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夏の残り火  作者: とある貝
6/7

ー土曜日―

昨日の宴会のせいで、この日目覚めたのは13時過ぎだった。二日酔いが心配だったが、特に体に異変はない。

とりあえず服を着替え、パスタをゆでて昼食をとる。なんとなくケータイを開くと、彼女から返信が来ていた。日付は昨日になっている。

「でも、一人で先に花火やったのは、ちょっとずるい」

自然と頬が緩む。すぐに返信した。

「ごめん」

「明日はちゃんと、二人で見よう」

ケータイを閉じ、とりあえずパスタを完食する。二日連続のパスタだったため、最後のほうは小麦粉の塊に思えた。

片づけを終え、歯を磨き、今日の気分に沿って、コーヒーを入れる。僕は鞄から二冊の本を取り出し、なんとなく表紙を眺めてみた。熟考の末僕は、昨日の映画の原作から読むことにした。


読み終わったのは、15時前だった。前半同様、夢中になって読んでしまい、気づいたときにはもう物語は終わっていた。大筋のストーリーは一緒だったが、やはり所々映画とは異なっていて、それも楽しむことができた。

部屋の中でぼんやりと、明日のことを考える。僕の部屋はフローリングの六畳一間で、家具はすべて木製のもので統一してある。木々に囲まれたようなこの空間は、とりとめのない考え事には、ちょうどよかった。

浴衣姿の彼女。リンゴ飴。夜空に開いて、散る花火。

浮かんでは消えるイメージに身を委ねていると、昼間の心地よい日差しのせいか、瞼が重くなってきた。思考と夢との境界線が、少しずつあいまいになっていく。気まぐれな睡魔に連れられるまま、僕は眠りに落ちた。


目が覚める。時計を確認すると、16時過ぎだった。外はまだ、夕方の一つ前くらいだった。

椅子に座ったまま眠っていたので、体がだるい。僕は大きく伸びをしたが、まだ気分がぼやけていたので、散歩に行くことにした。

僕の家から徒歩で30分程度のところに、銀閣寺がある。僕にとってそれは、散歩をするにはちょうどいい距離だった。財布とケータイを持って、鍵を探すのにちょっと苦労してから、家を出た。


まだまだ日差しは強いが、心地よい風が吹いていた。僕は日陰を求めて、白川疎水に沿って歩く。僕の家からは、この白川疎水をずっとたどれば、銀閣寺にたどり着ける。この流れはずっと遠くに続いていて、どこかで鴨川と交わるとか、琵琶湖疎水に合流するとかいう話も聞くが、地理に疎い僕はあまりその辺に詳しくはない。僕にわかっているのは、この疎水に沿った道には木が植えられており、日陰になった並木道が散歩に最適だということくらいだ。

風が木々を揺らす音が心地いい。足元でジジジ、と音がしたので視線を落とすと、一匹のセミが必死に羽をばたつかせていた。そういえばもう、蝉時雨が降っていない。

僕は真夏の間、これでもかというくらいに降り注いでいた蝉の声を思い出した。もしかすると、彼らは生まれた瞬間から、自分の命が長くはないということを知っていたのかもしれない。

僕は空を見上げる。所々に雲はあったが、きれいな青空だった。

もう一度、足元のセミを見る。蝉は夏の間、鳴き続けた。そして少しずつ、死んでいった。僕は考えるのをやめ、この混ざり気のない、そこに付帯する事柄を取り除いた事実だけを受け取ることにした。


今出川通りに出たところで左折し、そのまま通りに沿って進む。白川通りと交わる交差点を抜け、哲学の道に出た。ここが日本だという自信を失うほど、外国人がたくさんいた。

銀閣寺前のこの道は、とある偉い哲学者が難しい思惑に耽って歩いたことからこの名がついたらしいが、やはり詳しいことは知らない。僕はその哲学者の苦悩に、気楽に想いを馳せながら、その道を進んでいった。

哲学の道は、しばらくまっすぐ続いた後、右手に折れ曲がっていた。どうやら、流れる疎水に沿っているらしい。右へ進めば哲学の道で、まっすぐ進むと、銀閣寺だ。僕は少し悩んで、直進することにした。

