心をほしがった人形1
子どもたちが、老婆を囲んで話に聞き入っている。若い頃はさぞ美人だっただろう、優しげな老婆だ。安楽椅子に座った老婆は、不思議な抑揚を付けながらしゃべり始めた。
「昔、昔、この婆がまだ歳若い少女の姿だったときの話だよ。この土地には二人の魔女がいた。」
※※※
東にいたのは良い魔女だった。
彼女は両親から愛されて、充分な教育としつけを受け、美しい容姿に恵まれた。しかし決しておごることなく、その心は慈愛に満ちあふれ、困った人がいればその魔法で助けてきた。どんな人間にも手を差し伸べて、魔女の館では多くの恵まれない人びとが保護されていた。困ったときには東の魔女を頼れと近隣の村では言われるほどだった。
一方南にいたのは悪い魔女だった。彼女は貧乏で、両親から虐げられて育った。しかしおとぎ話のように美しい心を持ったわけでもなく、貧乏を憎み、恵まれた人々を憎み、とりわけ美しく皆に愛される東の魔女を憎んだ。差し出された好意をひったくり、差し出した人を突き飛ばして、無様に転ぶさまを指差して笑うような醜い心の持ち主だった。地味だが整っているはずの顔立ちは、その性根によって醜く歪んでいた。
南の魔女は東の魔女をひどく憎み、東の魔女の方も不思議と南の魔女については触れなかった。周りの人間たちも、南の魔女に関わるとろくな目に遭わないということを知っていたので、東の魔女に倣って南の魔女の館に近寄るものは誰もいなくなっていった。
さて、南の魔女はひとつの人形をたいそう大事にしていた。藁でできた髪の毛の下、髪と同じ色のビーズの目にはやや重たい印象のまぶたがかぶり、お粗末な鼻と薄めの唇を持った等身大の青年の姿に作られていて、どうにもぱっとしない人形であったが、魔女は毎日欠かさずこの人形の髪をすき、服のほこりを払って整えた。そして眠る前には、そのビーズの瞳を覗き込んでから、額にそっとキスをするのだった。
ある日いつものように南の魔女が人形の額にキスをすると、人形がぎょろっとビーズの目を動かして唐突に言った。
「魔女さま、お願いがあります。」
魔女はひどく驚いた。人形が動き出すなんて初めてのことだからだ。もしかしたら魔女のキスが、なんらかの力を与えたのかもしれない、と魔女は思った。
「お願いだって?お前のようなみすぼらしい人形が何を望んだってそれ以上にはなりやしないよ。」
魔女はいつものように毒舌を吐いたが、人形は表情を変えずに魔女に願い事を言った。
「魔女さま、私は心がほしいのです。」
「心だって?」
人形に心を与える方法など、南の魔女は知らなかった。そもそもこの人形がしゃべりだしたことが、魔女にとっては想定外のことなのだから。しかし魔女は少し考える素振りを見せると、おもむろに豪華な飾りのついたナイフを取り出した。
ナイフは装飾されてはいるが、よく研がれていて、その刃先をすっと滑らせるだけでどんなものも切れてしまいそうだった。
「このナイフで東の魔女の血を吸わせれば、心を作ることができるだろう。」
もちろん、でまかせだ。しかし人形はビーズの瞳を輝かせた。
「本当ですか?」
「ああ、魔女は嘘などつかないよ。」
それこそが嘘であった。魔女は毎日、どうやって人を騙そうか考えていることを趣味としているのだから。けれども人形はそんなことにはちっとも気がつかずに、意気揚々と立ち上がった。
「では、出かけます。東の魔女はどこにいるのですか?」
「この地図を持ってお行き。」
その地図には確かに東の魔女の館への道が記されていた。しかしその道は不必要に回り道をしていて、しかも危険な箇所がいくつもあった。布でできた人形の肌はあっという間に裂けてしまうに違いない。
心がほしいなどとほざく人形が、道中で壊れてしまうならそれはそれでよし、東の魔女のところへたどりついて、彼女を刺し殺すなら、それもまた、ひどく愉快なことだ。
南の魔女はほくそ笑みながら、人形が館の門をくぐって出て行くのを見送った。
普通なら三日ほどで着くはずの東の魔女の館に、人形は一週間以上かけてたどりついた。そう、人形はたどりついたのだ。しかしその肌はびりびりに裂け、ところどころ綿が飛び出し、藁の髪の毛は烏にむしられ、手足は泥まみれになり、ビーズの目はとれかけていた。
よろよろと歩く人形の近くを、東の魔女の一団が通りかかった。彼女はあまりに人気があるので、いつも多くの人に囲まれていたのだ。
「あら、あれは何でしょう。」
東の魔女は人形を見つけて、そちらにまっすぐ歩いていった。取り巻きたちはまた始まったとばかりに肩をすくめたが、黙って見守った。困った人やものを見かけたら、魔女はじっとしていられないのだ。
