005 神明紅焔流初伝
「んー困ったわ。どうしよう?」
デスクワークをする時に愛用している院長用の机で一人溜息をつく女性。
「どうかしたの?溜息なんてしちゃって」
椅子に座って溜息をつく女性に何時もの様にお茶を出し、心配そうに訪ねる年配の女性。
「ミュラーさんありがとう。これを見たら溜息もつきたくなるわよ」
受け取ったお茶を飲もうとする前に一枚の羊皮紙を見えるように渡す。
この世界の支流となっている紙は羊皮紙で、前世のような植物の繊維等で作る上質な紙は、一部の物で使用する以外ではほとんど普及していない。
ちなみにミュラーと言う女性は、今年で六十三歳にもなる御しとやかな女性でこの孤児院が出来た当初からアンネローゼと共に子供たちのお世話をしてくださっている方なのだ。ただし、アンネローゼとミュラーだけでは子供たちのお世話、特に各分野の教育面で支障がきたすため、レカンテート村にある教会から三人のシスターがローテーションでお手伝いに来てくれている。
ミュラーは、アンネローゼから渡された羊皮紙に書かれている文章に目を通し始め、文書を読み終わる頃には、少し困り果てた表情を浮かべていた。
「ヴェラさんの所でもそろそろ在庫が少ないのでしょう」
ミュラーの持つ羊皮紙には、ヴェラからの採取依頼が明記されていたのだ。
採取する野草や薬草の類は、この村の近辺でも取れる物ばかりなのだが、アンネローゼたちが此処まで悩むには訳がある。
半年ほど前に目撃されたギガントボアを警戒していて、子供たちを極力森の方へは、出ないようにしているからだ。ギガントボアが出ないにしてもこの半年、それほど大人たちも森で狩猟に出かけていないため、獣の数がわりと増えてしまっているのも悩みの一つでもあった。
森の獣が増えてくると場合によっては、森から出て子供を襲う可能性もあるため、森近くには今も近寄らないように子供たちには言い聞かせているし、森近辺で取れる野草や薬草は大人たちが合間を見て採取に行っていたりもするが、数はそれ程確保できていない。大人が採取に割り当てられる時間は極僅しかない事も此処にきて大きな痛手だと言えるだろう。
「ヒレハリソウは森の近くでないと自生しないから、子供たちだけで行かせるのは危険だと思うのよね」
ヴェラからの採取依頼の一つでもあるヒレハリソウは、肉の臭みを取ってくれるハーブで、野生の獣の肉の臭みは基本的にこのハーブで臭みを消しているのだ。他にもこの種のハーブは存在するのだが、レカンテート村周辺で採取できるのは、ヒレハリソウしかない。
その場で血抜きなどの工程を手早く済ませる事が出来れば、肉の臭みを少し気にする程度で済ます事が出来るが、血の匂いは他の獣を呼びかねないので狩ってその場での血抜きをする者は少ない。
暫く考えるも答えを出せずにいた所、ミュラーが他の方々にもお手伝いをお願いしてはどうかと案をだす。
「依頼を行う日にちを決めて、司祭様に依頼の日だけイザベラさん、エーメさん、ダーシさんの三名のうち二名にお手伝いで来てもらうの。私も此処に残り、手伝いに来てもらう二人と一緒に残る子供たちの面倒を看ますから、アンネさんは手の空いた大人たちや非番の兵士さんたちに同伴してもらって、採取できる子供たちと共に依頼をしてきたらどうでしょうか?」
司祭にお願いする段階でわかると思うが、イザベラ、エーメ、ダーシの三人は教会で働く修道女だ。毎日ローテーションで三人のうち一人が孤児院にお手伝いに来てくれている。
ミュラーの案を真剣に考えるアンネローゼ。
彼女の中では、ミュラーの案は理想的で現実的な物なのだが、ヴェラからの依頼でこれだけの人(村の大人や兵士)たち協力を求めて良いのだろうかと言う点で悩んでしまっている。
恐らく、皆嫌な顔一つせずに協力してくれるだろうとは思うが、それでも頼む側からすれば申し訳ない気持ちになるし、依頼者であるヴェラもちょっと大事になりすぎて同じような気持ちになるのではないかと思うからだ。
「迷惑がかかってしまう事を気にするのであれば、依頼内容以外にも野草や薬草、小動物などいつもより多くとってそれらを協力してくれた方々に分配してはどう?」
アンネローゼが悩んでいる内容を的確に読み取り更に案を出すあたり、長年一緒に働くだけでなく、年長としての経験が違うと思える。
「それが、良いかもしれないわね。狩りが出来る子供たちには、狩りをしてもらってできない子供たちに採取に回ってもらいましょう」
「オリバー君のグループとユリアーヌ君のグループの両方が参加決定ですね」
ミュラーの言うオリバーのグループは、最年長のオリバーとルーカス、一歳年下のヘンリーの三人で構成された狩猟メンバーで、ユリアーヌのグループは、ユリアーヌにクルト、ヨハンの三人で構成された狩猟メンバーである。オリバーたちの方が狩猟歴も年齢も高いのだが、実力はユリアーヌたちの方が数段上のため成績は、此方の方が断然良いのだ。
「それとレオンハルト君とシャルロットちゃん、リーゼロッテの三人でグループを組ませて、今回から狩猟の方に回ってもらおうと思うの」
アンネローゼの言葉に少し驚いてしまうミュラー。
驚くのも当然で、レオンハルトにシャルロット、そしてリーゼロッテの三人はまだ五歳の子供だ。一応狩猟メンバーになれる年齢も五歳からではあるが、今まで五歳から狩猟メンバーになった者は一人もいない。戦闘の才能に秀でているユリアーヌですら六歳から狩猟のメンバーに選ばれたぐらいなのだから。
それに、普段は現狩猟メンバーの中に新しく参加する子供たちを入れて、狩りの方法などを現狩猟メンバーに聞いたりするのだが、今回はそれすら飛ばそうとしているのだ。
もう少し、状況が落ち着いてからでも良いような気がするミュラーだったが、先日のアンネローゼの言葉を思い出す。
レオンハルトの実力がユリアーヌと互角かそれ以上で、魔法の方もヨハンを超える才能を持っていると言っていた。シャルロットの実力もレオンハルトから戦い方を教わり強くなっているし、魔法の才能はレオンハルト以上あるかもしれないとまで言い、リーゼロッテの実力はクルトよりも下だが、オリバーたちのグループよりは強いと言っていたのだ。
確かに三人の実力は半年程前に比べると明らかに急成長している。空き時間に訓練している姿も良く目撃するようになった。
当初は、ユリアーヌのように強くなりたくて我武者羅に頑張っている風に見えていたが、変わった武器を作るようになってからはアンネローゼも知らない剣術や槍術など多種多様の戦闘技術を身に着けだしていると言う事も聞いていた。
アンネローゼを疑うわけではないが、孫もしくは曾孫程の子供を心配しない者はいない。
「ミュラー心配しなくても、一度実力試験はするわよ?早速で悪いんだけど先程の九名を此処に呼んでちょうだい」
普段の狩猟よりも危険が伴うので、本人たちに確認の意思を聞くのだと言う。普段は、狩猟と言っても危険を冒すようなことはしない。十歳未満の子供に狼や熊、猪などの獣は危険すぎるため、フェザーラビットの様な殆ど危害を加えない獣しか相手にさせていない。
