表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
15/25

14  提案

彼女の『それ』を、全て埋めることは俺にはできない。それでも、少しくらいは塞いであげられないだろうか。


彼女が俺の『それ』に、ハンカチを差し伸べてくれたように。




 10分もしないうちに、彼女は部屋へと帰ってきた。そのまま席には座らず、自分のたばことライターを手に取る。

「……まあ、あなたとこうやって話ができて、良かったとは思ってるわ」

 そう言われて、自分の腕時計で時刻を確認した。いつの間にか、朝の8時半を過ぎている。9時にはここを出なくてはならない。

「ありがとね」

 その声を聞いて、俺は腕時計から顔をあげた。彼女は笑っているのに、さみしそうな顔に見える。

 俺は考えた。考えたと言っても一瞬で、それはほとんど勢いだった。

「1日、俺にください」

「え?」

「あなたの今日を、俺に下さい。俺と付き合ってください。……今日だけ」

 彼女は訝しげな顔で、俺の方を見た。けれど、あくまでも俺は真剣だった。



 教えたかった。彼女が俺に教えてくれたみたいに。あなたも孤独じゃないんだってことを。感情があるんだってことを。


 人間だってことを、伝えたかった。



「正気なの? 私は人殺しなのよ?」

「俺だって人殺しです」

「それとこれとはわけが違うでしょう。それに、あなたのは人殺しって言わないわ」

「どうだっていいです」

 彼女は呆れた顔で俺を見た。それから、ふっと笑った。

「とりあえず出ましょう。店長さんに怪しまれるわ。お会計は私が持つから」

 いや俺が、と言う前に、彼女はさっさと部屋のドアに手をかけて、笑った。

「次はあなたが御馳走してね」

 

 こうして俺と彼女は、1日だけ付き合うことになった。




 会計を済ませた後、店長に今日はバイトを休みたいと伝えた。もちろん渋られたが、実家の父親が危篤なのだと説明したら、すんなりと承諾してくれた。さっきの俺の泣き顔の意味が、店長の中では別の意味に変化したらしい。「1日と言わずにもっと休んでいい」と言われたが、それはさすがに断った。俺は、ずる休みがあまり好きではなかった。


 店を出ると、朝の澄んだ、けれども生ぬるい空気が体中に当たった。目覚まし時計の代わりになりそうな、蝉の大合唱。一瞬だけ意識がはっきりしたような気がしたが、すぐに眠気が襲ってくる。そういえば、世間が活動している時間帯は、俺にとっては眠るための時間だった。

 しかし、時間がない。なにせ1日限定のデートなのだ。今から早速どこかに行こう、と彼女に声をかけた。

「どこに?」

 と訊かれてたちまち困る。全くのノープランだった。デートすることだって、ついさっき決まったところなんだから。

「野良さんは、」

 と言いかけて、逡巡する。彼女のことを野良さんと呼ぶのは、なんとなく気が引けた。しかし、猫さんと呼ぶのもおかしい。

「野良でいいわよ」

 察したのか、彼女は苦笑いした。

「野良さんは、どこか行きたいところとかありますか」

「水族館」

 即答。デートとしてはベタなところを選択されて、俺は笑った。

「魚が好きなんですか?」

「ううん、涼しい所がいいなと思っただけ。ただでさえ暑いのに、外は嫌」

 なるほど。俺は彼女の考え方に少しだけ笑いながら、ここから一番近い水族館を提案した。

「じゃ、そこで」

 彼女は迷うことなくさっさと、駅に向かって歩きだす。俺は慌てて、その後ろを歩き始めた。



評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