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夏の残り火  作者: とある貝
7/7

ーそして、日曜日ー

目覚めた僕は、まず最初にカーテンを開けた。

眩しいくらいの日差しとともに、抜けるような青空が目に飛び込んできて、ほっとした。もし雨が降っていたら、僕は昨日テルテル坊主を作らなかったことを、本気で後悔していただろう。

時計は8時過ぎを示している。僕はいつものようにベッドから出て服を着替え、朝食をとった。今日はホットケーキを焼いた。

やや生焼けになってしまったホットケーキをほおばりながら、なんとなくテレビをつけた。ニュース番組が流れていたので、僕は国会議員の水掛け論を眺めながら、天気予報を待つことにした。

しばらくすると、さわやかなお天気お兄さんが画面に映し出された。彼は長い棒とハイテクなスクリーンを駆使して、これからの天気を事細かに教えてくれた。お兄さんによると、今日は関西は全域快晴のようだ。気温も少し上がるらしく、僕は浴衣で歩く彼女の身を案じた。

朝食を食べ終わると、僕はいつもの習慣として、洗濯をし、布団を干して、部屋の掃除をした。僕の日曜日の午前は大方、洗濯と掃除と買い物でつぶれる。雨だとそうはいかないが、晴れた日のこれらの作業が僕は、嫌いではなかった。


家での一通りの作業が終わり、僕は買い物に来ていた。B1階の食料品売り場を歩きながら、今日の献立を考える。キャベツが半額だったので、他にも野菜をいくつかと、オーストラリア産の牛肉を買った。まだ家に卵も牛乳もあったので、今日はそのままレジに向かう。

会計を終え、エスカレーターで1階へあがる。1階では食料品以外を扱っていて、僕が先週手持ち花火を買ったのもこのフロアだ。くだんの花火はまだ売り場の端にひっそりと置かれていて、僕はなんとなく嬉しくなった。


僕の家の調理スペースは広くない。そのため我が家の献立は、時間があるときでも単純なものになりがちだ。今日も僕が作ったのは、買ってきた野菜と牛肉をコンソメと少々のごま油を加えて炒めた、大雑把な野菜炒めだ。ご飯を炊き忘れていたことに気づき、僕は慌ててお米を研いで、炊飯器のスイッチを押した。

ごはんが炊けるのを手持ち無沙汰に待っていると、彼女からラインが来た。

「今、羽田空港。これから伊丹に飛びます」

写真が一枚添付してあり、そこには大きな飛行機が写っていた。どうしても、この大きな金属の塊が空を飛ぶというのは説得力に欠けたが、実際に飛んでしまうのだから仕方がない。僕は彼女に、

「快適な空の旅をお楽しみください」

と送った。

ご飯が炊けたので、昼食をとった。野菜炒めは少しだけ味が濃かったが、大まかに表現すると、おいしかった。

片づけをして、いつもより少しだけ丁寧に歯を磨く。一通りの作業が終わると、耳で空を飛ぶウサギが気になったので、読みかけの本を読むことにした。試しにウサギに乗って伊丹へ向かう彼女を想像してみると、案外説得力があった。


本を読み終わると、時刻は大体15時半だった。ウサギは結局空を飛ぶことには成功したが、空の世界は彼にとって、地上と同じく存外退屈なところだったようだ。小説は、彼がひとり雲の中であくびをするシーンで終わった。

僕は甚平に着替え、髪形を申し訳程度に整える。家から伊丹までは電車で一時間ほどかかるので、そろそろ出発しようと思った。昨日買った巾着袋に、財布とケータイ、それに彼女から借りた本をかろうじて詰め込んだところで、彼女からラインが来た。

「伊丹空港到着!

今から浴衣を選びます」

彼女のラインに珍しくついた!マークに、僕の気持ちも高揚した。いろいろな浴衣をイメージしてみたが、彼女ならどれも似合いそうだと思った。

「了解」

「楽しみにしてる」

多くを語ると、ラインを通して僕の心音が彼女に聞こえそうな気がして、これだけにとどめた。

僕は草履をはいて、八つ橋をもって、家を出た。照りつけた太陽の光は、想像以上に眩しかった。


僕の家の最寄り駅は、叡山電鉄茶山駅だ。普段なら210円を惜しんで出町柳まで歩くところだが、猛威を振るう日差しに早々に僕は敗北し、茶山駅から叡山電鉄に乗り込んだ。こじんまりとした車内は、夏休みだからか休日だからか、あるいはその両方かもしれないが、とても混雑していた。僕は扉の近くに寄りかかって、窓の景色を眺めながら音楽を聴いた。少し時代遅れのiPodナノからは、スピッツの「青い車」が流れている。