今回もフェザーラビット等を狩ってもらう予定だが、森から魔物は出ないだろうが狼等の獣は、出てくる可能性が十分にあるのだ。
子供たちに害をなす獣や万が一魔物が出てきたとしても、自分が引率するし、大人や警備の兵士も参加してもらえれば、大丈夫だと何度も自分に言い聞かせるアンネローゼ。
狩猟メンバーの子供たちには、他の子供たちの避難誘導をしてもらう事もきちんと伝えておかなくては思っている時に部屋の扉をノックする音が聞こえた。
「此処までが今回の依頼の危険性の部分ね。当然、私も同伴しますし、兵士の方々にも協力してもらうつもりよ。でも、それでも狩猟担当の君たちは他の子供たちよりも危険な位置にいると言う所はわかってほしいから集まってもらったの」
アンネローゼは、ミュラーが連れてきた九人の狩猟メンバーに今回の依頼の事を説明した。当然危険がいつも以上にある事も付け加えたし、危険が発生した時の手順も教えた。
「アンネ先生、僕たちが呼ばれたのはメンバーだからわかるけど、レオンハルトたちが呼ばれたのは何で?」
呼び出されたのは、主に狩猟メンバーでアンネローゼからの話の内容もそれにかかわる事は、呼ばれた子供たちも理解はできた。だが、狩猟メンバーでもない三名が此処に呼ばれた事に疑問を持ったヘンリーがその疑問をアンネローゼに直接聞く。
(ヘンリーの言うとおりだ。俺やシャル、リーゼがこの場に呼ばれるのはおかしい。どちらかと言うと採取中に他の子供たちの事も気を配れとか言われる方がまだ納得が出来るが、アンネ先生の説明だとどちらかと言うと俺たちにも狩猟の方へ参加してほしいみたいな言い方だった)
「ねぇ私たちも狩りの方へ回されると思う?」
隣で聞いていたシャルロットが、周囲には聞こえないように小声で訪ねる。
「分からないが、その可能性の方が強いかもしれないな」
(可能性が強い?いやほぼ狩りの方へ回されるのだろうな。ただ、俺たちはまだ狩猟の経験がないのに初めての狩猟が危険な物って言うのはどういうことだ?)
「レオンハルト君、シャルロットちゃん、リーゼロッテの三名は、この後私と模擬戦を行ってもらいます。そのあとで正式に狩猟メンバーに加えたいと思っているわ。それにみんなの方がこの三人の実力をよく知っていると思うけど?」
「たしかに、レオンハルトはユリアーヌと互角以上に戦えるから自分やオリバーよりも強いですし、魔法も彼らにはあります。狩猟メンバーに加われば、より安全に他の子供たちを守る事が出来るわけか」
アンネローゼの言葉を素直に聞き入れるルーカス。他の子供たちも皆納得した様子だった。
まだ、最年長のオリバーとルーカスですら、九歳児の子供だ。そんな子供がこんな大人顔負けの考えが出来る事の方がすごいのではと思ってしまう前世の記憶を持つ二人。
前世の九歳児と言ったら、基本友達とゲームしたり公園で遊んだりと遊ぶこと優先にしているのが普通だった。でもこの世界は、小さい子供ですら働かなければならない。いや、遊ぶ事よりも生きる事を優先させているそんな感じがする。前世よりも技術的な事や知識的な部分は大分劣っていても、生と言う意味を前世の人たちよりもしっかり認識して今を生きている様に感じられるのだ。
レオンハルトたちの模擬戦を何時頃にするか話し合っていた時に、今からでも大丈夫ですと三人が言ったため、すぐさま準備にかかり訓練場へ向かった。
「まずは、魔法抜きの実力試験をして、そのあとに魔法込みの試験にしましょうか」
「アンネ先生、私使う武器が弓なのですが、どうしたらよろしいですか?」
剣を使うリーゼロッテ、刀を使うレオンハルト。二人と違って中距離からの戦闘をするシャルロットにとっては、戦い方がまるで違う。
同じく剣を使うアンネローゼとでは、どう考えても不利になる。
「そうね。私からは余程の事がない限り反撃をしないから、三人ともバシバシ私に攻撃してきていいわよ」
アンネローゼが子供相手に余裕を出しているわけではない。アンネローゼ自身、元凄腕の冒険者をしていたため、実力は高い。確かに子供に負けるとは考えていないが、手を抜くつもりもない。
「あっ!!でも、時々危険察知や回避能力を知るために攻撃は、稀にするからね」
模擬戦はリーゼロッテから始まり、シャルロットが次に行った。どちらもアンネローゼには、一撃を与える事が出来なかったものの実力を認められ狩猟メンバーの参加許可が出た。
「次は、レオンハルト君ね。あなたは、ちょっと実力が図れないから此方も少し本気を出すから注意してね」
リーゼロッテとシャルロットの模擬戦ではどうやら本気を出していなかったようだ。まあ当然とも言える。普通、五歳児相手に本気は出さない。
先程の試合もアンネローゼは、本気のほの字すら見せていなかった。ただし、油断もしていなかったが。仮に油断していたらシャルロット辺りが一発ダメージを与えていてもおかしくはないからだ。
お互いにある程度距離を置いて、手に持つ獲物を構える。
アンネローゼが持つ獲物は、先程の二試合でも使用していた木剣、レオンハルトが持つ獲物は、木刀だ。何かあってはと言う事で、刃の付いたものは最初から使用していない。
お互いに始まりの合図を待つ。
(この子本当に五歳児なの?滲み出る気迫が一流の冒険者とほとんど変わらないわね)
(アンネ先生、強いな。構えに隙が見当たらない。こうなれば先制攻撃で一気に切り崩すか)
・・・・・・
・・・
「両者、始めっ!!」
合図とともにレオンハルトは思いっきり地面を蹴ってアンネローゼとの距離を縮める。
アンネローゼは、様子を見るようにその場を動かず、持っている木剣を構えなおす。
(素直に突撃してくる?いやこの子は・・・・)
レオンハルトは、数秒でアンネローゼに攻撃が届く範囲につくと突撃の勢いを殺さずにそのまま右手に持つ木刀を右から左に薙ぎ払う。
(初撃は、防ぐ。そして、二撃目はっ!!なにっ?)
初撃の衝撃が来ると思っていたアンネローゼは、その衝撃が来ない事に不信感を持つ。レオンハルトはすでに右手を振り抜いているから、衝撃が来ない事はおかしい。
慌てて彼の右手を見ると先程まで右手にあった木刀は彼の右手には存在していなかった。
(フェイントからの一撃っ!!)
木刀の行方を探す。
レオンハルトは、何も持っていない右手を振り抜き、その勢いのまま回転、右手からすり抜け空中に漂う木刀を左手で掴み、姿勢を落とす。その状態から瞬時にアンネローゼが防御できていない腹部を横一線で斬り付ける。
乾いた大きな音が周囲に響く。
アンネローゼは、フェイントを受けた事で次に来るであろう攻撃を予測し、即座に木剣を盾代わりにしてレオンハルトの攻撃を受け止めた。
だが、攻撃はそれで終わったわけではない。低い姿勢からの跳躍、間髪入れず二撃目、三撃目と左手に持つ木刀がアンネローゼを襲う。
(距離を取らないと不味いっ!!)
