7.自覚3
毎度のことながら山の様に積まれた書類の向こうにこの国の王は居る。
「ライザック。先日の夕方、近衛の騎士が気絶した侍女の集団を見つけたそうだな」
自分の主君であり、幼馴染でもあるこの国の王は、書類に目を落としたままそう聞いてきた。
「あぁ。本人達に確認をとっても記憶がないとしか言わない。脅迫されたようにも見受けられない……しかしな」
国王―ファガースは何も言わず、ライザックの続きの言葉を待つ。
「本当に記憶がないんだ。侍女であったことも忘れている。それだけじゃない、自分の出自以外はなにも、本当に覚えていないんだ」
彼女たちはまるで幼児返りしたようだった。
幼子のように、話を聞いて王城に上がった両親を見て安堵したように抱きつく。
そして、彼女たちは皆が皆そろってこう言った。
『あら?父上、母上、疲れてらっしゃるの?』
と。
彼女達の両親の話では二十年程記憶が遡っているらしい。
彼女達にとっては父母がいきなり老けて……疲れているように見えたのだろう。
侍女の出自が皆貴族であるために少し騒ぎになりつつある。
「原因に心当たりは?」
「ない……、いや待てよ。……」
ライザックはしばらく無言で顎に手を当てていたが、何かを決心したかのように部屋を出て行った。
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アルティアラインの表情が険しい。
ポネーは原因の検討はついてたが、詳しい事は知らない。
先日の夕方だった。
ミラが王宮から書類を持って帰ってきたときのことである。
ミラの顔を見るなり、アルティアラインは泣きそうな顔をした。
ミラはミラで、表情がない。
無表情、とさえ言っていいのかどうかわからなくなるほど、彼女には表情がなかった。
「……時間が、ないの?」
「……えぇ……姫様、喜んでください。吉報ですから」
ミラが隣の、侍女の部屋に通じる部屋に消えると、アルティアラインは自らの手で目を覆った。
「……。ポネー、手紙を書くわ」
素早く手紙をしたためると、アルティアラインは窓を開ける。
「叔父上」
「なんだい?」
何時の間にか窓に腰掛けたイズールを見て、ポネーは悲鳴を上げそうになる。
「あっ、お嬢さん!ストップ、叫ばないで」
イズールが手をこちらに向けて制止するので、思わず手を口に当てて堪える。
「叔父上、緊急でこれを兄上に渡していただきませんか」
「あの子の事だろう?」
「えぇ。……時間がありません」
俯くアルティアラインの頭をイズールは慈しむようになでる。
「なんて書いたかは知らないけど、生命を天秤には、かけられないだろう?」
その言葉にアルティアラインは下唇を噛む。
「解かって、います」
泣きそうなアルティアラインにポネーは近づく。
「姫様……」
「大丈夫よ。ありがとう」
王女は笑って見せる。
「父上、それを……渡してはもらえませんか?」
「ミラ?!」
先程の扉からミラが姿をみせる。
よく見ると、彼女の長かった深緑にも見える黒髪は耳の下程に切りそろえられている。
髪の事にはあえて触れずに、イズールが彼女を見る。
「渡して?どうするんだ?」
イズールが手紙をかざすと、窓から入ってきた風で揺れる。
「……燃やします」
「どうして?!兄上が……、なんとか」
「難しいだろうね。あいつだけじゃ駄目だし、国王ってだけでも駄目だ。あいつで、国王ってことに意味があるんだよ。」
「だから、国に帰ろうって言ったじゃないか」
イズールの言葉に無神経だ、というように鋭い視線をアルティアラインは向ける。
「?それ以外に、何か策でもあるの?」
アルティアラインは俯き、ミラは頷く。
「えぇ。もう無理です。……姫様。少し早くなってしまいましたけど、お暇をいただく事にします。父上が行ったように、生命を天秤にはかけられません」
にっこりと、いつもの様に穏やかに、ミラは笑った。
*************
嫌な予感がする。
歩く歩幅が自然と広くなる。
途中、話しかける同僚の言葉も、部下の言葉も適当に返しながらライザックは王女の部屋へ向かう。
しばらく何も言わず、俯いていたアルティアラインが顔を上げる。
その瞳は先程とは違い、何か決意めいたものに溢れていた。
「……わかったわ。ミラ、必ず生きなさい」
「……御意」
ミラは、頭を上げるとイズールの顔を見る。
「……父上」
「わかっている。一緒に行くさ。君は、僕の娘だからね」
いつもの様に霞のような笑顔を向けると、イズールは姿を消した。
「姫さん?」
ドアのノックとともに、どこか焦った将軍の声が聞こえた。
「ポネー、私が行ったら、開けてさしあげて。……それから、これ私の髪で編んだの。あなたが持っていて」
ポネーに差し出したのは自分の髪でできた髪飾り。
髪には魔力が宿る。
何かの役に立つかもしれない。
振り返り、姫様の髪をなでる。
「……お元気で」
「えぇ。あなたも」
そう言って窓に近づく。
「すまん、姫さん。開けるぞ」
……気が早いなぁ。
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「姫さん?……おい」
ドアを開けると、目の前に広がる光景に絶句した。
涙を、遠慮ないほどに流す若い侍女。
寂しそうに、泣きそうに笑う王女。
そして……。
「将軍、姫様を……よろしくお願いいたします。楽しかったです、城下の観光。……私、あなたの事が好きみたい」
今までで一番、甘くて、むごい笑顔を向けて。
制止する間もなく彼女は消えた。