少し急な上り坂に沿って、土産物屋が並んでいる。たくさんの古風なお店が八つ橋や抹茶や漬物、それに着物や和雑貨など、京の都らしい商品を競い合うように売っていた。

僕はぼんやりとそれらの土産物屋の間を歩く。この時間にも通行人は少なくなく、何人ものカップルや、浴衣を着た外国人とすれ違った。歩いているうちに、僕はふと明日のことを思い出し、甚平に合う巾着袋のようなものを買うことにした。


目に付いた和雑貨屋へ入る。閉店の時間が近いらしく、女性が慌ただしく動いていた。ここのおかみさんらしい彼女は僕に気づくと

「いらっしゃい」

と笑ってくれた。

僕は店内で見つけた、海草と小さな魚が描かれた青い巾着袋、そして草履らしき履物を購入した。店内に八つ橋の試食があったので、黒ゴマ味をいただいた。

「3,200円です。」

財布からお金を取り出し、お礼を言って店を出る。すると後ろから、呼び止められた。

「お兄ちゃん、ちょい待ちぃや」

振り返ると、おかみさんが笑って、八つ橋の試食を指差していた。

「もう閉店やから、食べてき。これ、明日まで置いとけへんから。」

並べられた八つ橋はたくさんの種類があり、決して量は少なくなかった。

「いいんですか。」

「ええよええよ。ちょい待ち、今お茶淹れるけぇ。」

おかみさんはそう言って、店の奥へ入っていった。僕はもう一度お礼を言って、こしあん味の八つ橋を口に入れた。

2、3個食べたところで、奥からお盆を持ったおかみさんが出てきた。お盆には、湯のみが二つ載せてあった。差し出された一つを、お礼を言って受け取る。おかみさんはそれに笑顔で答えると、僕の隣に座って、自分も勝手に八つ橋を食べ始めた。その姿に僕は、好感を持った。

「明日、花火大会に行くんです。」

僕はなんとなく、口を開いた。おかみさんはちらりと僕を見たが、すぐに八つ橋に視線を戻した。

「へぇ。どこの花火大会。」

「伊丹です。兵庫県の。」

「あぁ、あそこ。ええなぁ、楽しんできぃや。」

「はい。」

少しの間、二人で黙って八つ橋を食べた。おかみさんはどうやら、つぶあん派らしかった。

「お兄ちゃん、大学生やんな。」

「はい。」

おかみさんは、ゆっくりとお茶を飲みながら、僕に言った。

「今の時間を、大事にせぇよ。」

返事ができずに黙っていると、おかみさんは最後の一個を僕にくれた。

僕はお茶を飲み、八つ橋を食べ、またお茶を飲んだ。おかみさんが淹れた茶は、とてもおいしかった。

空いた皿を、おかみさんが手際よく片付ける。僕は鞄に、買った巾着袋と草履を入れて、立ち上がった。

僕はふと思い立って、試食が並んでいた場所へと向かった。そこには抹茶、ニッキなど様々な味の八つ橋が、京都らしいパッケージに包まれて売られていた。僕はその中から、オーソドックスな抹茶とニッキの十個入りを選び、おかみさんに言った。

「すいません、これください。」

おかみさんは、ちょっと驚いたようにこちらを見ると、笑ってレジに入ってくれた。

「540円ね。」

僕は60円のお釣りを受け取り、傾かないよう気を付けながら、八つ橋を鞄に入れた。それから改めて、お礼を言った。

「ごちそうさまでした。」

おかみさんは、まっすぐこちらを見つめながら、笑顔で言った。

「おおきに。」

僕はもう一度深く頭を下げて、歩き出した。


家に帰って、改めて買った巾着袋と、甚平を見比べてみる。紺色の甚平に、青に濃い緑の海草が描かれた巾着袋の組み合わせはなかなかに風情があって、我ながらいい買い物をしたと思った。八つ橋は忘れないように、日の当たらない玄関近くの棚に置いた。


寝る前にケータイを開くと、彼女からラインが来ていた。

「そうだね」

「明日が楽しみ」

めったに見られない彼女からのストレートな言葉は、僕の心の奥に、優しく、いたずらに染み込んでいった。それは完全に不意打ちで、僕が次のラインを返すには、深呼吸が一つ必要だった。

「そうだね」

「僕もだよ」

こんな言葉じゃもちろん足りないけれど、それを彼女に説明する必要はなかった。

僕はまだ、彼女の余韻が残っているうちに、眠りについた。

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