二撃目は防いだが、三撃目はレオンハルトごと剣戟を弾き飛ばした。
(やはり力押しされると確実に負けるな・・・・・なら、剣速で攻める)
弾き飛ばされたレオンハルトは、その勢いを利用し、更に距離を離す。
お互いに一息入れることなく構えを直し、再び動き始める。
左手に持つ木刀を逆手持ちに変更。持ち方を変えた事でアンネローゼの警戒もより一層強める。
レオンハルトは、右手で木刀の柄を掴み攻撃範囲内にアンネローゼを捕らえると居合抜刀術を抜き放つ。移動しながらの居合は普通の居合よりも扱いが難しいが、このあたりに関しては前世で良く使用していたレオンハルトにとってそれ程難しい技術でもない。
「せいっ」
初見で防ぐのは難しい最中、アンネローゼはギリギリの所で防御に成功する。これが真剣の場合は、防御が間に合わない感じの反応速度だったが今回は木刀だったため剣速が一段も二段も劣ってしまった。
(速ッ!!!何とか反応できたけど、次は絶対に反応できないわね。本当に恐ろしい子ね、君は・・・)
そこからは激しい攻防が繰り広げられるが、これはあくまでレオンハルトの実力を見る為の試合。これだけ戦えるのであれば問題ないと判断したアンネローゼは、試合を終わらせるべくレオンハルトから距離を取った。
「中々驚かされたわ。レオンハルトくんも問題なく合格ね。魔法の方はこのまま続けても大丈夫?」
アンネローゼの問いに答え、すぐさま魔法戦を始める。魔法戦は、レオンハルトが序盤から身体能力向上の魔法を使い先程と同じ剣術で仕掛けるが、対するアンネローゼは自身の周囲の大気の温度を下げ、ついでに罠も仕掛けた。
結果は、温度を下げられた事でレオンハルトの動きが鈍くなり、攻撃を防ぐのではなく回避し続ける。躱され続ける事で、時折風や火などの魔法を放つも水の壁によって届かず、地面から突き出す氷柱に苦戦すると言う状態になってしまった。
武術は経験で対応できるが、魔法戦の経験がほとんどないレオンハルトは、実力の半分も出せず、終わった。まあレオンハルトに限らず、他の二人も魔法戦ではそれほど成果を出せていないし、レオンハルトとシャルロットに関して言えば、実力の半分も出さなかったと言う方が正しい。
全力で戦えば、恐らく勝てる可能性は十分に高いが、実際自分たちの全力が何処まであるのかを把握しきれていない現状。全力を出す気はなかったのだ。
「魔法の方も三人とも経験が少ないにしては、よくやっていたと思うわ。これは本格的に魔法での戦い方も教えた方が良いかしら?」
「アンネさん、指導熱心なのは良いことですけれど、目的を忘れないようにしてくださいね」
他の狩猟メンバーと一緒に見ていたミュラーが、アンネローゼを嗜める。こうやってアンネローゼが脱線しかかった時は、大体ミュラーが軌道修正したりするのだが、今回もものの見事に修正された。
「それにしてもレオンハルト君は、とっても強くなりましたね。見た事のない武器も使っているようですし、もしかしたら鍛冶師としてもやっていけるかもしれませんね」
その後、何時依頼の日を決行するのか、何処で採取をするのかなど詳しく話を煮詰めていった。
依頼の話を煮詰めてから一週間が過ぎた。
今日は、アンネローゼを含む大人たちが同伴の狩猟兼採取依頼のお仕事を決行する日だ。
出発までには、まだ時間はあるがレオンハルトは自室に戻り出発をするための準備の再確認をしていた。
とは言いつつも、遠出をする訳でもないのでそこまで畏まった物は準備をする必要がない。必要な物をしては、狩猟に必要な罠の道具や武器、それに獲物を入れるための籠ぐらいだ。
では何を準備しているのかと言うと、主に武器の手入れだ。
アンネローゼからサバイバルナイフと普通より短い剣、俗にショートソードと呼ばれる剣を更に子供サイズに合わせた剣を準備してくれた。
サバイバルナイフは、狩猟メンバーは誰もが所持している物だが、今回支給された剣は狩猟メンバー全員に手渡された。
普段からこの様な物を渡されたことがないオリバーやルーカスたち年長者組やユリアーヌやクルトたちの親友組ですら、手渡されたことに驚いていた。
孤児院の財政から考えてもこの様な武器を人数分揃えるのは、難しいのではないかと考えたのだが、そこは特に気にしなくても良いと手渡された時に言われた言葉だ。何でも、この孤児院は思いのほか財政に困ってはいないそうだ。
ただ、節約をしなければあっと言う間に財政が厳しくなるので、普段は節制を務めているし、今回の武器はアンネローゼが昔冒険者をしていた時の予備の武器だ。しかも、使い捨てレベルの武器だったものを今回皆に配ったので、財政的にも特に問題はないのだ。
ショートソードが使われる事は、無いとは思うが仮に不測の事態が起こった時には、これを使うように言い聞かされてもいる。
「切れ味はあまり良いとは言えないな。まあ確かに無いよりはマシなレベルではあるのだろうが・・・・」
暫く、ショートソードを鞘からだし、眺めていたが結局のところ使う機会があってもこの剣は使わないだろうなと心の中で考えるレオンハルト。お手製の腰ベルトには、日ごろから訓練で使用する木刀を装備させている。基本的に木刀に風の魔法で刃を纏わせ疑似日本刀として扱うし、同じように木製の小型ナイフや木製のクナイなども用意をしている。
ショートソードを使用するものは、狩猟メンバーでは半分もいないのが実情だ。ユリアーヌは、稼いだお金で自分専用の槍を持っているし、クルトも短剣を二本所持している。ヨハンは魔法がメインなので魔法が使用しやすいよう杖を持って戦うそうだ。シャルロットは木で作った弓を渡しているし、リーゼロッテもレオンハルトと同じように木剣に魔法を纏わせて戦うスタイルで行くらしい。故に支給されたショートソードを主に使うのは、オリバーとルーカス、ヘンリーの三人だ。ヘンリーは稼いだお金を武器購入に使った事がないから、武器そのものはサバイバルナイフしかない。オリバーとルーカスは剣と盾を買ったことがあるが、剣の方は支給されたものよりもグレードが落ちるため、今回は使用しないようにしたらしい。
扉の向こうに人の気配を感じるとノックをする音が聞こえた。
「レオンくん。シャルロットだけど、今時間あるかな?」
何かあったのだろうかと思い、返事をした後扉をあける。鍵とかが付いているわけでもないから、声をかけて入ってきてもらえば良いのだろうが、偶々立って作業していたこともあり、扉を開けに行ったのだ。
入って来るシャルロットはどこか不安そうな表情をしていた。
「もう少し、もう少ししたら出発だね」
表情以外に彼女の発する声からも現在不安に陥っている事が分かった。
「何か心配か?シャルは、狩猟メンバーに選ばれてからこの一週間、いつも以上に頑張っていたじゃないか?不安に思う事はどこにもないさ。それにもしもの時は俺がシャルを守るから」
自分で言っていて思うが、なんて恥ずかしい言葉を平然と伝えているんだと。シャルロットの方も顔が赤いのがはっきり分かるぐらい照れていた。
けど、この誓いは何があっても守ると決めている。前世で果たせず守る事が出来なかったこの思い。好きな女性を守れなかった気持ちを二度と味わう事がないように、大切な人を守れるよう強くなろうと猛特訓をしてきた。前世の記憶(経験と技術)、自称神のヴァーリから恩恵と知識、この世界で育んだ魔法と新しい戦術、これらすべてを使って守ると。
ただ、レオンハルトの言葉にシャルロット以外の人間も聞いていたようで、開けっ放しになっていた扉からその人影がこっそり出てくる。
「へー、シャルちゃんだけ守るんだ。ふーん」
「え?え?リーゼちゃん?」
「何か意図する言い方だな?」
こっそり現れたのは、リーゼロッテだった。彼女の方は、特に不安とか心配と言った様子は見受けられない。シャルロットとは別の用事でここに訪れたようである。
レオンハルトの言葉を聞かれたシャルロットは更に顔が赤くなってしまった。
(おいおい。五歳児の子供に言い負かされてどうするんだ?確かに恥ずかしい台詞を口にしたのは俺だけれど。そこまで意識する事なのか?)
