リルム外伝
あなたは、出来損ない。
私の望みを叶えられなかった失敗作よ。
それが、母の私に対する評価だった。
魔界の王位継承権には2つの条件がある。
一つ目は王の血引くもの。
これは、力が全ての魔界において無駄に血を流したく
ないという父の配慮でもある。
二つ目は男であること。
これは、私が生まれる前に出来た条件だ。
人であれ、悪魔であれ守るべき存在である女性を戦火に巻き込みたくないというものだろう。
それは非力だからと言うことではない。
私の様に女性だから男の悪魔に勝てないという事ではない。
母の美貌は引き継がなかったものの、その凶悪な魔力と強靱な肉体をこの身は宿していた。
私は、魔王と女王リリスとの間に生まれた。
最初で最後の子供だ。
私は女である以上母が望む王にはなれない。
母は私を失敗作といい、大した興味も持たれなかった。
常にあったのは、父との間に一刻も早く男の子供を作ることだ。
母は冷たくすら私にしない。ただ無いものとして扱われた。
ここは魔界、力がその全てを握る世界。
何百年後かに仕掛ける天界への戦争の為に用の無いものは切り捨てられていく。
それが、母のやり方であった。
私は次期魔王候補に選ばれなかった事に内心ほっとしている。
けれど、私の心にはいつのまにか、母に刻印された、出来損ないのレッテルが貼られている。これだけはどうやっても剥がれなかった。
レッテルから洩れ出す劣等感。
それが、私の表情をいつも曇らせた。
母は毎夜、父であるルキフェルに言い寄っている。
けれども、うまくいかないらしく、私に八つ当たりをする。この時だけは私は母にとって存在していた。
私は、自分が思うよりずっと頑丈に出来ている。
体を母の爪で切り裂かれようが、腕のホネを折られようが
致命傷の傷はすぐに塞がった。
けど、しばらくは呪いのように傷跡が残る。
ある日、その事に父、ルキフェルは気付いてしまう。
それが誰につけられたモノかは解らないようだったけど、
バアルという悪魔にこっそり私の監視をさせた。
そして、その傷が誰によりつけられたものかが解ると、ルキフェルは私の所にやってきて優しく声をかけてくれた。
すまない、リルム。
大丈夫、私が守るから。
君が女の子でも、必ず魔界の王にしてみせるから。
ずっと、リルムの事を守るからと。
それから、母が私に暴力を振るう事は無くなった。
ある日、父が遠くに出かける事になった。
魔界は広く、その当時、ほとんどが未開拓地らしかった。
私は、胸騒ぎがしてその日は、母が住む魔王城には近づかなかった。
魔王城から遠くにある湖を目印に、骸が敷き詰められた道を進んでいくと、右手の方に花畑がある。
誰が植えたものか、植生しているものかは解らないが、そこが6歳になる私の楽園であり、避難場所でもあった。
そして、ここに住む一匹の小さなコウモリが私の唯一の友達だ。
そのコウモリに私はその鳴き声からキィちゃんと名付けた。
私はよくこのキィちゃんに悩み事や、楽しかった事を話した。もちろん、キィキィ鳴くだけでまともな返答は得られなかったのだけど。
私は、お腹が空いて我慢出来なくなるまでよくそこにいた。
そこに咲く花は様々だけど、私は名前も知らない黄色い花がお気に入りだった。
こんな大地でも綺麗に咲く花を見て私は癒された。
私も、こんな世界でこの花々の様に咲けるだろうか。
恐らくそれは私には叶わない。
美しく咲く母の望みも叶えられない出来損ないの種には花を咲かせる為の芽さえ出ないだろう。
そこに、血だらけになったバアルがやってくる。
天使狩りでも失敗したのかな?
