13.職場復帰
ドレープなんてつくったのはいつ以来だろう。
騎士の盛装に身を包んだミラは侍女に仕上げを任せて自分はぼんやりと姿見を眺める。
そもそも自分は盛装が嫌いだった。
理由は簡単だ。
自分の正装はドレス。
だから初めて騎士の叙任式ではドレスか騎士服かどちらを着るかで論争が起こった。
……オルトヴァレスを含めた当時の部下から嫌がらせのようにドレスを送られたんだっけ。
まだ簡単な挨拶しかしたことが無い部下から贈り物が届いた、と聞いた時には不思議に思っていた。
しかし、箱を開けると、そこには当時流行だった華やかなドレスが入っていた時、全て納得がいった。
怒りよりも、呆れよりもむしろ感動と納得が先に自分の感情として湧いてきた。
あの問題児部隊がまさか。
まさか、流行のドレスを贈って来るなんて。
決して安くはないだろうそのドレスの生地をそっとなでると、控えていた侍女に笑顔でこれを着て叙任式に出ると言い切った。
案の定、式典では好奇の目を向けられたし、後でアントニオには面白がられた。
しかし、贈り主達はかなり驚いていた。
後で聞いたら騎士の末席で遠目にドレス姿で叙任式に出たミラを見て、あの女は気が狂っていると思ったらしい。
それからだ。オルトヴァレスを筆頭に当時からの騎士たちは私の事を女史と呼ぶようになったのは。
扉をノックされる。
「どうぞ」
返事をすると、オルトヴァレスが扉を開けた。
「女史……おや、今回は騎士服なんですね」
「えぇ。ドレスを贈ってくれる男性はいませんでした」
にっこりと返すとオルトヴァレスは肩をすくめた。
「あー、あれは大変でした。遊びで騎士団に入ろうとしている王族の小娘を辞めさせるなら安いものだと全員で薄給をはたいたのに。本人はドレス姿でノリノリで叙任式に出てくるんですから。全員で失敗だったと頭を抱えましたよ」
「えぇ。ありがたく使いました」
「しかも、その後の訓練は女史一人だけにこにこしている地獄の練兵が待っているわ、しかも女史も参加しているのに息も切れてないとか、その訓練の後に女史はファウド卿と組み手だのなんだのをずっとしているとか、知った時には俺達のプライド崩壊してました」
「オルトヴァレス殿の俺、久しぶりですね」
何を隠そう、目の前のオルトヴァレスももちろん問題児部隊の一員。むしろ、一番手に負えなかったのはこの男かもしれない。
ミラが隊長になる、そもそも騎士にならなければオルトヴァレスはもっと早く出世できる予定だった。
それを、王族の女が騎士になる、という話が舞い込み、彼が本来もらえるはずのポストをミラがかっさらったという事になる。
もちろん、問題児部隊はミラを歓迎などしなかった。
ボロが出るならすぐにでも追い出してやる、と言った風に毎日毎日臨戦態勢で訓練の時にミラを監視する者が必ず一人はいた。
ミラは部隊の敵視も完全に無視を決め込んで、訓練に励む。
そんな毎日が過ぎて行ったある日、いつもの様に訓練を終えて練兵場を出ようとした時だった。
『隊長、ちょっとよろしいですか』
オルトヴァレスに呼び止められたのだ。
その頃はまだミラをオルトヴァレスは女史と呼んでは来なかった。
『何でしょうか』
部隊で当時から彼とは会話が最低限はあった。
もちろんミラが隊長で、オルトヴァレスが副長をしていた事が理由である。
『……この後、飲みに行きませんか?』
その頃のオルトヴァレスは二十代で目元に皺もなかったし、髪に白髪もなかった。今ほど柔らかな印象でもなかった。
『隊員の一人が結婚するので、隊で祝おうという話があるもので』
『あぁ、ゴドーですか』
『……知ってたんですか』
オルトヴァレスは驚いていた。
彼女は隊員の顔と名前を覚えていないのだと思っていた。