シャルロットの行動を不思議に思うレオンハルト。これがお互い好意を寄せている事を知っていれば、理由もわかるのだがお互いにその事を知らない現状、なぜそこまで照れているのか分かっていないのだ。
逆にシャルロットの方もレオンハルトが、好意を寄せている事はわかっていない。いつも自分の事を気にかけてくれるのは、前世の記憶を持つ唯一の仲間で友達で、守れなかった事への償いなのだと思っているからである。だからこそ、今回の様な何が起こるか分からない危険な事で私を守ろうと無茶をして命を落としたりしないか心配しているのである。
それ故に、シャルロットは強くなろうとレオンハルトに戦い方を教わっているのだけれど、今の実力が何処まで通じるのかがわからないから余計に不安になっているのだ。
だが、そんな不安を取り除く様にリーゼロッテが口をはさんできた。
「だって、俺がシャルを守るだもんねー」
「もー、リーゼちゃん何でそこだけ強調して言うのーそれに二回も言わなくていいよー」
顔を赤くしながら怒るシャルロット。いつしかその表情には不安や心配と言った物が見受けられなくなっていた。
恐らく何かの用事でここに来たであろうリーゼロッテは、部屋の中で不安げにしているシャルロットを見て元気づけようとしたのだと彼女の表情を見て理解した。
所で、彼女の用事は何なのだろう?と思いその事を尋ねると、如何やらが出発の時間が近づき、最後の打ち合わせを行うとの事で、呼びに来てくれたのだと知り、三人で食堂に行くことにした。
打ち合わせは、基本的に何をどこで採取するのか。単独行動は禁止、最低でも三人一組で動くこと。集団から離れない事。森に近づかない事など再度皆に言い聞かせる物だった。
それと、今回参加する採取担当がいつもよりも人数的に多いので、収穫した物を入れる籠だけでなく、魔法の袋と呼ばれる魔道具も準備する。魔道具は、魔導技師と言う職人が道具そのものを魔法で加工し、魔力を付与させたりする。ただし、四大系統魔法の一つ付与魔法とは少し異なる。付与魔法は、一時的若しくは一定時間内が効果の対象になるのだが、魔導技師の作る魔道具は、魔力を定期的に補充すれば半永続的に使用できる物から一度の補充で永久的に使用できる物まで幅広く作れるのだ。ただし、どちらにも長所と短所が存在している。
そうでなければ、一時的にしか作用しない付与魔法はただの不遇な魔法になってしまうからだ。
でも実際、付与魔法が不遇されることはないだろう。理由は、付与魔法の方は魔法を使う側の技量で効果そのものが変化するが、魔道具の方は作成者の技量もあるがどちらかと言うと所有者の魔力に依存してしまう物も多い。また、魔力を持たない人でも使えるようにするには更に難易度の高い技術が必要になるし、作成に必要な材料も増えてしまう。結果高い値段になってしまって、中々手が出せない代物になるのだ。ついでに行ってしまえば、魔道具は基本、固有型と呼ばれる所有者固定の物が一般的で、誰でも使える汎用型同じ物でも値段が格段に跳ね上がる。では、汎用型の上魔力のない人でも使える魔道具は一体どれほどの値段が付くのか分かったものではない。故に魔道具は便利だが、富裕層や絶対に必要と言う物以外にはおいそれと買う事が出来ないのだ。
それにもう一つ、魔導技師の人口が圧倒的に少ないことも理由としてあげられる。付与魔法は付与魔法の才能がなければ使用できないが、魔導技師は道具を制作する技術と魔法による加工技術、知識など幅広い技能と才能が必要となってくるので人口が少ないのだ。
話を戻そう。魔法の袋とは、魔力で中に入る容量を拡張した物の事を言う。見た目はただの巾着袋見たいなのに所有者の魔力量に応じてその容量を拡張できるのだ。所有魔力量が少ない者ならば、容量も大きな鞄程度しかないが、魔力量がそこそこある者は馬車や小屋レベルで保有できる、多い者はそれこそ上限がないぐらいだ。流石に海の海水をすべて入れれるかと言えば分からない。過去にそれだけの魔力量を保有したものがいないからだ。過去最も魔力量が多かった者でも貴族の大豪邸並みだったと書物に記載されていたので、上限はそのくらいなのだろうと認識されている。
魔法の袋は、アンネローゼの所有物で種類も一般的な固有型の物だ。本人は魔力を持っている事から誰でも使用できる魔道具でもない。
一番市販化されている分類の物だ。
孤児院を出発して村の出入り口付近まで進むと依頼の手助けをしてくれる大人や警備の兵士が待機していてくれていた。急ぎ足で進み待たせてしまった事を謝罪するアンネローゼ。どうやら自分たちが最後だったようだ。
それにしても、参加する大人や兵士たちが持っている武器や防具が何とも頼りない感じが犇々(ひしひし)と伝わってくる。腰にぶら下げる剣は、鍛冶屋のバーゲンセールで購入したような安っぽい剣に左手に持っているバックラーは、木製で出来ていて所々鉄で補強している感じだが、大槌とか大斧なんかの重量系の武器で攻撃されたら簡単に壊れてしまいそうな物だった。防具も動物の皮などを加工して作っている革鎧を着用している。動きやすさを軽さはあるが、耐久度が鉄系の物に比べると幾分か落ちてしまう。
兵士たちはそれらより多少マシな感じだが、だからと言って良い物には見えない。防具も革鎧から鉄の胸当てに変わり、脚や腕、腰に追加の防具を装着しているぐらいだ。
大人が四人、警備の兵士が三人加わりそのまま村を後にする。
道中は、ちらほら小動物はいたが、今から狩りをして現地に行くには大変だろうとの事で事前に道中の狩りはしないように取り決めていた。
村を出て四半刻弱で目的地に着いた。
「さて、皆さん分かっていると思いますけど、くれぐれも一人で行動してはだめよ。それと遠くに行く事。森の中の散策は絶対だめだからね。わかった?」
アンネローゼの注意を再三にわたって子供たちに伝える。まるで小学生低学年の頃の遠足で先生が注意していたようなそんな感覚を思い出してしまった。
子供たちの返事を聞くと次に何を採取するのか、特に依頼されている物は出来るだけ採取する事も再度説明する。
そんな姿を見ながら大人たちは、周囲を少し見て回っていた。時々、大人たちが危険な獣は駆除したり、間引いたりしていたので、このあたりに害をなす獣はいないと思うが、一応確認のために見て回っていたのだ。
どうやら、この周囲に危険な獣はいない事がわかり、それぞれのポジションに着いた。大人たちも二人一組で行動する事が打ち合わせ段階で決まっていたので、アンネローゼは一緒に組む兵士に声をかけ、一番森に近い周囲を警戒する事にした。
「よっしゃー沢山捕まえるぞー」
一人テンションの高いクルト。ここ最近は、あまり狩猟に時間を取る事が出来なかったので、人一倍気合を入れているそうだ。