二曲目が始まったあたりで、車内アナウンスが出町柳到着を告げた。降りる人ごみに流されながら、改札をくぐり、京阪電車に乗り換える。僕が乗る予定の、淀屋橋行きの特急の発車は、3分後だった。


普段の僕の生活圏は、大きく見積もっても北大路から三条までだ。その中で京阪電鉄を使う機会といえば、三条へ遊びに行く時くらいで、祇園四条から先へ行くことはめったにない。たまに京都駅を使う際に七条まで行くこともあるが、そこから先は完全に未知の領域だ。だから電車が七条を過ぎたところから、目的地の京橋までの道のりを僕は、新鮮な思いで眺めていた。ふと思いついて、窓から見える空にウサギの姿を探してみたが、見つからなかった。


京橋駅に着いたのは、16時半ごろだった。そこからJR環状線に乗り換え、大阪駅でまた、宝塚線に乗り換える。京都から南に下るにつれ、徐々に人が増えてきた。僕は人込みをかき分けながら、改札を抜けて、環状線のホームを目指した。


無事環状線に乗り換え一息ついたところに、彼女からラインが入った。

「着付け終わった」

「今から伊丹駅へ戻ります」

僕は時間を確認する。ぎりぎり、遅刻しないで済みそうだった。

「了解」

「あと20分くらいで着くと思う」

彼女と会う時が近づくにつれ、僕の中にいろんな感情がこみあげて、いたずらに僕の心を荒らした。僕はそれらを静める術を持たなかったので、ただ車内の中づり広告を眺めていた。とある出版会社の広告で、そこにはあの映画の原作本が「話題沸騰中!」の文字とともに、堂々と存在していた。


大阪駅で降り、宝塚線に乗り換える。同じ花火大会に向かうのだろう、この電車には浴衣姿の乗客が多い。彼らの作る流れに乗って進めば、迷わずにたどり着けるかもしれない。

大阪駅から伊丹駅までは、たった二駅だ。その二駅の間僕は、彼女と会った時のことを想像した。僕は彼女に会って、どんな言葉をかけたくなるのか。彼女は僕に、どんな言葉を用意しているのか。そんなことを取り留めもなく考えて過ごした時間は、短くもあり、長くもあった。


伊丹駅に到着すると、やはり浴衣姿の乗客の大半はここで降りた。僕は彼らに流されるようにして階段をのぼり、改札までたどり着く。

改札を抜け、人の流れを避けるように端により、ケータイを開く。電車の中では気づかなかったが、二分ほど前に彼女から、

「着きました」

とラインがあった。今の時刻は16時57分。ギリギリ間に合ったが、もう少し早く来るべきだった。

「どこにいる?」

送ってから、周りを見回す。すると彼女からノータイムで

「時刻表の前」

と返ってきた。急いで、時刻表を探す。

と、大きな柱に取り付けられた時刻表が目に入った。その柱の前に彼女が、スマホ片手に立っている。僕は一瞬息をのんで、歩き出した。

まだ人でごった返す駅構内を、歩行者の流れを横切るように歩く。やっと人込みを抜けきり、僕と彼女の間に誰もいなくなったところで、彼女が顔を上げた。

顔を上げた彼女に、その瞬間、見惚れた。

白地にピンクの花びらが舞う浴衣に身を包んだ彼女は、僕の姿を見つけて小さく笑った。帯も淡いピンク色で、普段はおろしている長い髪を、今日は白い花型の髪飾りで束ねている。白を基調とした装いに合った、主張しすぎない薄めのメイクが、落ち着いた魅力を演出していた。

