心をほしがった人形3
少年は今までどおり魔女にまとわりついた。変わったのは魔女の方で、彼女も少年を無理に遠ざけようとはしなくなっていた。仕事を下さいと言われれば何かしら与え、そばにいさせてくださいと言われれば黙って隣に立った。
…その様子を、遠くから寂しげに見つめる少女に、気がつかないふりをして。
やがて少年と少女は町に出るようになった。魔女が薬売りを言いつけたからだ。愛想のいい少年と、見目の美しい少女はあっという間に町の噂になった。少女は見習いながら「小さな魔女さん」と町の人びとに慕われた。少女を慕う男の一人が最初に彼女に求婚すると、それを皮切りに彼女はひっきりなしに求婚されるようになった。笑って見ていた少年も間もなく同様の目に遭った。彼らは困りきって、その求婚を断り続けた。
少年と少女は、いつしか青年と呼べる歳にまで成長していたのだった。
その頃には魔女は自分の仕事のほとんどを少女に任せるようになっていて、その分魔女の存在は次第に人間たちに忘れられていった。『魔女に薬を頼む』というときの魔女とは、魔女の弟子である少女を指すことの方が多くなっていった。少女は各地を飛び回り、その魔法で人びとを助け続けた。少年もそれにほとんど同行した。彼は少女を妹のように思っていたし、魔女も彼女を助けるように言いつけたからだ。彼女らは手に入れた力を何かに役立てることに必死で、自分たちが助けたのが誰かも認識しないままのことが多かった。
ある日、久々に町に出た少女と少年に、立派な身なりをした紳士が話しかけた。
「もし。あなたがたは、近頃このあたりで魔法を使って人助けをしていらっしゃいますか。」
彼らは戸惑ったように頷いた。肯定の意を見て取った紳士は、そのまま彼らを馬車に乗せ、見たことのないような屋敷に連れて行った。
そこで彼らを出迎えたのは、この辺りを治める領主であった。代替わりしたばかりの領主は若く、自信に満ちあふれていた。そしてそれなりに柔軟で、魔法を使うものに対して理解があった。
「そなたたちは覚えていないかもしれないが、一ヶ月ほど前に、事故に巻き込まれかけた私たちをそなたたちは助けてくれた。それ以外にも我が領民を多く救ってくれていると聞く。褒美として、東に土地を与えよう。魔女の館を作り、そこに住むが良い。」
少女は戸惑い少年に目配せしたが、少年が安心させるように頷くと、頬を紅潮させて褒美を受け取った。自分のしてきたことを認められた少女は喜びでいっぱいであり、それを誰かに分けたい気持ちになった。
「あの、領主さま。」
「なんだね。褒美が足らんかね」
「わたくしへの褒美は、十分でございます。ですが、ここにおります青年は、わたくしを陰ながら支えてくれたものでございます。彼にも何か、褒美を。」
領主は鷹揚に頷いた。
「あいわかった。青年よ、何か欲しいものはあるかね。」
しかし少年、いや青年は答えなかった。すると領主は若き魔女を退室させ、もう一度問うた。
「今ここにいるのは男だけだ。何をためらうことがある。何でも良いのだぞ。金でも、名誉でも。美しい女をあてがってやっても良い。」
その言葉に青年は顔を上げ、
「僕が愛するのは魔女さまだけです。」
と言った。答えを引き出せた領主は満足して、下がって良いと言った。
若き魔女と青年は南の魔女の館へ戻り、領主の屋敷であったことを話した。魔女は興味無さげに聞いていたが、一瞬満足げに口が緩むのを彼らは見逃さなかった。
「ようやく独立かい。手のかかる弟子だったよ。」
「今までありがとうございました。あのとき魔女さまが救ってくださらなかったら、私たちはあのまま、死んでしまっていたでしょう。思えば、私がしていることは、あのときのあなたがしてくれたことを再現しているだけのようです。」