小隊ではあるものの、隊員の人数は五十を超える。
『騎士の結婚は隊長、騎士団長に報告するのが原則です。実際、あなたと二人で彼も私のところに来たでしょう?』
確かに、オルトヴァレスはミラのもとにゴドーを連れて行った。
しかし、ミラに文書を提出してその場でサインをもらうだけだったが。
『ばっちり名前も入っていたのに、読んでないわけがないじゃないですか』
『興味がないかと』
その場での祝いの言葉も社交辞令だと思っていた。
ゴドーは思いの外喜んでいたが。
『……あなたの私に対する評価が分かりました。飲みには行きます。着替えてきますね』
『あ、宿舎の前に居ますから』
あとあと、ミラを置いてそのまま酒場に行けばよかったかとも思った。
宿舎の前で待っていると、ミラは隊員が宿舎から出てくる前に姿を現す。
『……皆さんは?』
『まだ出てきていないだけですよ。男は準備に時間がかかるんです』
そう言うと、ほっとしたような顔でミラが笑う。
その時、オルトヴァレスは初めてミラの笑顔を見た。
そして、気がついた。彼女は肩の力を抜けない状態にしているのは自分たちだという事に。
もちろん、それを故意にしていたという自覚はある。しかし、目の前の小柄な少女の両肩になにを縋り付いていたのかと、バカバカしくなった。
宿舎の前にいる自分に本人も気がついていないであろう笑顔を向けられた瞬間、オルトヴァレスは彼女を守って行こうと思った。
彼女は、守られなくとも大丈夫だ。それが分かっているからこそ、彼女を守りたくなった。
オルトヴァレスが勝手に自分に誓いを立てた後、だらだらと出て来た隊員は、ミラの姿に隊全員が驚いていた。
オルトヴァレスが声をかけたと知ると、オルトヴァレスは何人かに肩を叩かれた。
その時、彼は隊員が自分が思っていたよりも自分を気にしていてくれた事を察した。
『行きましょうか、女史』
『……は?』
『女史、です。……貴女は何故かそう呼ぶべきだと』
そう言うと苦笑しながら、ミラは言う。
『女史は、やめてください』
「いけませんね。最近は昔が懐かしくて仕方がない」
「戻りたいですか?」
「冗談。女史の赴任当時といえば、私の婚約者は七歳ですよ?さすがにヤバいですね。手は、出さない、かな?」
七歳の当時の婚約者の事を考えているのかどうかは分からないが、オルトヴァレスはぶつぶつと何かを呟いている。
「愛の形はそれぞれですから、……犯罪者の上司は嫌ですよ」
「おや、問題の多い部隊で平気な顔で隊長をしていた方の発言とは思えませんね」
「で?結論は?」
「七歳の彼女でも。愛しています」
結局は惚気たいだけじゃないか、と呆れて笑う。
「……そういえば、今日はやかましいのが居ませんね」
言外にロキはどこかと訪ねる。
「彼なら宿舎で冷やかされてましたよ。……彼もあの恰好に慣れないようで」
まるで息子が一人門出するかのような顔をする。
「まあ、今日の主役ですからね。ロキが陸の副団長かぁ……」
今回の叙任はミラだけではなかった。
ロキも今回出世が確定した。
というのも、オルトヴァレスがもともとは陸軍を統括する副団長になっていたのだが、オルトヴァレスが騎士団長になって以降、空席だったのだ。
それで、今回新規の隊の叙任式と共にロキが副団長として異例な抜擢をされたのだった。
「……仕事、できるんですかね」
「もちろん。私が指導しますから。今まで通りのように机仕事から逃げても許されるなんてことはありませんからね。……私は仕事に逃げた人間も知っていますが。彼女はそれで昇進が決まったくらいですし」
こちらを見ながらにこにこと言われる。
にっこりと穏やかに笑ってはいても、出会った当初のオルトヴァレスの姿が重なる。
頑張れ、ロキ。