「ねぇ、大丈夫?バアル?」
花畑を通る度にバアルから流れ落ちる血痕がついた。
「こ、こちらにいらっしゃいましたか・・・。」
そう言うと、バアルは私を抱き抱えて城に連れ戻そうとする。
「いや!私はあそこに戻りたくない!」
少し、首を傾げながら抱える私の顔をのぞき込むバアル。
今進んでいる方向とは逆の方を見ると魔王城が見える。
逆だった。バアルは、城を背にして走っている。
「大丈夫です。もしもの時は貴女様の命をお守りしろとの命を受けています」
「・・・!」
「すいませんね、私の力では太刀打ちできません。あの方は、貴女を、今日」
その先は解っていた。でも、反射的に私は耳を塞ぎその言葉全てを聞き取らないようにした。
バアル執事服からにじみ出る血の量から、その傷の深さと母の本気さが嫌というほど伝わってくる。
一刃の風が吹いた。
何とも言えない甘ったるい香りをのせながら。
それは同時に、母が私達に追いついた事を意味した。
私諸とも、真空の刃で切りつけてくる母。その殆どは私を庇うバアルが受け止めた。
が、それ以上走ることは出来なくなり、私達は骸の道を無様に転げてしまう。
「ダメじゃないの。ちゃんとパパのお留守番してないと」
私に向けられた初めての母親らしい言葉は、おぞましい殺気を含んでいた。
「お仕置きが、きついお仕置きが必要ね・・・。」
ここで私の命は尽きるのだ。
母の力は魔界で一二を争うと言われている。
この力に抗うことなど出来ない。
恐怖というよりは脱力感に近い絶望だった。
母の体がエメラルドの様に輝く光に包まれ、怪しく目が光る。
魔術で、私とバアル共々消し去る気だ。
「おまえ、これで何回目だよ?リリス?」
私はその声の主に驚きを隠せなかった。
私の唯一の友達キィちゃんである!
驚いたのは私だけではないようで、普段から冷静な母も同様を隠せないようでいた。
「な、何者だ貴様!」
「あ?魔界の女王様ともあろうお方が、知らない部下などいるのか?」
母が行使しようとした魔術は、いつの間にか私ではなく、キィちゃんに向けられていた。
「あぶないよ!キィちゃん。」
「まぁ気にすんな。俺の命なんて、リルムの命に比べたら安い。それにこの性悪女リリスの命よりもな。」
「貴様、何者かは知らぬが・・・容赦せぬぞ。その無礼、死で償え」
キィちゃんは、近くにあった枯れ木に逆さに引っかかる。
「無礼ぐらいで死ななきゃならねぇなら・・・
あんたは、600回は死なないと贖罪出来ねぇな」
母は魔力をその爪先に集中させる。
「私に罪などない。」
「本気で言ってんのか?あんたが男を誑かして出来た娘を何人殺した?」
「なにが罪だというのだ。出来損ないを処分してなにが罪だと」
爪先に集められた魔力が解放されると同時に、キィちゃんもその羽を羽ばたかせた。
私はその風切り音に驚いて目を閉じてしまう。
そして、目をあけた時に見た光景は、ズタズタにされた母の姿だった。
「おまえ、何者だ?」
「ん?あぁ・・・俺か?ただの第一世代の悪魔だよ。
形態変化能力を持つ・・・ベルゼブル達の同期。俺はたまたまコウモリのくじを引いただけの・・・。」
「バカな!それだけの力があれば・・・。」
「んなことはどうでもいい。友達を助けんのに理由はいらねぇよな・・・。」
と、次の瞬間キィちゃんの小さな口が変化して、大きな狼ようになる。
母がかみ殺されると思った瞬間、私は自然と母の前に出ていた。
「リルム・・・。」
「母は・・・悪くない。悪いのは私・・・私が女で出来損ないだから」
「おまえがそういうなら仕方ねぇが・・・。だがこいつはある事実を隠している」
「や、やめろ、その事は・・・。」
私にはその言葉の意味が解らなかった。
「おまえの母親は呪われている。
ルキフェルがこの大地に墜ちてくる前から。
こいつは・・・自らと同じ業を背負う女しか生めない体になっている。
そして、その事を自覚していながら子を産む。
出来損ない・・・不完全なのはこの女の方さ」
母が不完全、出来損ないであるなど信じられない。
魔界の王の横に座し、女王として君臨する母が出来損ない・・・私と一緒?
私は、母の顔を見た。
そこに、いつもの母はいなかった。
ただ怯え、震え、焦燥するだけの女の姿があった。
けれども、私は初めてそんな母を好きになれそうな気がした。
「お母さん・・・!」
母の爪先が、私の腹部を貫いている。
「やめろ、そんな目で私をみるな。同じ目でみるな。哀れみなどいらぬ・・・!!
