消
「あははははははは……!」
路地裏。歪に欠けた月。ネオンサイン。砕けた星。割れたガラス。拉げた鉄パイプ。埃の匂い。青い。黄色い。白い。赤い。紅い。アカイ。びちゃびちゃ。ぐちゃぐちゃ。どろどろ。ねばねば。楽しいタノシイ。美味しいオイシイ。血。チの匂い。チの味。チの舌触り。チの喉越し。噎せ返る。人。ヒトだったモノ。シんでる。動かない。バラバラ。熱い。暑い。冷たい。寒い。喉が乾いた。ノドが渇いた。ノドが、ノドがノドがノドが、ノドがカワイテ仕方がないの。
「……やはり、少女であったか。この手の予想は外れて欲しかったのだがな」
ふと、そんな言葉で我に返る。あたしの足下にはペンキをぶちまけたようなアカイ水溜まりと、それに横たわる最早何人分なのか分からない数分前まで『ニンゲンだったもの』の肉塊が散乱していた。えーと、確か昨日と同じように何人か路地裏に引っ張り込んで、『ジュース』を飲ませて貰っていたような……うん、まあどうでもいいか。『コレ』からはもう飲めそうにないし。
「なぁに? 今度はオジサンがあたしにご馳走してくれるのぉ?」
路地の入り口に立つ人物に猫なで声を掛ける。この手法でもう何人餌食にして来ただろう。ホント、オトコって単純。
「その方、何となく見覚えがあるな。確か娘の……まあよい、ここまでになってしまえば最早、同情の余地などない。手早く処断させて貰うぞ」
……でもどうやらこのオジサンには通用しないらしい。ちょっとだけプライドが傷つけられたけど、こちらもやる事自体は特に変わらない。搦め手から力ずくに移行するだけの話。
「もしかしてオジサン、あたしの邪魔する気? じゃあオジサンからもご馳走して貰っちゃおうかなぁ~♪」
濡れた指先を舐める。これこれ、この味。もっと私に味わわせて。
「キャハハハハハ!!」
奇声を上げて走り出す。もう本当に自分じゃないみたい。際限のない高揚感と無遠慮に悦楽を貪るこの躰は、多分数日前のあの瞬間から生まれ変わったんだと思う。その証拠に、あたしのいた場所からオジサンの所まで優に50mはあったのに、あたしは3秒と掛からず走り抜けた。
「……おっと?」
スピードを出し過ぎた所為なのか地面がアレの海になっている所為なのか、オジサンの所に到達する直前、少し足を滑らせてしまった。転びそうになる所だったが何とか踏み止まる。その瞬間、
ほんの数瞬前まであたしの顔があった位置を、何かが風を切って通り過ぎて行った。
ヂリッ、と言う電気が爆ぜるような何かが焦げるような音。その通り過ぎたモノがあたしの肩を少しだけ掠って肉を抉り取って行った。
「ッ……!?」
「避けられたか。存外に運がいいと見える」
視線を上げると、オジサンがさっきまでは何も持っていなかった筈なのにいつの間にか大きな杖のようなものを携えていた。柄を地面に突くと上部に付いている鉄の輪がジャランと小気味良い音を響かせる。
……足を滑らせていなかったら危なかった。もしかしたら一発でシんでいたかも知れない。アレは怖い。アレは触れてはいけないモノだ。そう何となく直感した。
「くっ……!」
仕方がないので逃げ回る。こっちには近付いて殴る引っ掻く噛み付くぐらいしか出来ない。あんな長い武器を持った相手に太刀打ち出来る訳ない。あたしは……そう、普通の女の子なんだから。
「残念だが、逃しはしない。お主に個人的な恨みはないが、一般人を何人も襲い殺した罰は受けて貰わねば。悪霊退散……!」
……でも逃げ切れない。オジサンはあっさりあたしに追い付いて、目の前であの大きな杖を振り上げる。……ああ、これで終わりか。最期は楽しかったけど、トータルするとつまらない人生だったなぁ。もうちょっと遊んでいたかったけど……まあ自業自得かな。ノリに任せて知らない人いっぱいコロしちゃったしね。最後に……一目会いたかったな、カーくんにヤオちゃ―――
「おっと、コイツは俺らのモンだ。勝手に祓われちゃ困るんだなコレが」
「ぐっ………!?」
杖があたしを捉える瞬間、突然この場に現れた何者かにオジサンが弾き飛ばされる。九死に一生。どうやらあたしはまだ生きてるみたいだ。……それが良い事なのかどうなのかは分からないが。
上げた視線の先には、あの日と同じ光景。禍々しい雰囲気を纏う背が高い二人の男性がこちらを見下ろしている。
「成程、黒幕は貴様らか。『手長足長』だな?」
「タコにも! ……あ、ちげえや、イカにも! その娘を妖化させて血を集めさせたのも俺達だ。こんな辺境の地のオッサンにまで名前が知れ渡ってるとか俺らも有名になったもんだなー。それにしてもどーよー、自分の手を汚さず効率よく血を集めるなんて、俺ら頭イイだろ~ん!?」
「にいちゃん、もうその言い回しがバカっぽいよ?」
2m近い身長の二人組。テンションが高く異様に腕と胴体が長い方が兄のようで、もう一人の口数は少ないが兄を諭す口調をしている異様に足が長い方が弟の、兄弟らしい。数日前、塾帰りで夜道を歩いていたあたしの前に現れて、あたしをしがらみから解放してくれた人達。……いや、人ではないっぽいけど。
「うっ……!?」
唐突に右肩が痛み出した。さっき杖が掠った所。今まではチクリと痛む程度だったけど、余りの痛みに蹲る。肩が灼けるように熱い。腕をちぎり取ってしまいたい。
「あちゃー、陰陽師の錫杖が掠ってたか。俺らが来て妖気が活性化した所に残ってた異物が拒絶反応起こしちまってる。こりゃもうダメかなー」
「にいちゃん、このコ連れ帰って霊力吸い出せばイイんじゃない? 一般人の血より陰陽師の霊力の方が100倍力強いし」
「おお、さっすが我が弟! ナイスあいでぃーあ!!」
言うが否や、腕の長い方があたしを軽々と抱える。
「……待て、何を企んでいるかは知らんが、そう易々とこの私から逃げ果せると思うな。その娘は置いて行って貰う」
二人が登場した際に弾き飛ばされたオジサンが、再び杖を構えて立ち上がる。あたしは肩の痛みで何も出来ない。ホワイトアウトしそうな視界と脳髄を焦がす痛み。次第に遠のく意識の中で、オジサンの顔によく知る面影を見た。
「ヤ……オ……ちゃん?」
あたしの友達。あたしの大好きな、とてもとても大切な友達。最後にもう一度顔が見たい。声が聴きたい。その身体に触れたい。知り合ってまだ一月程度だったけど、本当に大切に思っている。もっといっぱいお話ししたり遊んでいたかった。でももう多分ダメだよね。残念……だなぁ……。
「ぐっ!? よもやここまでとは……!」
「このコだけじゃなくて他にも何人かに血を集めさせてたからな。もうオッサン如きじゃ俺らは止めらんねーよ。足長ー! ナイッシュー!!」
「にいちゃん、早く行こう」
足が長い方が放った豪風のような蹴りで、オジサンは軽々と弾き飛ばされる。同時に二人はあたしを抱えたまま地面を蹴り壁を蹴り、夜の闇に紛れて飛び去った。
あたしの意識は、ここで途切れた―――――