当然、ブレーキ役でもあるヨハンが、それに対して釘を刺していた。
だが、普段ならある程度テンションを落とす事が出来るはずなのに、今回はそれがいまいち効果をないしていないようにも感じる。
理由は、簡単。
ここ数ヶ月、まともに狩猟をしていないため孤児院で出る食事がかなり貧しい物になっていたからだ。貧しいと言ってもパンとスープとか、パンのみとかの生活ではないけれど、肉の量が狩猟に出ていた時の四分の一程度になり、野菜やイモ類が主になっていたからだ。
狩猟で肉が出ていた当初でも子供自体が四十人近くいる事を考えれば、子供たちが満足する程の量が出る事自体あまりないのだけれど、それでも美味しい物があるかないかで大きく変わる。
(この世界って食事の質が地球にいた時よりも数段落ちているよな。食べ物の有難みが身に染みるよ。全く・・・・)
レオンハルトが、思っているのも当然である。何せパンは地球のモチモチしたフカフカな柔らかいパンではなく。パサパサしていて?み切るのが難しい物からカチカチに硬いパンが主流だし、スープも本当に薄味だ。味付けした?って聞きたくなるぐらいで、もしかしたら調味料が入っていないのかって思う程の時もあるのだ。野菜は生か炒めたかで、魚はただ焼くだけ、肉もただ焼くだけの質素さだ。
クルトのように肉があれば何も言う事はないと言うようなテンションの高さにはなれない。なれないが、やはりお肉が食べたいと思うのは男の子だからであろう。
シャルロットや他の半数近くの女の子たちは、野菜の方をたくさん食べていたりする。リーゼロッテを含む残りの半数は、肉にがっついたりしているけれど・・・。
「そっちに追い込むよ」
持っていた石を標的の傍へ力強く投げる。突然飛来してきた石に驚き、慌てて反対方向へ逃げるフェザーラビット。
的確なポイントで投げられた石により、逃げる方向を事前に誘導する事が出来、逃げた先には当然待ち構える者がいる。
「とりゃあ」
茂みから現れたリーゼロッテの振るう木剣によって見事地面に叩きつけられるフェザーラビット。その衝撃で完全に気絶してしまったのか、起き上がって逃走する気配がない。
すかさず、持っていたサバイバルナイフで心臓を一突きする。一瞬、雷でも打たれたのかと言うような痙攣を起こすがそのまま力尽きるように動かなくなる。普通に考えたら可哀そうな気がしなくもないが、そんな事は行っていられない。
前世でも牛やら豚、鶏なんかを普通に食べている。それと大して変わらない。ただ殺傷している所から自分でするか、殺傷されて動物が加工されスーパーなどに挽肉などになって売られているかの違いだ。
寧ろ、前世の方が余程酷いようにも感じる。大量にスーパーに並べられても売れ残ってしまったら、そのまま捨てられたりもする。それでは、何のために殺されたのか分からない。食べるために狩られるフェザーラビットの方が幾分マシに見える。
「血抜き今するのか?」
普通であれば、そのまま棒にでも吊るして血抜き作業をするのだが、血の匂いを嗅いで獣が近づいて来る可能性もあるので、今回はアンネローゼの持つ魔法の袋の中に収納してもらう事にする。
ただ、毎回狩るたびに持って行くのは効率が悪いので、数羽捕まえてから持って行くと言う事に話し合いの結果決まった。
レオンハルトの奇襲や誘導、シャルロットの狙撃、リーゼロッテの待ち伏せや不意打ち、その他に罠や魔法で捕ったりしている。
これだけ聞いていると何だか卑怯な集団に聞こえそうだが、実際狩りとはこのような物だ。
正面から立ち向かうのは、狩りとは言いにくいし、そもそも成功の確率が大幅に減少してしまう。
ユリアーヌたちのグループやオリバーたちのグループも基本、奇襲や追い込み、魔法に遠隔攻撃、罠などが多い。
四半刻ほどで、そこそこの数が捕れたのでアンネローゼの所に持って行く。途中、薬草とかも見つけなので一緒に採取しておいた。
「レオンハルト君達もたくさん捕まえたみたいね。初めての狩りなのにすごいよ。少し休憩したら、またお願いね」
どうやら、他のメンバーもアンネローゼに定期的に渡しに来ていたようだ。まあ捕まえた獲物の新鮮さが失われてしまう程、肉の旨味も減ってしまう。だから他のメンバーも捕まえては持ってきているようだった。
アンネローゼに渡した後は、軽く休憩をしてから先程とは別の狩場を目指して出発する。
「あの子たちは、今回が初めての狩りなのかい?」
アンネローゼと一緒に警備する兵士が周囲を警戒しながらも話しかけてきた。
「そうなのよ。最近特に力を付けてきてね。潜在能力は私以上かもしれないわ」
会話をしながら、腰のベルトに装着している投擲用のナイフを抜き、鮮やかなフォームでナイフを投げる。投げられたナイフはそのままフェザーラビットの首に突き刺さり、絶命させた。
「あははは。アンネさん以上っていくら何でも言いすぎなのでは?」
兵士は、あまりにも自然に投げたナイフを見て、乾いた笑い方をしていた。アンネローゼが元凄腕の冒険者だったことは、村の人皆が知っている。そんな彼女が自分よりも潜在能力が高いと言っている事が、兵士にとって冗談にしか聞こえなかったからだ。ただ、その兵士もレオンハルトたちの実力が相当なものだと言う事は何となく理解できていた。
出発前に彼らが狩猟初めての日だと言っていたのに、実際に狩りをさせてみれば、誰よりも多くの獲物を捕ってきていたからだ。だから、咄嗟に本当に初めてなのだろうかと疑問を持ってしまった。
本当に初めてなのであれば、アンネローゼの実力より上かどうかは分からないにしても、今の自分よりは上である事は理解できた。
その証拠が、先程の獲物の数である。兵士も周囲を警戒しながら狩りをしているが、あまり結果を残せていない。襲おうとしても逃げられるし、アンネローゼのように持っている短剣を投擲するも掠りもしないのだ。
そんな兵士が落ち込まない理由は、孤児院の子供たちの技術の水準が、大人たちと遜色ないレベルにあるからだろう。そんな子供たちの集団の中で突出しているのであれば、必然的にそこら辺にいる大人よりも実力があると証明されているからだ。
「でも、アンネさんも大変ですよね。こんな大勢の子供たちの世話をしていて疲れたりしないのですか?」
「そんなことはないですよ。皆とても良い子ですから、毎日楽しいですよ」
「それに・・・っ!?」
「アンネどうかされましたか?」
アンネローゼと兵士が会話をしている中、一瞬森の方から嫌な予感を感じた。
急いで森の辺りを確認するもこれといって何も感じられない。いや、寧ろ静かすぎる。冒険者時代から培ってきた気配察知を最大限に活用する。
その頃、もう一人森の異変に気が付いた者がいた。
「レオンくんどうしたの?」
(何だ?この胸騒ぎは・・・・森の方からか?)