この体は呪われている!あいつらの手によって!そしてその呪いは一生引き継がれていくのだ!」
再び、私に絶望が襲いかかる。
と同時に、それまでには無かった感情が芽生えた。
怒り、憤怒である。
過去何十人と、母に殺され続けた私と同じ境遇の姉妹達。ここで、止めなければと思った。
けれども、私にはそんな力はない。
体は頑丈だけどそれだけ、頑丈だけど母から受けた傷に耐え得るだけの命は無いようだ。
薄れゆく意識の中で、ふと疑問が浮かび上がる。
果たして受け継いだのはこの頑丈さだけだろうか。
そもそも私はその力を行使する機会に恵まれなかった。
ただただ出来損ないとして、抑圧され自らを押さえ込む事しかしてこなかった。
ごめんね、顔も見たこともないお姉ちゃん達・・・。最後に、少しでも彼女たちの為に一矢報いたかった。
けどそれももう遅い。やっぱり私は母の言うとおり出来損ないだ。
私が最後に聞いたのは、母のその狂気で歪んだ笑い声だった。
目を覚ますと、私は父ルキフェルに腕に抱かれていた。
「パパ・・・?」
「大丈夫かい?リルム・・・もう大丈夫だよ?」
その頭にはキィちゃんも乗っかている。
私は生きていたようだ。
「母、母上は!?」
すると、曇った表情になる父。
私は嫌な予感がして、父の腕から這い出して立ちあがる。
そして、当りを見渡すと、母の姿が眼に入る。
慌てて近付くと、そこにかつての母の面影はなかった。
母はただただ力なく空を見上げているだけで動かない。
いや、動けないでいた。
母の体には幾つもの赤い槍が貫通し、顔以外は原形を留めていない。
私は愕然とした。
あの槍が誰によって成されたものかが感覚的に解ってしまったからだ。
私と同じ魔力の匂いを放つそれは、間違い無く、この私によるものだ。
私は、こんな結果など求めていなかったと思う。
けれども、私が願うもう一つの理想も、実現する事は一生ないように思えた。
そう考えたら、今まで我慢してきた涙がポロポロ流れてきた。
私の横に包帯を体中に巻いたバアルが立つ。
「リルムお嬢様がこうしなければ、私達は恐らく死んでいました。
あなたは、私達を・・・・」
「わかってる。全部解ってるの」
それ以上バアルは何も言わなくて、ただただ横に居てくれた。
私は、その呪いを受け継いでいた。
でも、もしこの力で誰かが救えるなら、私は臆することなくそれを行使する。
それが私が母から受け継いだ業であると信じて。
その後、私が16歳を迎える頃、新しい女王を迎えた父上との間に第二子の男の子が生まれる。
私は、その子に保留中だった王位継承権を譲り、友達のキィちゃんと供に旅をする事にした。
魔界はまだまだ広い。
城の中だけでしか生きて来なかった私にはまだまだ知らない事だらけだ。
そして、じっとしていても誰も救えない。
魔王の娘として何か出来る事があるはずだから・・・。
「ねぇ…。キィちゃん。」
「キキ?」
「・・・猫被らないで?貴方一体何者?名前は?」
「キ…ただの悪魔さ。まぁ言うなれば、おまえの友達だな。」
「名前教えてよ?」
「めんどくせぇなぁ・・・。」
「ね?あとで、ドラゴンフルーツとってきてあげるから!」
「アルカードだ」
「キィちゃんの方がいいね…」
「……おふっ」
私の肉体が成長すると供に、薔薇の刻印が体中に広がっていく。
母はこの刻印こそが呪いの証なのだと言った。
この刻印がある限り、永遠の若さと娘しか産めない体を持つことになる。
その呪いは天上の主により刻まれた自分達のとって都合の良い呪い。
母は飼われていたのだ。天上の者によって。
私は母の意思も受け継ぐ。
この呪いは私で終わらせる。
母は恐らく、誰かの意思が干渉して生まれてくる我が子を不憫に思ったのだ。
仕組まれた生になど価値はないと。
だから私は出来損ない。
けど、私はそれでも生きて行こうと思う。
この力が何かの、誰かの役に立つ事を信じて。
~リルム外伝(完)~