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「さて、と……」




 日は落ちて、夜空を星が彩ってから数刻も過ぎた深夜。幼き陰陽師・八乙女桃は自宅である八乙女家の地下室にいた。蝋燭を灯し四隅に配置し、新しい和紙を一枚床に置いてその前に結跏趺坐の形で禅を組む。手慣れた所作。修業の始まりである。

 かの昔から代々続く、神道を伝え邪を妖を人知れず退治して来た八乙女神社。参道から僅かに外れた小道の奥まった所に、社務所を兼ねた八乙女の自宅がある。その地下室。隆栄から施された昨晩の『修練結界』を用いた修業とは違い、桃一人で修業する際にはこちらの自宅の地下室を使う。神社の地下室よりも幾分か手狭でやれる事は限られるが、今日桃がやろうとしている鍛錬ならばこちらの地下室で充分に事足りる。そして何より、当の隆栄は仕事の関係で不在なのだ。本日の修業は桃一人で進めなければならない。


「問題は手数、よね」


 禅を組んだ状態で、目の前の白い紙を見据える。紙自体は特に珍しいものではない。それなりに上質ではあるが、至って普通の和紙である。この普通の紙が、陰陽師にとってなくてはならないものに変貌するのだ。否、『作り上げる』のだ。そう、桃は新しい陰陽呪符を作成しようとしているのである。

 陰陽師を志してから日が浅く、修業も充分に積んでいるとは言えない桃。加えて、武器となる呪符の数がまだ少ない。人によって主となる得物は違うが、一端の陰陽師ならば呪符の百枚二百枚は所持していて当然。ましてや桃はあれもこれもと様々な武器を扱える程、器用でも達者でもない。言うなれば、桃はまだ弾数も少なく装填に手間取る小口径のリボルバーのようなもの。自身のレベルアップは勿論の事、弾数を稼ぐ事も成長に欠かせない重要な要素なのである。


 当然と言えば当然だが、桃は部活動に所属していない。授業が終わればその足で夕飯の買い物をし、家に着いてからは父と分担して家事をこなす。夕食前に宿題を終わらせ、夕飯をすませてからしばしの仮眠を取る。そして、日付も変わろうと言うこの時間に、毎日の鍛錬を行う。遊びたい盛りの女子中学生では稀に見る禁欲的な日常を送っているのだ。

 ……そう、桃には母親がいない。数年前、妖に殺されたのだ。まだ中学生である桃が陰陽師を志したのにはそう言った経緯も関係している。原動力は妖への恨み。一匹でも多くの妖をその手で葬り還すと言う決意を胸に、一般的な女子中学生の幸せを放棄して桃は己を律し高める為、日夜努力を積み重ねているのだ。


 

「……それじゃ、始めますか」


 桃は気を引き締める。これからは陰陽師の時間だ。回顧も不安も後回し。そんなものに心を囚われていては、冗談ではなく本当に命に係わる。それが例え訓練であっても、だ。

 眼前の和紙を手に取り、まずは正方形を三つ折りにする。中に髪の毛を一本包み、上下を蝋で糊付けして封をする。折り畳んだ紙を元の位置に戻すと、今度は別に用意しておいた小皿とカッターナイフと筆を取り出し、おもむろにカッターで左手親指に小さく傷を付けた。


「ッ……」


 今でこそ躊躇いも弱くなったが、最初の頃はそれこそ刻単位で逡巡を要したものである。当然だろう、陰陽師の修行とは言え、これは立派な『自傷行為』だ。年端も行かぬ少女が躊躇うなと言う方が無理な話なのだから。

 傷を絞るようにして小皿に数滴の血液を落とし、簡単に治療を施す。血液の落ちた小皿に神社の裏手で汲んだ湧き水を少量注いで、血液を伸ばす。そして、筆を浸して準備完了。これでようやく只の『紙』を『陰陽呪符』に昇華させる作業に取り掛かれる。


「……ふう」


 呼吸を正す。ここからは失敗が許されない。極僅かとは言え、準備の段階だけでも既に自分の『一部』を捧げている。幾ら初歩だと言っても陰陽術、人智を超える力を扱うにはそれなりの代償が必要だ。それは勿論、失敗した時のリスクの大きさも物語っている。一歩間違えば、行使する筈のその力に『取り込まれ』てしまうのだ。

 桃は意を決し筆を取ると、折り畳んだ紙の上に筆を滑らせる。しなやかに、力強く、しかし慎重に。真白な紙の上に複雑な文字と図形を形作って行く。古来より伝えられる『力』を孕む霊言を書き綴り、特殊な図形や記号によりその『力』を只の紙に刷り込んで行く。

 成すは転生。至るは土台。何の変哲もない人工物を、陰陽師専用の武具として生まれ変わらせ、武具足り得るモノの土台として、その在り方を作り替える。自らの血液をインクに、自らの霊力を表現する。それは文字通り自らの血肉を分け与えた、新しき『命』に他ならない。