僕は一瞬言葉を失い、決して身長の高くない彼女の目を、やや見下ろすような形で見つめた。それからぎこちない微笑みを彼女に返し、

「似合ってるね。」

と言った。これが、僕の限界だった。

彼女は笑って

「ありがとう。」

というと、

「あなたの甚平も似合ってる。」

と言ってくれた。僕は、先ほどの僕の発言にもっと意味を添えたくて言葉を探したが、出てきたのはただの、安っぽい問いかけだった。

「飛行機で来たの。」

「うん。伊丹に空港があったから、ちょうどいいなって。」

「飛行機、高くない?」

「帰省した時に、おじいちゃんがお小遣いくれたから。今、値段の話をしてるよね?」

「うん。とりあえず最初は、実際的な話から。」

「わかった。」

「歩こうか。」

僕達は歩き出した。


人ごみの喧騒に加えて、交通整理の呼びかけなど、駅前は雑多な音で溢れていた。そのため僕と彼女が会話をするには、少し大きめの声を出す必要があった。

「それ。」

彼女が、僕が昨日買った巾着袋を指さして言った。

「その魚、かわいいね。」

想定していたのとは、少し違う角度からのコメントだった。

「ありがとう。昨日、散歩に行った銀閣寺で買ったんだ。」

「銀閣寺に、散歩で行けるなんて羨ましい。」

「30分くらいかかるけど。」

「自転車で行けばいいのに。」

「歩きたかったんだ。」

「実際的じゃないね。」

「確かに。」

僕は続けた。歩くのに注意を要したから、二人は正面を向いたまま話していた。

「この草履もそのお店で買ったんだけど、そこのおかみさんが、すごくいい人で。」

「ただにしてくれたの?」

「惜しいな。そうだったらよかったけど。」

彼女は小さく笑った。今日の雰囲気にぴったりの笑い方だった。

「試食の八つ橋をくれたんだ。お茶まで淹れてくれて、一緒に休憩した。」

「へぇ。京都っぽい。」

「でしょ。僕も京都っぽさを持ち帰りたくて、これを買った。」

僕は用心深く持ってきた、八つ橋の入った袋を掲げた。

「わ、いいな。」

彼女が目を輝かせる。そのおかげで僕は、自然に彼女に言うことができた。

「あげるよ。」

「え、いいの?」

「うん。僕はいつでも、京都っぽさを味わえるから。」

「ありがとう。」

彼女はそれを受け取ると、しばらく迷って、僕に返した。

「花火の時に開けて。」

それから彼女は、何でもないことのように言った。

「あなたと食べたい。」

僕はそれを受け取り、手に提げる。少し遅れてやっと、

「わかった。」

と答えた。


僕たちはそのまま、人の流れに乗って歩いた。

「これを食べるなら、お茶がほしいね。」

昨日の風景を思い出して、僕は言った。

「そうだね、コンビニ行こうか。」

「祭りっぽさはいらないの。」

「祭りっぽさは、少し高い。」

「確かに。」

彼女がスマホを操作し、最寄りのコンビニを探す。会場へのルートをちょっと外れたところに、セブンイレブンがあった。

「ここでいい?」

「うん。」

僕たちは少し苦労して人込みを外れ、細い通りへ入った。


セブンイレブンで、僕は伊右衛門を、彼女はおーいお茶を買った。コンビニには今日の花火大会を記念したうちわがいくつも置かれていて、僕はそれを一つもらった。もらわなかった彼女は、自前の扇子を持ってきていた。

「道、どっちだっけ。」

彼女に問いかける。僕にはあいにく、方向感覚の持ち合わせがない。

「来た道はこっちだけど。」

そう言った彼女は、反対方向に歩き出した。

「回り道しよう。」

僕は黙ってついていく。喧騒から離れた小径は、ちょうど日陰になっていて、心地よかった。

「涼しいね。」

彼女は軽く、扇子を揺らしながら答えた。

「さっきよりは。でもまだ暑い。」

「その浴衣は暑そう。」

「あなたの甚平は涼しそう。」

「そうだね、涼しい。」

「いいなぁ。」

僕は少し考えて、うちわで彼女を軽く煽いだ。

「ありがとう。」

「うん。」

しばらく歩くと、先ほどの大通りに出た。目の前には猪名川が堂々と横たわっていて、その河川敷には出店がずらりと並んでいた。花火大会は19時30分開始だったが、すでにたくさんの人がいる。

僕は隣で、扇子を庇代わりにしている彼女に言った。

「祭りっぽさを、買いに行こうか。」

彼女は笑って頷く。僕たちは急な階段を慎重に下り、河川敷へ降りた。


このお祭りはそこそこの規模のものらしく、実にたくさんの出店が並んでいた。焼きそば、クレープ、かき氷、リンゴ飴…。さんざん目移りした結果、僕たちはとりあえずすべての出店を見るため、端まで行って引き返すことにした。出店の列は、ずいぶんと長く続いていた。

