C03・きっかけ
十月になった。
図書館の閉館時間は一八時キッカリだ。その時間には既に図書館の外はかなり暗くなるようになった。青白い蛍光灯の光が図書館の閲覧室を、より寒々しい感じにしていた。
今日も私は図書館で思索の時間を費やしていた。そして、その日は彼女も図書館に来ていた。更に、彼女は私の隣に座っていた。最近では当然のように私の横に座るようになったのだった。
「こんにちは」
「どうぞ」
その頃にはこんな会話が出来るようになっていた。それ程に私と彼女は、日曜日の午後の図書館でいつも顔を合わせていたのだった。
その日、彼女は初めて閉館時間まで居た。私が本を片付け始めると、彼女はふと時計を見た。
「あら、やだ。もうこんな時間」
彼女は集中していたようだ。時間が過ぎるのに気付かなかったらしい。しかし、彼女は慌てて帰る気配はなかった。そこで、私は彼女に声を掛けた。
「珍しいですね。どうされたんですか?」
彼女は長い髪を掻き上げながら、私をチラリと見た。
「えぇ、まぁ、いろいろとね」
彼女はゆっくりと荷物を仕舞い始めた。私も荷物を片付けた。そして彼女と一緒に閲覧室を出た。一緒と言っても並んで歩いた訳ではない。私がほんの少し先に閲覧室を出たのだが。
図書館のロビーで、後ろからコツコツコツと速いテンポの足音が聞こえてきた。私が思わず振り返ると、彼女が走って私に駆け寄ってきた。そして、私に声を掛けてきた。
「あ、あのー」
私はビックリしながら振り返った。
「どうしました?」
すると彼女は、息を整えながら言った。
「食事でも一緒にいかがですか?」
私は一瞬たじろいだ。
だが、彼女はそんなことにはお構い無しに自分の主張をした。
「部屋に帰っても一人で食事をするのが淋しくて。もしご都合が良ければと思ったんですが……。あ、ごめんなさい。こんな不躾なお誘い、はしたないですよね」
駆け寄ってきた勢いが減速して、赤くなって彼女は俯いた。
私は、彼女の大胆な行動に圧倒されて放心状態だった。何も反応が出来なかった。
「迷惑でしたよね。ごめんなさい」
彼女はそう言って立ち去ろうとした。
私は何とか、声を振り絞った。
「め、迷惑なんて感じる要素がないです。ご、御飯、食べましょう!」
私はシドロモドロで、辻褄がおかしい言葉を連ねてしまった。ただ、心からの欲求のままに喋ったつもりなのだけれど。
「ホントですか?」
振り返った彼女がおずおずと私に訊き返した。
私は大きくうなづいた。
「行くのは、行きつけの美味しいラーメン屋ですけどね、うふふ」
そう言って、彼女は私にはにかんだ。
私はホッとしながら、愛想笑いをした。
「えぇ、いいですよ。それで充分ですから」
彼女は私と並んで歩き出した。
「すぐ近くに『楼來亭』っていう中華料理の店があるんですけど」
私は相槌を打った。
「あぁ、あそこですか。えぇ、知ってますよ。あそこは美味い」
彼女は私を見て、手を合わせた。
「ご存知でした? 嬉しいわ」
私は彼女の笑顔に頷いてしまった。
「中華の単品も美味い。特に麻婆豆腐の辛さは逸品だ」
彼女は更に嬉しそうに言った。
「そうです、あの麻婆豆腐は美味し過ぎます」
彼女とそんな話をしながら図書館を出た。そして、私と彼女は、図書館からひとつ向こうの筋の中華料理店へと、歩みを進めていた。
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