12 嘘
何か飲む?と訊かれて、アイスココアと答えた。泣きやんだものの、とにかく混乱していた。
人を殺すことが、仕事。
彼女は自分のことを、淡々と語った。一方の俺はこのありさまだ。
ドリンクを注文して内線を切った彼女は、俺の横ではなく、向かい側に腰かけた。テーブルの上を見ているようで見ていない、どこを見ているのか分からない目をしていた。
「あなたはね、まだ引き返せるわ」
そのままの目で、彼女が呟くように言う。
「まだ引き返せる。あなたのことを愛してくれる人も、必要としてくれる人も、この世界にはきっといる。自分から一人になる必要なんてない。そんなさみしい思い、自分からしなくていいのよ」
彼女の言葉を聞いて、ああ、と思った。ああ、だから俺は、
その時、乱暴なノックの音がゴンゴンと室内に響いた。
「失礼します」
満面の営業スマイルでココアとレモンティーを持ってきた店長は、「おまけです」と言って、ポッキーの載った皿をテーブルの真ん中に置いた。それから俺の方を見て、ぎょっとした。
俺の顔に何かついてるのか?と思ってから、さっき泣いたことを思い出した。相当ひどい顔をしていたんだろう。それを店長がどう捉えたのかは知らないが、彼女と俺の顔を交互に見比べて、にんまりしてから部屋を出て行った。一体あの人は何を想像したのだろうか。
「別れ話をしてるとでも思われたのかしら?」
俺もそうだろうと思っていたことを、彼女の方が先に口にした。
テーブルの上のポッキーを見て、俺は苦笑する。彼女が甘い物をほとんど食べないということを、店長は知らないのだろうか。
おそらくは彼女のために用意したのであろうポッキーを、俺はつまんだ。少し苦いチョコレートの味が、口に広がる。
ポッキーを食べながら、彼女の方をちらりと見る。彼女はレモンティーに口をつけて、すぐに放した。どうも熱すぎたらしい。店長め、ざまあみろ。と、餓鬼のように思った。
何となく、沈黙が続く。隣で流れている曲は、俺の知らない曲だった。やたらと甲高い声で、悲鳴を上げるように歌っている。正直、聞き苦しい。
「どうなったっていいんだ。私なんか、ね」
彼女がふいに呟いた。俺が彼女の方を見ると、彼女はああ、という顔をした。
「隣で流れてる歌の歌詞よ」
「この曲、知ってるんですか」
「ええ、まあ。……悲しい女の子の歌」
隣から聞こえる金切り声は、とてもじゃないが悲しそうには聞こえない。彼女の呟いた声の方が、よっぽど悲しそうだったと思う。熱々のレモンティーと格闘している彼女に、俺は言った。
「あなたは、どうなんですか」
彼女は、レモンティーから俺の方へと目線を動かす。それから、訊き返した。
「なにが?」
「あなたは今の自分のことを、どう思ってるんですか」
「どうって……」
彼女はレモンティーを飲むのを諦め、ソーサーの上に置いた。よほど熱かったらしい。後で店長に報告しよう、と頭の隅で思う。
「別に何も。これが私にとって普通だから」
「名前や戸籍がないことも?」
「ええ」
「殺人道具として使われていることも?」
「ええ」
「ヒトを殺すとき以外、誰とも接しないことも?」
「私にとっては普通よ。もう今更、何も感じないわ」
「嘘だ」
思わず断言してしまい、内心で焦った。彼女はぽかんとしたような、不意打ちでも食らったかのような顔でこちらを見ている。断言してしまった、と思ったものの、俺は本当にそう思ったんだから、それを伝えるしかない。
「あなたの目が、声が、さみしいって言ってる」
だから俺は、彼女に惹かれたんだ。孤独と、その辛さを知る彼女に。
彼女は煙草を取り出して、火を付けた。それから、カラオケのディスプレイを眺める。ディスプレイには今の流行歌が次々に流れ、その流行歌を歌うアーティストが曲紹介をしていた。
「――あなたが私の『それ』を知る必要はないわ」
ぼんやりとしたような、彼女の声。紫煙の所為で、表情はよく見えない。
「私の世界は、生まれたときからこうだった。だからもういいの」
「あなたこそ、いつ死んでもいいと思っていませんか」
隣から聞こえていた金切り声の歌が終わった。一瞬の静寂。それをすぐに破ったのは、彼女の声だった。
「そうね、私は。いつ死んでもいいと思ってる。だけど」
隣から次の曲のイントロが流れ出す。それに乗せるように、彼女は言いきる。
「死のうとは、思ってないの」
死にたいも、死ななきゃも、死んでもいいも、死のうも、どれも似ているようで意味が違う。
それは、俺自身よく知っていた。
俺が彼女にできることはなんだろうか。図々しいだろうけど、そんなことを考えていた。
彼女はレモンティーを再び手にすると、一口すすった。どうやら冷めたらしい。ほうっと一息ついてから、何かの台本でも読むかのように呟いた。
「孤独しか知らないのならその方が、幸せなの。もっとほかの……愛とか、友情とか、そういうのを知ってしまった後の方が、孤独になるのはきっと辛いわ。初めから孤独なら、もう何も感じないもの」
「……確かにその通りかもしれません。けどあなたは、きっと違う」
「私はいつも一人で、それが普通だった。あなたとは違うわ」
「そんなことない。あなただって、さみしいとか、悲しいとか、そういう感情を持ってるはずだ。感じてるはずだ。だから、」
隣からキャーキャー流れる歓声を聴きながら、はっきりと言う。
「だから、ここに来るんでしょう」
彼女の方が言ったんだ。『一人じゃない感じがするから』って。