一番端の出店は、人形焼屋だった。端まで来ると、少し混雑も解消された。

「どうだった?」

彼女に尋ねた。彼女は少し疲れた様子で、

「かき氷が食べたい。」

と言った。


かき氷の種類も、バラエティに富んでいた。普通のやつではつまんない、という意見は二人とも一致したので、僕は台湾アイスなるものを、彼女は綿氷を購入した。僕がイチゴ味、彼女がメロン味だった。

初めて食べた台湾アイスは、なかなかにおいしかった。

「おいしいね。」

彼女が言った。声のトーンが、少しだけ高かった。

「うん、おいしい。」

僕らは一口ずつ、交換した。彼女の綿氷は氷そのものに味がついていて、これもなかなかに美味だった。

かき氷を食べ終わると、僕たちはぶらぶらと歩き、ほどなくしてリンゴ飴の店を見つけた。

「食べたい?」

「うん。」

「奢ろうか。」

彼女に聞いてみる。彼女は黙って、財布を出した。

「あなたに借りを作るなんて、絶対いや。」

僕はおかしくなって、笑った。結局彼女はリンゴ飴を、僕はいちご飴を購入した。これも、一口ずつ交換した。


僕たちは最後に焼きそばを一つずつ買い、座る場所を探し始めた。探し始めてすぐに、レジャーシートを持ってきていないことに気づいた。僕はそのことを彼女に伝え、謝った。

「詰めが甘いね。」

彼女はそう言って、笑った。降りてきた階段をのぼり、座れそうなところを探す。結局、土手の上のコンクリートに落ち着いた。

「ごめん、浴衣が汚れる。」

僕がもう一度謝ると、彼女は焼きそばを買った時のビニール袋を、お尻の下に敷いた。

「大丈夫、これでいいよ。」

彼女はあまり、謝られるのが好きではなかった。

日差しはようやく弱まり、川沿いに、涼しい風が吹き始めた。僕も彼女も歩き疲れていたので、それぞれお茶を一口飲んだ。ふと顔を上げ、目に入った景色に、僕は息をのんだ。

目の前の空が、きれいな赤色に染まっていた。細く広がった雲が夕日に照らされ、鮮やかな紅色の濃淡を演出している。まだ青が残っている天頂の部分が鮮やかなコントラストとなって、一層赤色が照り映えて見えた。

隣の彼女も、気づいたらしい。しばらく見惚れた後、

「きれいだね。」

と呟いた。

「うん。きれいだ。」

「なんで夕焼けは、赤いんだろう。」

「それを説明したら、夕焼けが拗ねて、緑色になるかもしれない。」

「悪くないかも。」

僕はいつか見た、緑色の夕焼けが観測されたというニュースを思い出していた。この広い世界では、夕焼けが緑になることも本当にあるのだ。

「でも今は、この赤い空がいい。」

彼女はそう言って、視線を前に戻した。リンゴ飴を持った彼女は、夕焼けと仲良くなれそうだった。


「そうだ、これ。」

僕は巾着袋の中から、彼女に借りていた本を取り出した。

「ありがとう。面白かった。」

「うん。」

彼女はそれを受け取り、小さな白いハンドバッグにしまった。そしてそのまま僕の目を見て、言った。

「感想をどうぞ。」

彼女から借りた本は、失われた一冊の本をめぐるミステリーだった。序盤は様々な登場人物の利害がぶつかり、巧な頭脳戦が話の中心に位置していた。そして終盤の場面で、その本がほぼ確実に存在するとされた屋敷が業火に包まれる。そこで物語は終わったかに見えるのだが、最後の最後に、とある洞窟にひっそりと眠る一冊の本の描写がなされるのだ。この結末についてはファンの間で、今でも論争が絶えないらしい。

僕は少し考え、読み終わった当時思ったことを、そのまま口にした。

「真相なんて、ないんじゃないかな。」

彼女は何も言わずにこちらを見ている。僕は続けた。

「言葉にするのが難しいけど、僕が作者だったら、結末に正解なんて与えないと思う。読み手によって結末が変わる、決まった輪郭とか、形を持たないような、そんな物語にしたかな。少なくとも僕は、あの話が、そういう物語だったらいいって思った。」

