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19  本音

 通路の途中で、水槽に向かって座れるベンチのある休憩所を発見した。周りには誰もいない、穴場スポット。俺たちは横に並んで、ベンチに腰掛けた。

「……手、いつまで繋いでるの?」

 彼女が繋いでる手を見ながら、苦笑いで言う。

「嫌ですか?」

「…………」

 嫌だとは言われなかったけど、俺はそっと手を離した。そして空いた手で、彼女の頭を撫でた。なんとなく、撫でたいと思ったから。

 触れた瞬間びくっとしたものの、彼女は目を伏せたまま何も言わない。「やめろ」とも言われなかったので、俺は彼女の頭をしばらく撫でた。はたから見たら、ただのいちゃつくカップルだろうけど、幸い近くに人はいなかった。

 彼女が膝を抱える格好で座りなおし、膝に顔をうずめた。彼女の表情が、こちらからは見えなくなる。彼女はしばらく浅い息を繰り返してから、

「……まだ、死ぬ気はある?」

 くぐもった声で、そう訊いてきた。


 もう死のうなんて思いません! というのは嘘だ。俺はまだ死ぬ気でいる。彼女や、俺のことを生かそうとしてくれた母には悪いが。俺は、俺のことが嫌いだった。だからさっさと殺して、終わりにしたかった。


「本当のことを言うわ」

 彼女が、顔を膝に埋めたまま続ける。表情は、やはり見えない。

「あなたには名前がある。親がいる。戸籍がある。そこまで深い仲じゃなかったとしても友達がいる。学校へ行っていた思い出がある。笑った思い出がある。……未来の選択肢がある。あなたはぜいたくすぎる。だから死にたいのかもしれないけれど」

 少しだけ、彼女の声が大きくなる。俺は頭を撫でるのをやめて、彼女の言葉に集中した。


「正直に言う。私はあなたがうらやましい。勝手なこと言うなって怒ってくれてもいいわ。でも続ける。私はあなたがうらやましい。私だって、私の『普通』が世間で言う『普通』とはかけ離れてることは、知ってるの」

 そこまで言って、彼女は言葉を切った。それから、自嘲気味に笑った。

「一瞬でも、生まれた瞬間でも誰かに愛されて、大切にされて。幼稚園に行って、小学校、中学校……。外でかけっこして、友達とおしゃべりして、学校で勉強して、ちょっと悪さもして。――あなたには『今まで』がある。そして、『これから』も」

 彼女の肩が、声が、わずかに震える。


「私には何もない」


 吐き捨てるように、彼女は言った。


「生まれたときから人間ではなかった。人間として扱われなかった。愛された覚えはない。もちろん学校なんて行ってない。人と触れるのは、殺すときだけ」

 彼女の声の震えが大きくなる。肩の震えも。

「刃物で殺したことはない。銃で殺したこともない。身体を血で汚したことはない。けれど自分の身体に、血のにおいがこびりついている気がするの。それをごまかすように、煙草を吸う。何も考えないように、何も感じないように。これが普通、これが普通なんだって」

 俺は少しだけ、彼女に近づく。

「そこまでして……人殺しまでして、私は自分を生かそうとする。そこまでして、私を生かす理由なんて、私は持っていないのに」

 俺は手を伸ばして、彼女を抱き寄せた。さらりとした彼女の髪の毛の感触と、細い肩。

 彼女は若干バランスを崩して、俺の胸にもたれかかった。驚いたような顔で、俺を見る。怒られるかと思ったが、彼女は何も言わない。ふっと漏れる彼女の吐息。それと同時に零れおちる、綺麗なそれは。

「だけど俺は、あなたには生きていてほしい」

 彼女の息が、若干荒くなる。

「私は死んだ方がいい。人殺しよ?」

「……それでも」

 彼女の温かい吐息が、俺の胸にあたった。彼女は確かに生きている。感情を持っている。震えて、泣いている彼女は、

「道具なんかじゃない」

 俺は、ずっと一人で生きていこうと思っていた。人と関わるのはやめようと思っていた。なのに俺は、自分を止められなかった。俺はやっぱり、


「あなたが好きです」


 きっと、あなたの孤独をこの目で見た、その時から。



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