その先に
見えるものが全てではなく
聞こえるものが全てではなく
見えていくものが全てでもなく
聞こえていくものが全てでもなく
森羅万象 有象無象
阿鼻叫喚 地獄絵図
その中にないのにこの中にあり
この外にあるのにその外にない
いつもの事 普段の事
常日常 見えざる手
期待などしない される事もない
期待などできない する事すらしない
いなくても良い いなければならない
どうでも良い そんな事はない
痛い痒い? 苦しい悲しい?
醜い酷い? 嬉しい楽しい?
嘆くのは夏 励ます春
しなびた秋 冬はどうでも良い
何事もない 何事も出来ない
見付かれば死刑 そ〜と そ〜と
塵も残さず死ね
食わず嫌いは殺される
雀がつついた米粒一つ
一升炊きの釜の中
見えぬ力は常にある
力は常に横にある
錆び付いた鉄の板
凍り付いた鋼の剣
氷の下は水 湯ではない
氷の上は夏 吹雪もある
首を絞める私
首が絞まる私
乾いた空気は乾いた空間
光の筋に舞う埃
痛い心 疲れた心
痛い頭 疲れた頭
イメージは垣根を越えて
己の下が全てではない
【不確かな事】
私は昔風に言えば、不安神経症という病気であるらしい。しかしながら、不安神経症が、現在、何という病名であるのかは知らない。
それはともかくとして、私はカウンセリング医言わく、発達障害者なのだそうだ。
文章にするととても難しいのだが、一般的な人々の考えが青く塗り潰された球体の中にあるとしよう。そうすると、私の一部は青い球体の中にあるのだが、そこからはみ出した赤い球体の部分を持っているのらしい。
私の記憶は欠落する。少し前の事・ずっと前の前の事になると憶えていない事がしばしばである。その反面、憶えている記憶はとても鮮明で、まるでスクリーンに映し出された映像のように思い出される。
そんな事はどうでも良いのだが、私の感性はポピュラーな感性と少し違ったところにあるらしい。だからといって私が不完全な人間だと言っているわけではないのだが……。
私は私自身を不確かな者であると少し認識した。だからこそ、普通の人が気付かない部分が気になったり、気にするところがどうでも良かったりするのだろう。
不確かな者が唄う【ニ詩歌の唄】。これからもどうか宜しくお願いしたい。
※(記)平成二十五年四月二十三日