そう言うと、若き魔女はぽつりと涙を落とした。南の魔女はうっとうしそうに手を振った。
「ガキを拾うのなんて一度で十分だよ。お前みたいに何度も何度も人助けなんて私にゃ死んでも無理だね。」
ひと月ほどで館は完成した。若き魔女には、南の魔女が魔法で手助けしてくれたことが分かっていたが、お礼を言うとまた毒を吐かれるので黙っていた。
領主は完成の式を行い、皆に魔女の存在を知らしめると言った。その式の準備もすっかり整い、前日の打ち合わせを行った、そのあとのことである。
若き魔女は呼び止められて、執務室で領主と向き合っていた。
「そなたはあの青年にも褒美をと言っておったな。」
「はい。彼は何を望みましたか。」
領主は微笑んで、こう言った。
「青年は、魔女を愛していると言った。その魔女とはそなたのことだろう?明日の式で、そなたとの婚約を発表してはどうかね。」
若き魔女は目を丸くして、数秒動かなかった。
領主は、遠方の遊学から帰ってきて、代替わりをしたばかりだ。近頃忘れられがちな南の魔女のことなど、知らないのだろう。だが若き魔女は知っていた。彼女の知る魔女も、青年の知る魔女も、たった一人しかいない。青年が愛している魔女は、間違いなく、彼女らの養い親である、南の魔女であろう。
しかし。
若き魔女は、後に東の魔女と呼ばれる彼女は、震える唇でこう言った。
「…はい。」
これが、彼女がたった一つ犯した過ちである。
南の魔女は、弟子の晴れ姿を見るために町を訪れた。実に数年ぶりのことであった。目立たない姿をして人ごみをかき分けると、広場に作られた高台の上で、若い領主が声を上げていた。
「ここに、南の魔女を認め、屋敷を授ける!」
魔女はほっと息をついて、そして踵を返した。これで肩の荷が下りた。これまで性に合わないことをしてきたから、これから思う存分悪だくみをしてすごそう、と。そんな魔女の耳に、信じられない言葉が聞こえた。
「そして、この若き魔女と、それを支えるこの青年との婚約を発表する!」
思わず振り返ると、見えたのは、自分の拾った少年と少女と、彼らの肩に手を置く領主の姿だった。
青年はあわてて階段を駆け上り、魔女の部屋の戸を叩いた。
「魔女さま!」
魔女は答えなかった。しかし青年は魔女の存在を確信している。
「魔女さま、違うのです。皆、勘違いをしている。僕が愛しているのはあなたです。」
「知ったことかい。東の魔女を愛そうが、私には関係のないことだよ。」
東の魔女、という言い方に、青年は心を痛めた。けれどそこに言及している場合ではない。これまでの態度から、魔女は自分のことを決して憎からず思っているはずだと青年は確信している。しかし今深く傷ついている魔女は、このまま自分から離れていく気ではと、焦っていた。
「魔女さま!私を、愛してください。」
「…愛してほしい?」
「魔女さま!」
わずかな希望に青年は声を明るくした。けれども聞こえてきたのは冷たい声。
「心をなくした人形になりなさい。ならば私はお前を愛してあげる。毎日毎日欠かさず、お前の髪をすいて、額にキスをしてあげる。」
「人形?」
「お前は何も思わなくなる。誰も愛さなくなる。そうすれば私を裏切ることはないだろう?」
「僕はあなたを裏切ることはありません。」
青年は愚かにも、何も考えないままに魔女の言葉を否定した。
「そんなこと断言できるものか。お前が人形にならない限り、私はお前を一生愛さない。」
「……僕は…。」
青年はうつむいた。
「今の僕を愛してくれるなら、あなたに愛を返すことができるのに。」
「私の考えは今言った通りだ。どうするんだい。」
「…僕を、人形に。でも、必ず、愛してください。」
青年はどこまでも愚かだった。
そして魔女の館に、一体の人形が置かれることになったのだった。