心をほしがった人形4
みんなが美しくて優しい東の魔女を愛する。南の魔女は人形を愛していた。それは、心のない人形は、彼女を裏切らないからだ。それが、どうだろう?心を得た途端、人形はやはり、東の魔女を愛してしまった。みんな、南の魔女の下を離れていってしまうのだ。
「魔女さま!」
はっと魔女は顔を上げた。しかしそこにいたのは、青年ではなく、青年を模して作られた不格好な人形。そしてその人形も今や彼女を裏切り、出て行こうとしている。
「何をしにきたんだい。餞別はやらないよ。」
「いりません。私は出て行かないからです。」
魔女は顔をしかめた。
「どういうことだい。」
「私が愛しているのは、魔女さまだからです。」
「だから、好きにおしって言っているだろう。今さら義理を感じることないから、さっさと行っておしまい。」
「…私が愛しているのは、私の目の前にいる、南の魔女さまです。」
「は?」
魔女はぽかんと口を開けた。
「私が愛しているのは、あなたです。」
「何を言っている?」
「私は、あなたを愛しているのです。」
人形は三度言った。淡々と告げられた告白に、魔女は却って現実感を失って、いつもの悪態でごまかした。
「ばかをお言いでないよ。お前みたいな人形が、どうやってあたしみたいな魔女を愛するってんだい。」
「わかりません。ですが、この気持ちは愛だと思うのです。あなたは毎日、私の髪をすいて、額にキスをしてくれました。それを思い出すだけで、私の胸はときめくのです。また、以前のように私を愛しては下さいませんか。」
魔女は自身の震えを悟られないよう、必死で隠して気丈に立った。
「嫌だね。あたしは人形だったお前を愛したのさ。心を手に入れたのなら、お前はもう人形じゃない。」
「なら私は人間になってしまったのでしょうか。」
「そんなわけないだろう、そんな藁の髪の毛をして。」
「では私は…。」
「お前は人間でも人形でもない、半端者さ。再びあたしに愛されたくば、心を捨ててただの人形に戻ることだね。」
魔女は冷たく言い放ち、書斎から人形を追い出した。廊下に一人残された人形は、ぽつりと呟いた。
「でも心を捨てたら、私はもうあなたを愛せなくなってしまう。」
東の魔女の館を、いつかのようにぼろぼろになった人形が訪ねた。東の魔女は慌てて館に招き入れ、人形に尋ねた。
「あら、またそんなに怪我をして。今度はどうしたの。心を手に入れたのではなかったの。」
人形は、まっすぐに東の魔女を見つめて、東の魔女に願った。
「東の魔女さま。お願いがあります。私を、人間にしてください。」
東の魔女はしばらく人形を見つめ返したが、やがて黙って杖を振り、人形を瞬く間に人間に変えた。それは、彼女と、南の魔女が愛した青年そのままの姿だった。
「私は人間になりましたか。」
自分の姿が見られない人形はぺたぺたと身体を触って確かめた。青年の姿に戻っても、その心は青年のものではなくなっていた。
「…それでも、あなたは魔女さまを愛しているのね、変わらず。」
東の魔女はそう呟いて、青年の下にスープを運んだ。いつかも出したひよこ豆のスープは、南の魔女に拾われたときに出されてから、かつての青年と東の魔女の大好物であった。
「おいしいです。」
青年は、生まれて初めての空腹を満たした。
「そう。南の魔女さまが作ったスープは、もっと美味しいわよ。私ももう一度、食べたいわ。」
そう言って、東の魔女は真珠のような涙をこぼした。青年は不思議に思いながらも、南の魔女のところへ戻っていった。
人形が再び館から姿を消してから、魔女は毎日泣き濡れて過ごした。
拒絶したのは彼女の方だというのに、人形に裏切られたと思い込んでいた。どうして心など手に入れてしまったのか。物言わぬ人形のままでいてくれた方が、ずっと良かったのに。
それからすっかり虚しくなって、何がやってきてももう動揺しない、と魔女は思うまでになった。
だから人形が人間になって帰ってきても、魔女は心を動かされることはなかった。
「東の魔女の仕業だね。」
「私はもう心を捨てることはできない。でも半端者ではだめだとあなたが言うなら、私は心を持つ人間になります。魔女さま、」
かつての青年と同じ姿をした元人形は、魔女の足元に跪いて彼女を見上げた。
「私を愛してくださいますか。」
「愛さない。あたしは一生お前を愛さない。」
「…でも、私は一生あなたを愛します。あなたに愛してもらえなくても。」
「どうしてそこまでできる?ただの勢いで言ってるだけにしか聞こえないね。」
「…私は言いすぎたかもしれません。一生なんて言えないかもしれない、でも今、あなたを愛しているのは、止められないのです。」
「だから心など捨てろと言ったのに。」
「そんなことできるはずがない。愛した心を捨てるなど。」
そして青年は問うた。麦藁色の柔らかな髪の毛を揺らして、同じ色の瞳で彼女を見つめ、薄い唇でそれを問うた。
「あなたは、誰かを愛したことはあるのですか。」
魔女は誰かを愛したことがあるのか。
