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11  願望

 自分の貯金を、葬儀代だと考えだしたのはいつからだろうか。俺は人殺しだ、だから死ななくてはいけない、と頭の隅でいつも考えていた。高校までは補助してやるが、そこからは一人で生きろと父に言われ、俺はフリーターになる道を選んだ。フリーターとして出来るだけ働いて出来るだけ稼いで、早いうちに自殺しようと。

 このカラオケ店は、とても時給がよかった。だから選んだ。早く辞めたくて、……死にたくて仕方がなかった。だけど葬儀代が貯まるまでは、死んではいけないんだと言い聞かせていた。


「――あなたはどうして死にたいの?」


 彼女の透き通ったアルトが、俺を現実世界へ呼び戻した。

「俺は……」

 どこまで言うべきか。何を言うべきか。何を隠すべきか。


「俺は、人殺しだから」




 母が自殺したその原因は、いわゆる育児ノイローゼだった。人付き合いが苦手だった母は、保護者同士の関係にも苦労していたらしい。俺はといえば甘えん坊のくせにやんちゃ坊主で、しょっちゅう他の児童と喧嘩をしては、相手を泣かせた。そのたびに母は相手の家に謝りに行く羽目になった。

 それなのに母は、怒るということをしなかった。人付き合いだけではなく、怒るのも苦手な人だったからだ。「相手の子がどれだけ痛かったか考えようね」と、いつも穏やかな口調で俺を叱った。だが、怒られなかったことで、俺はかえって調子に乗った。


「あそこの子供は本当に乱暴で」

 そうやってだんだんと俺の、……いや、

「一体どういうしつけをしてるのかしら」

 俺の保護者、要するに母の評判は悪くなっていった。



 そして、それに耐えきれなくなった彼女は、首を吊った。



 リビングの机に置かれていた手紙には、「疲れた。ごめんね」とだけ書かれていたそうだ。



 俺は大きくなればなるほど、彼女が死んだその訳を理解した。ああ、だからあの時。

 母の葬儀の時、父は俺に「人殺し」と言ったんだ、と。



 父と二人で暮らす家の空気は、常に薄くて重くてひんやりとしていた。父が帰宅するのは、いつも深夜。出掛けるのは早朝で、俺が目を覚ました時には既に家にいない。そんな生活を、何年続けただろう。


 俺は帰宅するたびに、「ただいま」と言った。しかし返事が返ってくることは、もう二度となかった。


 遺影の中の母は、いつまでもこちらに向かってほほ笑んでいる。だけどきっと、俺を許してくれることはないだろう。俺が死ぬまで、ずっと。



 俺は、人を特別好きになることをやめた。深く関わることをやめた。

 俺と関わったことで、誰かが死んでしまうなんてことは、二度とごめんだったから。




「……つまり、私は死んでも良かったってわけだ」

 と言う彼女の声にハッとした。気付けば全部、声に出して話していた。

「ち、」

 違いますと言いかけた俺は、向かいのソファーに腰掛けていたはずの彼女が、いつの間にか俺の隣にいることに気付いた。それから

「え……」

 自分が泣いていることにも、ようやく気付いた。人前で泣くのは、母の葬儀以来だった。


 隣の部屋から、こちらの空気でも読んだかのようにバラードが流れ出した。気付けば話すことに夢中になりすぎて、感情を抑えることを忘れていた。俺の眼からはらはらと落ちる涙を、彼女はまるで綺麗な宝石を見るような眼で見ていた。

「――あなたは、」

 と言いかけて言葉を切り、ポケットからハンカチを取り出した。

「勘違いしているのかもしれない」

「……なにを」

 普通に声を出すつもりが、ガタガタに震えた間抜けな声が出てしまった。肩の震えが止まらない。涙も。

「あなたのお母さんは、あなたを怨んでいるのかしら」

 怨んでるに決まってるだろう。だって、

「あの人は死ななかった。俺がもっといい子供だったら。誰にも迷惑をかけないような子供だったら。母の弱さに、気付いてあげられるような子供だったらっ……」

「5歳やそこらの子供に、そこまで分かれって言う方が無茶よ。それにきっと、すべてがあなたの所為じゃない」

「だけどっ……」

「あなたは死にたいの?」

「っ……」

 言葉に詰まってしまった。死にたいか、だって?

「俺は……」

 いつも死ぬ方法を考えた。死ぬ時を考えた。葬儀代を貯めた。俺は、


「死ななきゃいけない。って思ってるんじゃない? 死にたいじゃ、なくて」


 俺は眼を見開いて、彼女の方を向いた。彼女はさっきと同じようにほほ笑んでいる。

「母親を殺したのは自分で、そんな自分は死ななきゃいけないって、そう思ってるんじゃないの?」

 俺の頭が、考えるのをやめた。いや、いろんなものが絡み合って、何を考えているのか分からなくなった。

「あなたのお母さんは、あなたが死ぬことを望んではいない。もしもあなたを怨んでるなら、あなたを殺したはずよ。だけど彼女は、自分が死ぬことを選んだ。何故だと思う?」

 答えは、頭の中にすぐに浮かんだ。だけど、それを声に出すのは怖かった。


「あなたには、生きていてほしかったからよ」


 俺の言えなかったそのセリフを、彼女は優しい声で、囁いた。




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