レオンハルトは、胸騒ぎの正体を突き止めるべく、森の方角へ視線を持って行くも森に異変らしい異変は感じ取れなかった。だが、直感的に何かあると確信がある彼は、探索魔法を使う事にした。
(森の入り口辺りは特に危険な生物はいないな。もう少しエリアを広げて・・・ん?何かが近づいて来ている)
レオンハルトの使用した探索魔法『範囲探索』の効果範囲を広げている時に普段とは別の何かが探索圏内に捕らえた。
精度がまだそこまで高くないので、何を捕らえたのかまでは分からないが、精度が高い者が使用した場合、細かい所まで知る事が出来る。因みに『範囲探索』と言う魔法は、発動した本人を中心に水の波紋のように魔法の余波を広げ、周りに何があるのか知る魔法である。魔力量や使い手の技量でその効果範囲が違ってくる。
レオンハルトが使用した最初の探索魔法は、二百メートル前後だったが、範囲を広げるため二度目の探索魔法は三百五十メートルを少し超えるぐらいの範囲にして使用していたのだ。
その二度目の使用中にその何かを捕らえる事が出来たのだ。
(移動速度が速い。犬・・・いや狼か?なっまずい!!)
何かまではわからないが、大きさ的にその何かを特定する事が出来たのだが、此処にきて状況が不味い方向に向いている事が分かった。
狼らしき何かが出てくる森の出入り口に一番近い人の反応があったのだが、二人組だったことから大人達の誰かだと思っていた反応が、実は子供の反応だったのだ。
「お前らっ!!森から離れろー」
レオンハルトは、大声でその子供たちに注意する。その声に子供たちは何が起こったのか分からず茫然としているが、レオンハルトと同じく異変を察知していたアンネローゼが、すぐさま彼の目線の先の森を見つめる。
見つめると同時に、森から三匹の狼が姿を現した。やや灰色から黒の間ぐらいの毛並みに狼の名前の由来にもなっている二本の尾、獰猛な目つきに鋭い牙と爪、荒々しい雰囲気を纏っていて、いかにも獲物を狙っていますと言う感じだった。
(ツインテールウルフどうして・・・いやそれよりも子供たちを)
アンネローゼはすぐさま左腰に着けていた水筒から空中に水を撒き散らす。次に右手に魔力を集中させ空中に漂う水を水の塊にしていく。水属性魔法『水弾』を無詠唱で発動。魔法で作り出された六つの水の球は、そのままツインテールウルフに向け放つ。
魔法で一から水を生成するよりも元々ある水を利用する方が、魔法の速度が大きく異なる。発動速度は速くなるが、その分デメリットも存在する。一つは魔力制御が普段よりも注意して使用しなければならない事と水自体に魔力が宿っているわけではないので威力がその分落ちてしまうと言う事だ。
威力が落ちてでも今回は、発動速度を優先させた。
六つの『水弾』は、瞬く間に三匹のツインテールウルフの横っ腹に直撃。水属性魔法の中でも初歩の分類に入る魔法のため、倒す事は出来なかったが、大きなダメージは負わせられる。実際初歩と言っても使い手で威力が大きく変わる。覚えたてなら水風船を投げつけられたと言う程度だが、上級の魔法まで使えるような熟練者なら大きなハンマーで殴った様な威力が出せるのだ。
アンネローゼの威力は、ハンマーまでは行かないにしても素手で殴る程度はあり、現に直撃を受けた三匹のツインテールウルフは、姿勢を維持できず地面に転がってしまっている。起き上がるにも痛みからか多少時間がかかっているようで、その隙にアンネローゼが持っていたロングソードを抜き一気に駆け寄った。
起き上がったツインテールウルフは、すぐさま臨戦態勢をとろうとするが、それ以降は何もすることがなかった。
ロングソードを片手に持ったアンネローゼは、ツインテールウルフが臨戦態勢をとる直前に一閃、また一閃と合計三度の銀色の軌跡を作っていた。
銀色の軌跡の後には、鈍い音と共に赤い血飛沫があたりにばら撒かれる。
血飛沫を上げるツインテールウルフは、どの個体も頭部がなくなってしまっている。いや、もっと具体的な表現をすると頭部が地面に転がり落ちているのだ。
突然の出来事とは言え、呼吸するような一連の動きは周囲の者を魅了していた。
俺もその魅了された者の一人だが、すぐさま我に返る。
まだ、彼の胸騒ぎは収まっていない。胸騒ぎの原因がツインテールウルフによるものではなかったと言う事だ。
『範囲探索』を使用する前に別の場所から更に二匹のツインテールウルフが出てくる。それを気配だけで察知し、今度は彼が行動を起こした。
「まって!!危険よ―――」
アンネローゼが静止の声を発するが、その声が届く前にすでに勝敗はついていた。
レオンハルトの持つ木刀が大きく振りかぶり一閃する。丁度ツインテールウルフ二匹の間を振り抜く。傍から見れば何処に攻撃しているんだと言われそうな軌道だが、実際彼の攻撃が空振りする事はなかった。
二匹の間を攻撃したはずの一閃が、二匹のツインテールウルフの頭部に直撃をさせていた。
五歳児の子供が全力で叩いてもたかが知れている。軽い一撃では倒せるはずもないのだが、レオンハルトの攻撃は一般的な大人の攻撃よりも重たい攻撃となってツインテールウルフを襲っていた。
日頃から鍛えていたからといって、そんな超人の様な力は出せない。威力の正体は、身体強化の魔法を自分自身にかけて威力を高めた事にある。
そもそも、大人が剣を持っていたからと言ってそう簡単に倒せるものではない。魔法と言ういわば強力な力があるからこそ戦えると言っても過言ではない。中には常識外れの戦闘能力を持つ者も多いが、それでも一般的には普通の人たちの方が圧倒的に多い。
威力が数段上がった彼の打撃は、人が受ければ一撃で骨を砕ける威力のものになっており、直撃したツインテールウルフの頭は地面に激突。勢いよく走ってきたことで、身体は宙を舞いそのまま首の骨が後屈する形で折れ絶命してしまう。
レオンハルトは自身に身体強化の魔法を掛けただけではなく、武器その物にも強化の魔法をかけていた。そうしなければ木刀は最初の一撃で粉砕してしまう程の威力があったからだ。
当然その事を一瞬で理解できた者は、この場には数名しかいない。
そして、さも当然と言う態度をとっていたのは、たった二人だけ。
その他は、逃げるのに夢中か誘導しながらで状況が理解できていない人たちの方が多かった。
森の方が更に騒がしくなる。