答えは是であった。魔女は、青年のことを愛していたのだった。
『僕を人形に。でも、必ず、愛してください。』
南の魔女は、その言葉を守り、人形をずっと愛し続けていたのだった。
心を捨てられなかったのは、南の魔女の方だ。
魔女はぽたりと涙をこぼした。
「愛しているよ。」
「誰をですか。」
「ずっと、お前だけを、愛していた。」
魔女はふらふらと青年に近寄り、立ち上がった彼を抱きしめた。
「愛しているよ。」
元人形は、人間になって初めて、涙を流した。
「私も愛しています。魔女さま。」
やがて人間になった人形は南の魔女との子どもを授かったが、結局、その子どもが生まれる頃には再び魔女に頼んで人形に戻っていた。
「人間では魔女さまとずっと一緒にはいられないから。」
と人形は言ったが、「人形の方が板についているよ。」と魔女も満更でもなさそうであった。
南の魔女は、東の魔女の裏切りを最後まで許さず、東の魔女も負い目から彼女には触れなかったとされているが、その実東の魔女は南の魔女といつでも復縁したがっていたし、彼女らの第一子が生まれた際には祝いの品を送っていた。南の魔女はそれを受け入れなかったが、その方がお互いにとって良いと考えていたからだった。町のものにとって、相変わらず東の魔女は良い魔女、南の魔女は悪い魔女であったから。それ以来、彼女らが再び交流することはなかったと言われている。
人形と南の魔女の子どもはすくすく育ち、多くの子孫を残した。この土地にいる子どもたちのほとんどは、南の魔女の子孫である。
※※※
がちゃり、と戸の開く音がして、子どもたちはびくりと身をすくませる。
「はいはい、子どもは寝る時間だよ。」
そこに恐ろしい顔をした老婆が分け入ってきた。
悪い魔女だーなんて言って、子どもたちは逃げていき、残されたのは安楽椅子に座る穏やかな老婆と顔をしかめた老婆。
「よくもまあ、あんな話をはずかしげもなくできるもんだね。」
苦々しげに吐き捨てる老婆に、話し手であった老婆はおっとりと微笑んで、張りのある声を出した。
「だって、もったいないわ。おとぎ話のままじゃつまらないもの。」
なんと、次の瞬間には老婆は美しい少女になっていた。少女はすっと立ち上がり、かまどにかかった鍋からスープを皿に注いだ。
「自分を悪者にしなくたっていいだろう。」
「あら、私はちょっと一つだけ悪いことをした良い魔女よ。そしてあなたは一つだけ良いことをした悪い魔女。悪者はあなたよ。」
そしてもう一人の老婆も、美少女には劣るが十分に美しい、茶髪の若い女になっていた。女は少女が注いだスープを図々しく受け取って、わざと音をたてて飲んだ。
「その悪者によくお前は声をかけてきたものだね。一緒に住むなんて、できるはずがないというのに。」
「どうして?あなたを悪者にしたのはあなたよ。私にとってあなたは、いつまでも私の命の恩人、私のお姉さん。」
「お姉さんはやめとくれ。」
悪い魔女と呼ばれた女は相変わらず刺々しいしゃべり方をしたが、部屋の空気は子どもたちがいたときと変わらず、穏やかなままだった。
「悪い魔女さんも年月には勝てないわね。すっかり丸くなっちゃって、こうして私と一緒に隠居生活だものね?」
少女はそう言って、上品にスープを飲んだ。「おいしい。」と満足げに呟いた。
「もう一度あなたのスープが飲めて、本当に良かった。」
「もう一度じゃないだろ。何度このあたしにスープを作らせてるんだい、お前さんは。」
「でも、もう何度飲めるか、わからないわ。」
「何を言ってんだい。」
「…私、多分もうすぐ死ぬわ。」
魔女は黙って少女を見つめた。
「あなたはあの老婆の姿を偽りと思っていたのでしょうけど、違うのよ。この姿こそが偽り。本来の私は既にあんなにも老い衰えてしまっているの。もう、長くないわ。」
魔女というものは、最初の力こそ師匠に与えられることが多いけれど、次第にそれをきっかけに本来の自分の力を引き出して、魔法を行使するものだ。少女の力は、元々あまり強くはなかったのだろう。
「あたしの見る目が悪かったってのかい。」
「またそんな風に言う。私ね、あなたに拾われて、命と力を与えられた。まがい物だったけれど、魔女として生きられたこと、本当に感謝しているわ。」
「やめとくれ。」
魔女は不満げに皿を置いた。
「ひとつだけ心残りがあるって言えば、恋愛ね。もうあのお人形さんのことはいいけれど、もっといい人が現れるかと思っていたのに。」
「あんな人形と比べてるんじゃないよ。お前なら選びたい放題だろう。」
「…そうね。」
そう言って、少女は安楽椅子にだらりともたれかかった。その仕草は、確かに妙に年老いて見えた。
しばらく沈黙が部屋を支配した。温かい沈黙だった。
「…きっと、魔女がまた生まれるわ。今度は本物よ。それで、きっと私の役目は終わる」
「ばかなことをお言いでないよ」
二人の魔女は、物置の隙間から涙を流して彼女らの会話を聞いている子どもには、終ぞ気がつかなかった。