「何かお困りですか。」
人形はゆっくりと顔を上げて、ぽつりと呟いた。
「東の魔女を探しているのです。」
ぼろぼろになった人形を見て、魔女は一瞬だけ瞳を大きく見開いたが、すぐにその口元を緩めて可憐に微笑んだ。
「東の魔女は私です。さあ、ひどい怪我をしておいでよ。早くこちらにいらっしゃい。」
魔女は痛ましげに柳眉を下げて、人形を建物へと誘った。館の中はふんわりと暖かく、人形と同じように拾われてきた者たちが笑顔で人形を迎え入れた。
東の魔女はとてもとても優しく、慈愛に満ちあふれていた。人形はすっかり元通りに修理され、以前より上等な服を着せられた。
東の魔女自らが、温かいスープを作って持ってきた。
「ひよこ豆のスープはお好き?」
人形は申し訳なさそうに眉を下げた。
「飲み食いはできないのです。人形だから。」
「そうなのね…。」
魔女も悲しげに言い、そばにいたものに膳を下げさせた。
「どちらからいらしたの?」
「南の魔女さまのところからです。」
「そう。」
魔女が聞いたくせに、人形が答えても彼女はぼんやりと返事をした。
「何をしにきたの?」
「心がほしいのです。」
「どうして?」
人形は答えなかった。正確に言うと答えられなかったのだ。
「心を手に入れたら、それが分かると思うのですが。」
「そうね。きっと手に入れられるわ、ここにいれば。」
違うのだ。心を手に入れるためには、目の前の優しげな魔女をナイフで突かなくてはならないのだ。南の魔女の言葉を信じている人形は何も言わずにそっと顔を伏せた。
さて、人形が旅立ってから、一ヶ月ほどが過ぎた。南の魔女は、毎日門が見えるところで待っていた。得意の悪だくみも、ほとんど思いつかなくなっていた。欠かさずおこなっていた人形の世話ができなくなってから、魔女の心はぽっかりと空いたようだった。
その日は朝からよく晴れていた。魔女は館の掃除をするふりをしながら窓の外を眺めていた。すると、麦藁色の何かが、ふらりと現れたではないか。
魔女はあわてて階段を駆け下り、玄関を開ける前にはっと思いとどまった。そして人形が戸を開けるのを尊大な態度で待った。
重厚な扉がそっと開いた。
「ようやくのお帰りかい。」
苛立たしげな声に、人形は眉を下げた。その姿はこの館を出る前と同じ、いや、それよりもきれいになっていて、着ている服も上等のものだった。
「遅くなりました。」
「それで、東の魔女を殺してきたんだろうね。」
人形を問いつめながら、魔女は苦々しい思いだった。この様子では、きっと答えは一つだけ。こんなことならいっそ、道中でぼろぼろに壊れてしまえば良かったのに。
「…東の魔女さまを殺すことは、できませんでした。」
そう言って、人形はきれいなままのナイフを魔女に返した。魔女は受け取らないまま、冷たく人形を睨んだ。
「でも、私は心を手に入れたのです。」
「なんだって。」
魔女は思わずこぼした。東の魔女が、自分より優れているとは、思いたくなかった。一体どんな魔法を使ったというのか。しかし続く人形の言葉を聞いてすぐに理解した。
「私は愛する心を手に入れたのです。」
「…ああ、そうかい。」
愛というのはあらゆる奇跡を起こす。人形は恋をして、心を得たのだ。あの、優しくて美しい東の魔女に。
魔女は背を向けて、さっさと廊下の奥へ引っ込もうとした。
「魔女さま」
「心を得た人形なんていらないよ。さっさと愛しい女のところへでもいっちまいな」
追う人形の声に向かって、魔女は忌々しげに吐き捨てた。そしてそのまま書斎に入り、音をたてて戸を閉めた。
戸を閉めた瞬間、魔女はかんしゃくをおこして手当たり次第ものを投げた。書物を破り捨て、インク壷を放り投げ、魔法で風を起こしてすべてを巻き上げた。
やがて気が済むと、はあはあと荒い息を吐きながら、ぐしゃぐしゃになった部屋の中で一人頭を抱えた。
どうしてみんな彼女を見捨てるのか、彼女は自分の問題点を一つ残らず棚に上げて考えた。
いつもいつもいつもあの魔女だ。
こんなことなら、あのときあんなに優しくしてやるんじゃなかった。あんなふうに裏切るなんてわかっていたら。
あの魔女ときたら…。
※※※
「さあて、ここまでは皆のよく知るおとぎ話だね。」
老婆は背もたれに体重を預けて一息ついた。すかさず子どもたちが声を上げる。
「でも、誰も知らない秘密が二つ、あるんでしょう?」
「よく覚えていたね。ええと、じゃあ一つはなんだったかね?」
「南の魔女は一つだけ、良いことをしたことがあった!」
老婆は満足げに微笑んだ。
「その通り。じゃあ、続きを話そうかね…。」