彼女はしばらく、真顔で僕の話を聞いていたが、僕が話し終わると正面を向いて、少しだけ笑った。

「あなたに、感想を聞いてよかった。」

「どういうこと。」

僕は尋ねた。彼女は前を向いたまま答えた。

「正解なんてないよ。」

それきり彼女は何も言わなかったので、僕も正面を向いた。夕焼けはいつの間にか、紫色の名残だけを残して、消えていた。


彼女が、例の映画をぜひ見たいと言っていたので、僕は映画を見てから原作を読むことを個人的に勧めた。その話を終えたところでちょうど、河川敷にアナウンスが流れた。

「ご来場の皆様、大変長らくお待たせいたしました!ただいまより、第37回伊丹花火大会、開会セレモニーを始めます!」

この宣言で、会場のボルテージがはじけるように一気に上がった。すでに人でいっぱいになった河川敷から、歓声や拍手の音が溢れる。僕は彼女と一緒に、声のする方を見つめていた。

一分ほどで、主催者の紹介や簡単な挨拶が終わり、司会のお姉さんが、ひときわ明るい声を上げた。

「では、ただいまより点火式を行います!みなさん、どうぞ橋にご注目ください!」

言われるがままに、猪名川にかかった橋を見つめる。お姉さんの声が続いた。

「今からこちらに炎が上がり、川の中央の点火台まで駆け抜けます!それでは皆さん、カウントダウンをお願いします!」

3!

お姉さんが声を張り上げる。最初のカウントがなされると、二つ目以降に観客の声が重なった。

2!

1!

ボッ、と、橋の一端から大きな炎が上がった。それは歓声を受けて激しく燃え上がり、勢いよく橋を横断する。炎は橋の中央で進路を曲げ、そのまま猪名川へと吸い込まれた。一瞬、静寂が訪れる。

シャァァァッ‼

炎を受け取った点火台から、金色の光が盛大に放出された。静寂は一瞬で歓声に変わり、まるで夜空に金粉をばらまいたような美しく豪華な輝きに、会場全体が沸いていた。

「第37回伊丹花火大会、開会です!」

その宣言とともに、一筋の光が空へと昇り、最高点で大きく開いた。ドォン、という大きな音と同時に、鮮やかな赤色の花が咲く。隣で彼女が、息を飲むのが聞こえた。


そこから先のその空間は、完全に花火が支配していた。

4つある構成のうちの第一弾は、とにかく豪快なプログラムだった。息つく間もなく大玉の花火が上がり、華麗に開いては散っていく。赤と青、黄色と緑。巧みに重なった鮮やかな色のコントラストが、一層の華やかさを演出していた。その一瞬を夜空に焼き付け、自らを誇示するような花火は、僕を、そしておそらく隣の彼女を、圧倒した。


豪華絢爛な大玉の乱射は、約十分間続いた。言葉を失い眺めていた僕の耳に、司会のお姉さんの声が聞こえて、僕は我に返った。

「お疲れさまでした。第一プログラムは終了です。3分間の休憩ののち、第二プログラムに入ります。」

僕は大きく息をつき、お茶を一口飲んだ。彼女が隣で、感嘆の声を上げた。

「すごかったね。」

「うん。息するのを忘れかけた。」

「わたしも。生きててよかった。」

二人で、顔を見合わせて笑った。彼女が、

「八つ橋開けようか。」

と言ったので、僕は置いておいた箱を開封した。飴も焼きそばも、始まる前に消費してしまったので、手元にある食べ物は八つ橋だけだった。

僕がニッキ味を、彼女が抹茶味を口に入れたところで、アナウンスが流れた。

「お待たせいたしました!第二プログラムの開演です!」

八つ橋の感想を言う間もなく、次のプログラムは始まった。


第二プログラムは、第一弾とは打って変わって、遊び心に溢れていた。

人気キャラクターを模した花火や、文字通り花の形をした花火。色鮮やかなにこちゃんマークも打ち上げられたし、さりげなくスポンサーのロゴまで空に昇った。

「あれ魚かな。」

彼女が、打ち上げられた花火を指さす。それは小さな部分と大きな部分に分かれていて、ちいさな部分は三角形にも見えたし、丸にも見えた。

「魚かな。キノコにも見えるけど。」

「いやぜったい魚だよ。」

「いや、答えなんてないんだよ。」

「ずるい。」

彼女は笑って、ニッキ味の八つ橋を口に入れた。


第二プログラムは、7分くらいで終わった。

「面白かったね。」

「うん、面白かった。」

僕は答えて、お茶を一口飲んだ。

「でも、あれは絶対魚だったと思う。」

「意外と粘るね。答えなんかないって。」

「その答えはずるいよ。」

「でも、水掛け論になる。」

「いいじゃん、涼しくて。」

「その水で花火が消えちゃうよ。」

「風流だね。」

僕たちは夜空を見ながら、そんな会話をした。花火のない夏の夜空もまた、きれいだった。


第三プログラムが始まった。

このプログラムでは、技巧的な花火が多かった。ぱっと開いたと思ったら、時間差でもう一度小さく開くもの。開いた後、夜空を縦横無尽に駆け巡るもの。その下でそれらを引き立てる、小さく小刻みにはじける花火。