「……仕事に逃げたというのは人聞き悪いです」
「おや?ほぼ睡眠もとられずに執務室と訓練場の往復ばかりしていたのはどこのどいつですか?」
眉間に皺を寄せると殊更若いころの顔に戻る。
「あれは、……そう、あの時初めてオルトヴァレスに本気で殴られたんでした」
「えぇ、あの時が最初で最後でした」
『女史、いい加減寝ろ』
練兵場で剣を振るっている上司を見つけた瞬間、オルトヴァレスの口から出た言葉はそれだった。
原因は分かってるし、オルトヴァレスがミラに何もできないのも分かっていた。しかし、今のミラは異常としか言えない。
ふらつくことはないが、確実に行動に俊敏性が欠け始めている。
『私は大丈夫です。それより、オルトヴァレス殿。上司に向かって寝ろというのは、!!』
『……』
ドンッという音と共にミラが崩れ落ちる。
『落ちたか?』
『あぁ……』
わらわらと駆け寄ってくる隊員にミラを預ける。
『どこに寝かせる?』
『いつも女史が使っている部屋はよくない。……宿舎に行こう。部屋の出入り口と窓の下に交代で人を置いてもいいか?』
その場に居る全員が頷くのを確認して、隊員たちにミラを任せる。
オルトヴァレスが練兵場を出て向かった先はミラの執務室だった。
『……』
部屋をあけた瞬間目の前にあったのは処理済みの書類の山。
『……チッ』
オルトヴァレスの舌打ちを注意する上司はその場にはいない。
彼は執務室の扉を乱暴に閉めた。
「あの時は、本当に殺されるかと思いましたよ」
「さすがに殺しませんよ。」
「姐さん」
ロキが遠慮なく部屋に入ってきた。
騎士の盛装をしたロキに思わず吹き出す。
「あっ!今笑ったッスね!」
「悪い……ロキ、なんか……ははっ」
出会った当初の事を思うと感慨深いのと同時に面白くて仕方がない。
「姐さん、帰ってきてくれたからオレ、根性入れてこんな恰好したんスよ?」
捨てられた子犬のような顔をする。
「……すまんな。私も戻ってくるつもりはなかったんだが」
「帰って来てくれて嬉しいっス。団長サンも喜んでましたし」
にっこりと笑うロキにミラの顔も緩む。
「それにしても……似合わないな」
ロキにレース付きのシャツ。
「……子どものお祝いみたいだな」
「それはオレも思ったッス」
*************
扉をノックする。
「姫さん、悪い。入ってもいいか?」
「いいよー」
「??!」
間の抜けた声が返ってくる。
「この声……」
「叔父上、私の代わりに反応しないでいただけますか?」
扉を開くと、既視感を感じた。
「……ファウド卿」
「やっほー、ライザッくん」
ライザッくん、という言葉に眉を寄せる。
手を上げる栗色の髪の男はいつぞやのように窓枠に座っていた。
「あれ?なんかきみ、隈できてるよ」
「……気にしないでください」
ライザックの目もとには確かに隈があった。
しかし、彼の顔を見慣れた者でも分からない程度だった。
「ライザック様。今日の御用はなんですか?」
「あぁ、ロジエに蜂蜜持たせたの、姫さんか?」
ただの勘であったがライザックは蜂蜜の贈り主がアルティアラインであると、そんな気がしのだ。
「えぇ。暇を出した侍女の部屋から出てきたものです。最近彼女、城下町に降りたばかりだったので、その手土産かとも思ったんですけど……ライザック様ならこれが何か分かると思いましたので」
にっこりと微笑む王女に思わずつられて笑ってしまう。
「あー、なるほど。そうか、いつ作ってたんだ?」
「城下に降りてさほど時は経たずに。蜂蜜をもらえないかと言われたので、何かに使っていた事までは知っていたんですが。……部屋にあからさまに置いてあったので、ライザック様に届ける物だと思いました」
間違っていませんよね?
