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03  ノラネコ

 内線が鳴った。彼女のいる、21番ルームからだ。

「はい、フロントです」

「ホットコーヒー。あと、カルボナーラ」

 今日はそうきたか、と思いながら受話器を置く。彼女はいつもルームに入った後、ドリンクと食べ物を注文してくる。しかし、同じメニューを頼んでくるわけではなかった。紅茶だったりコーヒーだったり、お茶漬けだったりポテトだったり。甘い物は頼んでこないので、どうも苦手らしかった。


 冷凍のカルボナーラを電子レンジに放り込み、その間にホットコーヒーを注いで、出来上がったばかりのそれらを21番ルームへと持って行く。ノックして、声をかけながらドアを開けた。


 薄暗い照明の中で、彼女はソファーに足を組んで座り、煙草を吸っていた。これもいつものことだ。少し甘い匂いのする彼女の煙草は、俺の知らない銘柄だった。


「……みやけ」


 カルボナーラを机に置いていると、彼女が低い、けれども透き通った綺麗な声でそう呟いた。そして彼女が呟いたそれは、俺の名前だった。

 びっくりして、思わず彼女の方を見た。彼女は無表情に、俺の目を見ていた。そしてこう続けた。

「名札」

「あ……」

 なんで俺の名前を知っているのだろうと思っていたらそうだった、名札を付けてるんだった。俺は恥ずかしくなった。自意識過剰にもほどがある。

「下は?」

「はい?」

「下の名前。なんていうの」

 名札には、名字しか書いていなかった。

「あ、ユウです。優しい、の優」

「ユウ……」

 彼女は煙草に口をつけて、吸って、煙を吐きながら

「いい名前ね」

「ありがとうございます」

 ごまんといる名前だと思うが、誉められると悪い気はしない。



 彼女が食事を始めたので、俺はルームを出た。そういえば、彼女の下の名前はなんだっけ?フロントに戻り、カウンターの上にあった名簿をめくる。

 彼女の名前を確認した俺は、固まってしまった。名簿には走り書きで、しかしはっきりとこう書かれていたのだ。


『野良 猫』


 ノラネコ。まさか『のらびょう』ではないだろう。どうして俺は今まで気づかなかったんだ。これ、偽名じゃないのか。


 俺は『野良 猫』が偽名かどうかを考えて、それからすぐに考えるのをやめた。

 彼女が偽名を使っているんだとしても、特に問題なかったからだ。金は払ってくれてるし、ルームもきれいに使ってくれるし、常連だし。別に偽名を使ってるからって追い出す必要もないだろう。


 というのは表向きの理由で、実際のところ俺は、彼女に会えなくなるのがさみしかった。




 彼女以外の客は、朝の5時ごろに次々退室していった。そしてそれから、客が入ってくることはなかった。この時間帯は一番暇なのだ。とりあえず、店内の掃除をして時間をつぶす。そして9時ごろ、俺はようやく店を出た。

 店を出たら、あいにくの雨だった。雨の所為で湿気の強くなった鬱陶しい空気が、肌にまとわりつく。俺は折り畳み傘を探すために鞄を開けようとした。ちょうどその時


 ピンポーン


 店のドアが開いて、中から彼女が、…野良さんが出てきた。彼女は濡れたアスファルトを見てから、空を見上げた。そして、浅くため息をついた。

「……傘、持ってますか」

 そんな彼女の様子を見て、思わず声をかけてしまった。彼女は、隣に俺がいたことに最初から気づいていたのかいなかったのか、ちらりとこちらに目をやって、それからかぶりを振った。

「持ってないわ」

 そう言うと彼女は、自分の鞄の中に手を突っ込んで何かを探し始めた。携帯でも探しているのかと思ったら、彼女が取り出したのは携帯ではなくて煙草の箱だった。しかし中身が切れていたらしく、その箱は握りつぶして鞄にしまい、新しい箱を探し始めた。俺は何となく、その様子を見つめる。ふと、彼女と目があった。

「……あなた、今から家に帰るの? 家はどっちの方向?」

 彼女の言いたいことは分かった。俺はできるだけ明るい声で、答える。

「虎野駅の方です。よかったら、傘、入っていきますか」


 彼女はにこりと笑って、ありがとうと言った。



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