何かから追われるように飛び出してくる複数のツインテールウルフ。
大人たちは、呆気にとられていてもすぐに自分たちの役目を思い出し、武器を取る。アンネローゼや狩猟メンバーも同様に行動に移った。
「急いで子供たちの避難を。私たちは応戦に移ります」
大人たちが二、三匹倒した頃に背筋が凍る感覚に襲われるレオンハルトとアンネローゼ。
それと同時に兵士の悲鳴が聞こえた。
聞こえた方へ視線を向けるもそこには大人の一人が突っ立っているだけであった。二人一組で行動しているはずの大人組の片割れがいない。彼の周囲を見渡すと後方で倒れている兵士がいた。
身に着けている鎧が擦れる金属音が聞こえるから生きてはいるのだろうけれど、その彼の腕は曲がってはいけない方向へ曲がっており、鎧は大きく変形、破損していた。更に悪い事に彼の倒れている地面には少なくない量の血が流れ出ていたのだ。
弱々しい呻き声が聞こえてくる。
彼の所へ駆けつけようとした時、彼の傍にいた生き物が目に入った。
茶色い毛皮を纏い、重量感のある身体から滲み出す荒々しい雰囲気。目は完全に獲物を襲う闘争心で溢れていて、大きな鼻からでる鼻息で草原の草花が大きく揺れる。二本の牙からは赤いドロッとした血液が滴り落ちていた。
前世でも同じ種は存在しており、子供の姿は可愛いが大人の姿は恐怖すら感じさせられる生き物だ。だが、肉自体は癖が強いが美味で牡丹鍋と言う郷土料理も存在する代物だ。
(ボ、ボア・・・・どうして?それより・・・・)
その正体は猪である。此方の世界ではボアと言う呼称で呼ばれているようだが、いたって普通の猪だ。ただ、地球にいる猪よりも体格が良く獰猛ではあるが。
「森からまだ出てくるぞ」
ツインテールウルフを仕留めた別の兵士が森から出てきたボアを目撃し、皆に注意を促す。
最優先事項が多すぎて、動きを止めてしまったアンネローゼ。この森にボアの目撃情報は少ないにも拘らず今目の前にいるボアの数。半年前に目撃されたギガントボアが近くにいる可能性が高い。子供たちの避難も急がせなければならないし、重症の兵士も救わなければならない。森から一匹離れてしまったボアの対処。
一番初めに行動を起こしたのは、アンネローゼでも兵士や大人たち、複数のボアでもない。真っ先に動いたのはユリアーヌだった。
「ヨハンッ!!俺に強化の魔法を!!」
それを号令とするかの如く、次々と行動を起こす狩猟メンバーたち。
「シャル。ユーリの援護を。リーゼは、子供たちの避難を急がせて」
「俺はあの兵士を引きずって来るから、ユーリはそこのボアの相手頼むぞっ」
腕まくりをして準備に入るクルト。
「二人とも身体強化の魔法と武器強化の魔法をかけるから動かないで、<かの者が願うは強靭なる鋼の肉体、振るう力は剛腕、俊敏なる・・・」
両手で持つ杖の先を天へと向け、詠唱をしながら魔法を構築していく。
「・・・それらの力を身に宿らせよ>『身体強化』」
対象者であるユリアーヌとクルトの身体が淡い光に覆われ、身体に溶け込むようになくなる。身体強化の魔法の次に武器強化の魔法へと詠唱を始める。
「<・・・・力を示せ>『武器強化』
ユリアーヌの槍とクルトの剣が青白く光る。レオンハルトもヨハン同様、身体強化と武器強化を掛けなおし、シャルロットとリーゼロッテにも同じ魔法をかける。
「レオン。こっちは任せろ。お前はお前の仕事をしろ」
「わかった。皆も気を付けて」
レオンハルトは森の近くにいるボアの注意を引く為走り、ユリアーヌは兵士を吹き飛ばし、群れから離れたボアの元へ走る。クルトもユリアーヌの後を追うように走った。シャルロットは、全体の援護がしやすい中間地点に移動した後、持っていた弓を準備し矢を番える。リーゼロッテは、逃げ遅れた子供たちの保護に動き、ヨハンは牽制のための魔法の詠唱に入った。
彼らの動きを見て、他の狩猟メンバーは子供たちの誘導を率先して行い。アンネローゼや大人たちは、子供たちが襲われないよう森の近くのボアへ攻撃を仕掛けた。
ボアと人間が戦闘になる前に森から其れは突如として顔をだした。
ボアとは、比べ物にならない大きさに獰猛さを増し、狂気染みた雰囲気と禍々しい牙や各部署から生える角、鋼の様な体毛に覆われたそれが、姿を現す。
大人たちは、戦闘を始める直前に動きを止める。そして、現れたその巨体の生物を目撃し戦意を失う。それ程までに現れた巨体の生物の存在が彼らを恐怖させる。
(やはり居たわね、ギガントボア)
ボアが出てきたところである程度予想していたのだろうアンネローゼは、冷静に現れた一匹のギガントボアを相手にするためその場を移動。
「ギガントボアは私が対応するっ。他は子供たちを避難させながら、迎撃っ」
足を止めていた大人たちは、アンネローゼの激昂で我に返る。
ひと時とはいえ、周囲の変化を確認する大人たちの目に勇猛果敢に戦う子供たちの姿が映る。
ユリアーヌは、群れからはぐれたボアをすでに打ち取っており、群れへ攻撃を仕掛けていた。それを援護するようにシャルロットの遠距離射撃とヨハンの魔法が追撃を掛ける。クルトは、打ち漏らしたボアに止めを刺していた。
反対側には、レオンハルトが単独で群れを蹂躙する。全部を相手にできないようで、数匹あぶれてしまい。子供たちに害をなそうとする個体のみリーゼロッテが対処。他の狩猟メンバーが子供たちの誘導兼護衛をしていたのだ。
大人たちよりも冷静に対応する子供の姿に開いた口が塞がらない様子。
「ハッ!! ヤァッ!!」
風属性を纏った木刀は、真剣と変わらない・・・いや、真剣以上の切れ味でボアを切り刻んでいく。六匹ほど倒したあたりで、不意に森の方を確認する。
ボアはまだ残っているが、どうしても森の方が気になるため、ボアの攻撃を躱し、カウンターとしての斬撃を繰り返しながら、探索魔法『範囲探索』を無詠唱で発動した。脳裏に映写される周囲の状態を確認していくと森の入口よりやや奥に入ったあたりで、アンネローゼが相手取っているのと同等の大きさの個体を四匹確認できた。
悪寒の正体がようやくつかめた。そう感じ取ったレオンハルトは、すぐさま掴んだ情報を皆に知らせる。
「森の奥にギガントボアが潜んでいる!!避難急がせろっ」
叫び終えると今度は、子供たちが避難している方向とは別方向に向かって走り、ある程度距離を取ってから森に向かって無数の風属性魔法『空気砲』を打ち込む。