と確信しているのに、確認を行う王女に思わず笑みが苦笑に変わった。
「……本人がいないからな。確認のしようがない。けど、ありがたくもらっておくよ」
「はい」
いろいろここ数日苛々していたのが嘘のように、ライザックの心は晴れ渡っていた……これで終わればよかったのに。
「ライザッくん、君がミラの旦那なのー?」
間延びした声に顔を向けると、イズールがソファにくつろいでいた。
「旦那……ではないですが」
「じゃあ、恋人ー?」
「でもないです」
別に恋仲ではない。
ライザックの中でミラが同僚以上の存在、というだけだ。
「……ふーん。あの子はね、俺の奥さんにそっくりなの。意味わかる?」
「……奥方にそっくりな彼女は嫁にやりたくないとか?」
「はぁ、割と鈍感だよね……ライザッくん、僕ね、今奥さんに逃げられててそれ追いかけてるの。王族の義務とか権利とか一切ほぼ放棄してるの。その上で奥さん追いかけてるの。……あいつは、奥さんにそっくりなのは顔だけで中身は僕よりだと思ってるけど、……僕も思ってたけど。あの、逃げ癖はね、奥さんそっくりだよ」
「はぁ」
正直な話、ライザックにとってはイズールが王族の義務と権利をほぼ放棄して妻を追いかけているという話題で頭の中を取られていた。
「僕と奥さんの事はどうでもいーの。僕が何とかするからね。君が考えるところは、僕の娘が奥さんそっくりに逃げ癖があるところ」
「……そんな風には見えませんが」
「あー、悪い言い方をすると自分に酔ってる。ってか自信がなさすぎる。あと君と一緒で鈍感。好意を身内以外から向けられる事に慣れてない。好意を向けられても、気がつかないし、気がついても気のせいだと思う。……ね、あの子は僕と奥さんの短所ほぼ全部受け継いでるの。まぁ、あとはお姉ちゃんの存在も大きいんだろうけどね……ウチノ国王陛下サマがお姉ちゃんにゾッコンなのは、まぁ当たり前だけどなんだかんだであの二人婚約まではしてたからさぁ」
「婚約?」
自分と一緒で鈍感、という言葉は引っかかる部分はあるが。
「あぁ、なんだ。話してなかったのか。あのね、うちの国王……アントニオ・アイルファードって言うんだけど、彼はもともとミラの婚約者だったの。で、まぁ二人はもともといろいろあってくっついてなきゃいけなかったし、二人とも仲は悪くなかったからって言う事で決めた婚約なんだけど。そこにお姉ちゃんが帰ってきて、アントニオが彼女を好きになっちゃったからミラとアントニオの婚約は破棄になったの。……ここまでの話は分かる?」
ミラの婚約者が国王……。
突然の第三者からのカミングアウトにライザックは頭に手を当てる。
「はぁ」
「そこで彼女はね、仕事に逃げたの。もともと問題児を扱うような部隊に放り込んでた……あ、放り込んだのは僕だけど……、そこで思いの外隊員たちがミラを好いてくれたから。ミラは仕事に打ち込んだんだ。傍から見れば傷心者が仕事で忘れようとしていたようにも見えただろうね」
なんとなく想像がつく。
「だからねー、ライザッくん。ミラが欲しいなら頑張んなよ?」
口調とは裏腹にイザークの表情が真剣なものに変わったのをライザックは感じ取った。
「……はい」
「ホントなら、君と一戦して叩きのめしてやりたいところなんだけどね」
「叔父上、いい加減にして下さい。ライザック様は大丈夫ですよ」
「……アントニオの時も、僕はそう思ってたよ」
ソファの肘掛けに肘をついて、イズールはため息をつく。
「大丈夫、なんて決めるのは君ら……だろ?」
にっこりと笑うイズールに、ライザックは敬礼する。
「はい」
「……でも、一発殴らせて」
「……はい」
テロルゴ最強を謳われるディノーバ・ライザック将軍は奥歯を噛みしめた。