中でも彼女のお気に入りは、しだれ柳だった。

「花火は、楽しいだけじゃない。」

大きく垂れたしだれ柳を眺めながら、彼女は言った。

「終わった後の、じんわりとした虚しさや哀しさ。あの余韻まで含めて、花火なんだと思う。」

僕は、彼女の横顔を見つめた。花火に照らされたその横顔は、幸せそうでもあり、寂しそうでもあった。


第三プログラムが終了して、少し長めの、五分間の休憩に入った。

「あと一つだね。」

彼女が、空を見上げたまま呟く。

「そうだね。」

「終わっちゃうね。」

「終わっちゃうね。」

夜風が少し冷たい。彼女は、空になった八つ橋の箱に、視線を落とした。

「八つ橋、おいしかったよ。」

「それはよかった。」

「ありがとう。」

「うん。」

彼女はもう一度、空を見上げる。少し迷って、彼女の手を僕は、そっと握った。彼女は、何も言わなかった。

「お待たせいたしました!これよりフィナーレ、最終プログラムを始めます!」

司会の声が、高らかに響いた。


最終プログラムは、今までの花火を全部使った、正真正銘のフィナーレだった。

先陣を切って、点火式で見せた豪華な黄金の吹出花火が、勢いよく上がった。それに続いて打ち上げられたいたずらな花火が、ぱっと開いて夜空を駆ける。小さな花火がほぼ絶え間なくはじけていて、それらに僕らが見惚れる隙に天高く上った大玉が、堂々と大輪の花を咲かせた。

僕たちはただ、じっとそれらを見つめていた。僕も、おそらく彼女も、夏の夜空を豪華に彩る花火の、その鮮やかさの中に終わりの予感を感じていた。

ずっと握っていた僕の手を、彼女が握り返したとき、僕は彼女に、一つの事実を伝えることにした。

「僕は」

「君が好きだよ。」

ドォン、という音とともに、ひときわ大きな大玉が開いた。その音と、僕の声が、重なった。彼女が握る手の力が、少しだけ強くなった。

「わかってるよ、そんなこと。」

答えた声が潤んでいたのは、僕の気のせいかもしれない。

僕と彼女は、それきり黙って、最後の花火を見上げていた。


フィナーレが終わり、僕たちはほとんど何も言わずに、駅までの道を歩いていた。

大勢の人ごみに流され、伊丹駅の改札をくぐる。その時に離れた手は、そのまま繋がれることはなかった。

大阪駅に着く。彼女は駅の近くのお店に浴衣を返し、そのまま夜行バスで帰る予定だ。明日どうしても、外せない用事があるらしい。

僕たちはいったん、改札を出た。

「ねぇ。」

彼女が問いかける。僕は黙って、彼女の目を見つめていた。

「わたしと、恋人同士になりたい?」

僕は思ったことを、そのまま言った。

「いいよ。肩書に縛られない方が、君は楽しそうだ。」

彼女は笑った。そしてその笑顔に見惚れた僕に、キスをした。

永遠にも感じた、一瞬だった。

彼女は唇を離すと、もう一度笑顔を作った。

僕も笑った。それで十分だった。

「じゃ、私はもう行くね。」

時計を確認して、彼女は言った。

「またね。」

「うん。」

僕も言った。

「また。」

彼女は踵を返して、駆け出した。僕は遠ざかる後姿を、ずっと見つめていた。

彼女の姿が見えなくなると、僕は一人、帰路についた。


僕は電車の中でぼんやりと、窓の外を眺めていた。

彼女は言った。

終わった後の、虚しさや哀しさまで含めて花火なんだと。

それならばたぶん、この彼女がいない時間まで含めた全部が、彼女なんだろう。そう思って一人、笑った。周りには、静けさしかなかった。

窓から見える夜空の星が、散りきらなかった花火のように、ささやかに輝いていた。







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