身震いをして、意識をはっきりとさせた。
辺りの様子は、さっきから何も変わっていないようだった。薄暗い石壁に閉ざされた、細い道が延々と続いている。その壁にかかっているロウソクの灯は……さっきよりも細く、短くなっていた。ジジジッて音も、あっちこっちで聞こえてくる気がした。これはもしかしたら、ロウソクの芯が短くなっているからか、ロウソク自体がもう残り少ないからなのか。
怖い。言い知れぬ恐怖が、ぼくの体を揺すぶる。
このロウソクを、いったい誰が点けて回ったんだろう。そして、消えかけたこのロウソクは、果たして換えに誰かが回ってくるんだろうか。もし誰かがロウソクを換えにくるのだとしても、それが良い人とは限らない。こんなに薄暗くって、じめじめとした場所に誰が好き好んで来たいなんて思うか。そう悟ったぼくは抱えていた膝をわざと叩いて、勢いをつけて立ち上がった。
やっぱり前に進もう。
ぼくは細道の前後を、どっちがより安全そうか確かめるようにじっと見比べてみた。
前後と言っても、どっちが前で、どっちが後ろかなんて決まりがあるわけでもない。ただ、ぼくが立ち上がった時に見ていた先をとりあえず前ということにしただけ。でも、たったそれだけのことなのに、なんだか少しだけ頭の中がすっきりした気がするのはなぜなんだろう。
元から向いていた前の道。長く続く心細くなったロウソクの列からすると、だいぶん先までまっすぐのようだ。それに引き替え、後ろの道はほんの少し行くと突き当りになって、直角に右に曲がっている。右の方がゆらゆらと、薄く灯りが漏れていることからそう判断できる。
改めて考えると、ぼくがここに来た時、どっちを向いていた? ぼくはどっちから来たんだろう。まだ靄が消えきっていない頭で、必死になって思い返してみる。
たぶん、後ろだ。気が付いた時には、ただまっすぐな道が目の前にあった気がするから。
ぼくはあれこれ考えるのはもうやめて、とにかく一歩でも前に、この場合後ろに向き直ってからだけど、足を踏み出すことにした。
さあ、右足でも左足でも、どちらからでもいいから早くここから離れるんだ。
頭の奥の方が、じんじんと疼く感じがした。踏み出そうとした足を止めて、一呼吸する。
なにをしてるんだ、ぼくは。いざ前へ進もうとしたところで、肝心な時になにをしてるんだ?
なにかがぼくの足を、前に進めたくないとでも言うように。無意識のうちに体の自由を奪われてしまっているみたいな感じだ。だとすると。ぼくはこの感覚に抗って、是が非でも歩を進めるべきなんだろうか。それともこの状態を、ある種の予感めいたものとして受け止めて、このまま立ち止まっていた方が良いのか。
また振出しに戻ってしまった。ここに来た時と同じ、ただ茫然と何もできないで蹲っていたあの時と同じだ。
なんだか今度は無性に腹が立ってきた。ふつふつと湧き上がる、この怒りの感情はなんだろう。
そうだ。ぼくは怒っていいんだ。なぜならば。
「ちっくしょう! いったいぜんたい、ぼくが何をしたって言うんだ? なんにもしてないじゃないか、なにか悪さでもしたのか? そんな記憶、ぼくにはないぞ! ここはどこなんだよ、早くこっから出してくれよ、なんなんだよ……」
ぼくはなんにもしていない。なにかをした覚えも、悪いこと、いけないこと、間違ったことをした覚えがないんだ。だから。怒っていいはずだ、泣きわめいても、壁を殴りつけても。
もう怪物が来るかもとか、灯りが消えてしまうとかもどうでもいい。とにかくぼくは腹が立って腹が立って、どうしようもなくなってすぐ横にあった石壁を殴りつけるために、一歩足を横に踏み出した。
「脳圧、下がり始めました! 呼吸、脈拍も正常値に近づいてます。これで乗り切りましたね!」
「……ちゃん、……ちゃん! 良かった、ほんっとうに良かった……」
全身を貫く痛みと。あまりにも強い光量で。そして、わんわんと鳴り響く周囲のさんざめきで。
ぼくの迷宮からの脱出は成功した。
これからぼくは、本物の迷宮を進むことになるんだろう。
そのための第一歩は、全身に刺さったありとあらゆる生命を維持するために必要だった、管という管を取り除く死にたくなるほどの痛みだった。
この作品は、ぼくが小六か中一の時に書いた物を、再構成し直した物です。
出来るだけ当時の書き方、心情描写などを活かしているため、読みにくく、また言葉足らずかもしれません。どうかご容赦ください。