魔力により空気中の魔力を一か所にかき集め、その中心を起点として空気を圧縮、始めは小さかった空気の球体は練られる魔力量に応じて大きくなりバスケットボール並みのサイズにまで膨れ上がった。空気の球体は、見た目は無色透明に近く火や水と言った派手さもなくパッと見ではわかり難い。ただ、『空気砲』の様なある程度威力のある風属性魔法になると普通の人にも認知できる。レオンハルトの作り出した空気の球体は、空気中の濃度と密度が高い為周囲との空気の境目がはっきり分かるし、球体の中は螺旋が渦巻いている可能様に荒々しい動きをしている。差し詰め小さな台風を閉じ込めている様な感じだ。
打ち込まれた魔法は、空気砲と言う名前には似つかわしくない凶悪な速度で森の入口にある木々に次々着弾していく。空気砲と言うよりは、拳銃の弾みたいな速度で威力はミサイル並みなのだから本当に名前負けしている気がする。
けれど、その威力が出せるのは、本当は一部の人間しかいない。
『空気砲』本来の威力は、人が十数メートル吹き飛ぶ程度で、木々の幹の部分が粉々になるだけの威力はないのだ。魔力量が異常に高くそれを維持しコントロール出来るだけの技量がなければその威力にはならない。
着弾した木々は、幹の部分の大半を失った事で倒木し始める。森林破壊をしていると言われても仕方がないが、それでもレオンハルトは子供たちから距離は取りつつ魔法攻撃を辞めようとはしなかった。
数十発の魔法を打ち込んだことで、森に潜んでいた残りのギガントボアが姿を曝しだす事に成功する。四匹のうち二匹は、倒木した木々が身体に圧し掛かり一時的に身動きが取れないようになっていたが、残りの二匹はほとんど無傷の状態で己を狙う者を探すように鋭い目つきで此方側を見ていた。
お互いが視認できるようなったことで、レオンハルトは此方に注意を向けるべく再度魔法を打ち込む。
無傷のギガントボア二匹にあたる直前、巨大な猪とは思えない速さで躱す。
避けられた魔法は、後方にあった木にあたり幹の一部が消し飛び、関係のない方向へ倒れてしまう。
二匹のギガントボアが向かってくるのを確認し、すぐさま持っていた木刀に風属性の付与魔法を付け構える。身体強化の魔法も今できる最大値で掛けなおした。
身体強化を行った事でレオンハルトの身体の周囲には、目には見えないオーラの様な物が揺らめき始める。
轟音と共に踏みしめられる足音は、一歩地面を蹴るたびに大地が軽く揺れてしまうそう錯覚させる迫力があった。実際二匹が同じ勢いで突進してくるのだから、軽く震度一はあるかもしれない。
レオンハルトは、静かにその足音に耳を澄ます。自身の攻撃範囲内に入った瞬間に切り伏せる絶対領域の抜刀術居合。達人が居合を行った場合、あまりの速さに何時抜いたのかすら分からないのだ。そして、レオンハルトは前世では達人の域に達しており、現世では魔法と言う驚異的な力を使えるようになっている。
抜き放つ剣速は、更に早く、剣閃が届く範囲も拡大し、容赦なく斬り付ける。
鈍い大きな音が聞こえたかと思うとレオンハルトの表情が険しくなり、その場を離れる様に高く跳躍する。
その数秒後、二匹のギガントボアはレオンハルトの居た場所を猛進と突き進んでいた。
抜き放った居合は、確実にギガントボアの顔に直撃したが、硬質な皮膚により刃が通らず致命傷を与える事が出来なかったのだ。ただ、相手も無傷と言う事はなく広範囲の浅い傷を付ける事は出来た。
同じ場所を数撃行えば、突破できたであろうが、木刀を持っていた右腕が一時的に痺れてしまい連続の居合を断念する。
右手は痺れてしまっているが、左手は健在。ならばと、木刀を持ち替え跳躍中の姿勢を何時でも攻撃できる様に整え、通過すると同時にその背中へと斬撃を放つ。
顔同様に背中も硬質な皮膚で覆われているギガントボアには、ただの斬撃はほとんど効果がなかった。強いて言うなら、表面が少し切れたぐらいだ。
「ちっ!!突進してくるから顔が硬いのは理解できるが、背中の方まで硬いのかよ。となると後は・・・・」
ギガントボアの弱点となる硬質化されていない皮膚を探す。
「首か胸、腹それに足の付け根ぐらいか。それとも斬撃から打撃に変更して、内部破壊の方が良いのか?まあものは試しで」
華麗に着地し、構えなおす。
突進してきたギガントボア二匹は突進の速度を緩め大回りしながら、此方へと標的を定める。後ろの方からも出遅れた二匹が復活し、此方へ突進してこようとしている。
早く倒しておきたかったレオンハルトだが、倒せなかったのは仕方がない。
「ちっ、仕方がない」
覚悟を決めたその瞬間・・・。
後方の二匹の方から爆発音が鳴り響く。
突然の出来事で何が起こったのか分からなったが、『範囲探索』を発動させて爆発の正体が分かり、安心するレオンハルト。
「こっちの二匹は俺たちで足止めする。お前はその二匹を頼むぞ」
「レオンくん。こっちは任せて、そっちをお願い」
ユリアーヌにシャルロットと続き他の三人もそれに頷く。
多少心配な事はあるレオンハルトだが、彼らが言った「俺たちで足止めをする」と言う言葉を信じる事にした。これが「こっちの二匹は俺たちで倒す」とかそういった日には、五人をその場から排斥させ四匹を相手取っていたであろう。
前衛にユリアーヌ、リーゼロッテ、クルト。後衛にヨハンとシャルロットの布陣だ。時間を稼ぐには十分なメンバーでもある事をレオンハルトは知っていた。だから、心おきなく左右から猛進するギガントボア二匹を相手取る事が出来る。
斬撃から打撃に変更するため、風属性の付与から土属性の付与に木刀の強度を高める。
時間稼ぎをしていてくれてはいるが、そう時間をかけて戦っていられないのも事実。この一戦で確実に一匹は仕留めるため、これまで以上に集中力を高める。
集中力が高まれば高まるほど、周りの雑音が消え、同時に力強く踏みしめる足音や荒々しい息遣い、自分自身の心臓の音、そう言った必要最低限の音だけが聞こえ、ここぞと言う瞬間を待つ。
ドクン。ドクン。ドクン。
数秒ののち此処だと言う場面が訪れる。
「神明紅焔流初伝、レオンハルト推して参る!!」
気合と共に下肢に力を入れ、大地を蹴る。周囲の者が見ていたなら、一瞬消えたかのような錯覚を起こすほどの速さで移動したのであった。
ここまで読んでくださり、ありがとうございます。
色々意見も承っていますので、よろしくお願いします。