「…………………よし」


 筆が止まる。無事に霊言を書き終えた。これで本当の意味で準備完了。陰陽呪符としての『土台』が完成した。そう、ここまででようやく『土台』まで至ったのである。弾丸で言えば、あくまで弾丸の形をしたモノが完成したに過ぎない。ここに『火薬』を込めてこそ、弾丸としての本当の役割が果たされる。その『火薬』となるものは無論、術者自身の霊力である。紙に霊力を封入出来るようにしたのが今までの作業。真に紙を『陰陽呪符』へと至らせるには、ここから更に長い時間を掛けて霊力を注ぎ込まなければならない。

 霊力には形がない。質感もなければ触感もない。基本的に体外に出す事も出来ない。陰陽術とは自らの霊力を行使して人智の及ばぬ力を振う。この矛盾を埋めるのが陰陽師専用の武具であり、陰陽呪符だ。術者によっては使い込んだ剣や杖を媒介とする者もいれば、桃のように呪符を使い行使する者もいる。いずれにせよ、使いこなすには気が遠くなる程の研鑽を積まねばならない。

 インクとして使った血液や封入した髪の毛を通じて、呪符に霊力を送る。そして徐々に少しずつ、呪符内にその霊力を蓄積させて行く。一気に注入しようとすれば固定化出来ずに霧散してしまう等、兎に角地道で時間の掛かる作業である。しかし陰陽道に近道などない。一歩ずつ確実に、正しく前に進まねばならない。


「さて………」


 桃は書き上げた呪符を一瞥し、再び元の位置に戻す。胸の高さで印を組み、目を閉じて精神を集中する。体内の霊力を感じ取り、発現させるように統一する。


「オンバクショウキソワカオンバクショウキソワカオンバクショウキソワカ……」


 呼応するように呪符が浮かび上がり、桃の眼前でくるくると回り始める。淡く光を帯びる桃の身体と呪符。この時より、術者と媒体は渾然一体となる。




―――満たせ 充たせ ミタセ


永く 深く 根を下ろし 普く深山の木行よ

さりとて風にはためいて 鳴動揺らぎて幾世の唄に

(きのえ) 息吹に生なる祝福を

(きのと) 死人に静なる安眠を

泰樹に坐して結合し 優しく見守る御木の神よ

木と陰とを創りし理の その玲瓏なりて赴かん


―――注げ 濯げ ソソゲ


熱く 激しく 燃え上がり 輝き照らす火の行よ

さりとて風に揺らめいて 消失紡ぎて華厳のように

(ひのえ) 輪廻を伝う上奏を

(ひのと) 回帰を巡る精励を

上り昇りて手を伸ばし 力強きは火塵の神よ

火と影とを纏いし理の その介在なりて呼び続けん


―――浸せ 漬せ ヒタセ


遠く 高く 広がりて 地平を望む土行よ

さりとて風に撫でられて 響かん彼方の郷となり

(つちのえ) 奔るは嘗ての幻想を

(つちのと) 最果て見据える憐憫を

旅路に至りて終焉し 横たわるは土錬の神よ

土と光を振るいし理の その尚仁なりて沈み往かん


―――落ちれ 墜ちれ オチレ


欠けて 割れて 腐食して 枯れ壊れるは金行よ

さりとて風に浚われて 灰燼屠るは埋葬し

(かのえ) 伏せて閉ざすは醸造を

(かのと) 散乱なりしは復元を

崩れ剥がれて溶け堕ちて 覚醒待ちる金蝕の神よ

金と陽を掴みし理の その衝動なりて駆け抜けん


―――回れ 廻れ マワレ


速く 流れて 走り出し 煌めきせせらぐ水行よ

さりとて風に運ばれて 生命を育む母胎とならん

(みずのえ) 抱くは遥かな清廉を

(みずのと) 囁く幽かな遊走を

流れ流され渦巻いて 舞い上がるは水劫の神よ

水と日とを映せし理の その命運なりて辿り着かん


繰り返す都度に二十八 陰陽五行に従いて

相生 相克 太極の下に三叉を築く


満たせ 注げ 浸せ 落ちれ 回れ

重ね 交わり 積み上げ 巡り そして戻る




我が力 我が理に従うならば 我が媒体とし其にとて術の礎なりて

邪を撃ち祓わん魔弾と至れ―――――









「はあ……はあ……はあ……」


 時は既に夜半を過ぎ、僅か数刻で朝日が昇らんとする時刻。精も根も尽き果てた様子の桃は、ここに至ってようやく一息ついた。


「やっぱり……一晩じゃ無理だったかぁ……。……はあ……」


 結論から言えば、呪符は完成しなかった。とは言え、桃の実力からすれば一晩で完成させようと言う方がまだ無理なレベルである。呪符に貯まった霊力はせいぜい半分。今まで呪符の精製に何日、何ヶ月も掛かっていた事を考えれば充分な進歩ではあるが、その程度で若き陰陽師は満足しない。


「ま、後はゆっくり込めて行きましょう。……今日はもう限界。ちょっと無理し過ぎたかなぁ……」


 未完成の呪符を持って後始末を終えると、桃は疲れた身体を引き摺って地下室を後にする。陰陽師とは言え、桃はまだ中学生だ。もう数時間の後には学生としての生活が待っている。僅かでも休息を取らねば、今度はそちらに支障が出てしまう。


 こうして若き陰陽師の夜は更けて行き、また新たな一日が始まるのだった―――――




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