飛べない魔女
あたしの名前は、山中ミチコ。
30歳の飛べない魔女。
平凡な毎日に、とても退屈している。
10歳の時、父方の祖母にこういわれた。
「あなたは、魔女の血を継いでいるんだよ」
父は男なので、魔女の血は一つ跳んであたしの元に来たらしい。
父も母も知らない話だ。
人の気持ちに異常に鋭敏だったあたしは、驚きよりも納得のほうが大きかった。
相手の目を見ると、まるで話しかけてくるかのように気持ちが流れ込んでくる。
なぜか祖母の心だけは読めない理由も、これではっきりした。
「魔女の力は三つあるの。飛ぶ力、心を読む力、そして使い魔を作る力」
まずは飛ぶ力を試した。
大好きだった魔女アニメに感化されたあたしは、ホウキ片手に駆け回った。
頭に赤い大きなリボン、黒猫のぬいぐるみを背中に縛り付けて、毎日のように練習した。
祖母が「魔女にも向き不向きがあるからね」と遠慮がちに言ってくれた日、ぼろぼろになったリボンを投げ捨てて、飛ぶことはあきらめた。
心を読む能力には長けていたあたしは、あとは完璧な黒猫を見つけて使い魔にする事だと意気込んだ。
使い魔にすれば、同じ時を生き、同じ時に死ぬ。
人生の完璧なパートナーをつくるのだ。
20年がたち、完璧な黒猫は未だ見つかっていない。
耳の形が気に入らなかったり、毛皮がくすんでいたり、泣き声が変だったり。
人の心を読む能力だけで生きてきたあたしは、コミュニケーションを無難にこなす女に成長した。
自分が魔女であることすら、忘れていることが多くなった。
「ミチは、あのデブ夫にしなよ」
自分の言ったセリフに爆笑する女は、同僚の館川リサ。
同じ出版社の事務員だ。
めずらしく早く終わったという営業男子に誘われて、晩ご飯兼飲み会。
金森とリサ、そして今日初めて見る新顔の男。
いつもの三人に、ひとり増えて四人になった。
それがリサの言うところのデブ夫だ。
丸くてポチャッとしたやわらかそうなボディーは、この暑い時期には近づきたくない。
冬なら、ぬいぐるみ代わりになることもあるかも。
眼鏡をかけた顔は、それほど悪くない。
「わたしは金森さんがいいかなぁ、なんてねえ」
今度は少し大きめな声。
相手に聞こえることを期待しているのが丸わかりだ。
実際、背の高いかろうじてイケメンの金森は、まんざらでもない顔をしている。
目を見るまでもなく、男女関係なくドロドロした心のうちがこぼれている。
トイレから戻った時、席にはデブ夫だけが残っていた。
「あれ? 二人はどうしたの?」
あたしの問いに、二人は先に帰ったと言う。
「ありえない!」
怒りをあらわにするあたしに、なぜか彼は何度も謝った。
酔っぱらってしまったのは、ひさしぶりかな?
召使のように従うデブ夫を連れて、ブツブツ文句を言いながら歩く。
少し楽しい。
酔っ払いのベールをめくれば、ちょっとウキウキしている自分がいた。
「そういえば名前は?」
あたしの問いかけに驚いた顔。
もしかして紹介済みだったのだろうか?
ちょっと失敗。
「出渕です。出渕ヨシカズです」
やっぱりデブ夫じゃん!
爆笑するあたしに困り顔のデブ夫の目を見た。
(なんて素敵な人なんだろう)
(なんて綺麗な人なんだろう)
(僕もこんな風になりたい)
熱望に近いものを感じて、思わず目をそらす。
あたしの容姿は、客観的に見て並みだと思う。
これほどに熱烈な思いを受けるほどではないはずだ。
男である以上、若干の欲望も感じたが、それ以上に純粋な思いが溢れていた。
「でぶ君は、酔っぱらってるのかな?」
「僕は飲んでませんので。あと、出渕です」
そうなんだぁと、適当に話しながら歩く。
27歳の出渕は、IT関連の仕事を辞めて1週間前に転職してきた。
実家は電車で2時間。
妹がいる。
明日には忘れているであろう話をしながら歩いていると、駅から少し離れた緑地公園まで来ていた。
思ったより時間が過ぎていた。
北と南に分かれた緑地公園は、真ん中を2車線の道路が横切る。
道路の上には東と西に1本ずつ陸橋がかかっている。
東側の陸橋を渡っていると、それがいた。
美しかった。
これまで見た中で、これほど完璧な姿は出会ったことがない。
しっぽの先までピンと伸びたスリムな姿勢。
黒い光沢をもった毛並みは、街灯の明かりを美しく照り返す。
黄玉の瞳は、知性すら感じるほどに高貴だ。
「やっと見つけた!」
「山中さん、どうしたんですか?」
「黒猫! つかまえるのよ!」
あたしは、全速力で走りだした。
ぜえぜえと荒い息を吐きながら、街灯にもたれた。
西側の陸橋の上。
出渕が自販機からお茶を取り出している。
自販機の横には、清掃業者が忘れたのかデッキブラシとゴミ袋。
「もう帰りましょう。4時半ですよ」
「だめ。今を逃せば、二度と見つからない」
「でも、今日も仕事がありますし」
「仕事なんかどうでもいい。あの子を捕まえて、あたしはちゃんと魔女をするの」
出渕がさらに何か言っていたが、あたしの耳には届かなかった。
黒猫がいた。
反対側の陸橋の上。
早朝の白々とした光の中、シルエットのように姿が見えた。
「あたしはもう、飛べるはず!」
放置されたデッキブラシを掴むと、あたしはまたがった。
この橋から、あっちの橋まで50メートル。
普通に回り込んでいたら絶対に間に合わない。
二度と遭えない。
最初で最後のチャンスなんだ!
出渕の制止の声も無視して、あたしは飛んだ。
空へ向かって、飛んだ。
デッキブラシじゃ様にならないけど。
あの完璧な黒猫の元へ。
飛んだと感じたのは一瞬だった。
飛び出した分だけ前に進み、あっけなく重力に負けた。
だが、待ち受けた衝撃は無かった。
地面30センチほどで浮いていたのだ。
これを飛んだとは、言えない。
まさしく浮いた。それだけ。
鈍い音がしたのは、直後だった。
後ろから聞こえた。
少し嫌な予感がした。
振り向いた先には、出渕が横たわっていた。
「なんで!」
かすれた自分の声。
出渕は、飛び出したあたしを助けようとしたのだろう。
酔っ払ったバカな女に、必死で手を伸ばしたのだろう。
怖い。
目を見るのがこわい。
あたしを恨んでいるだろう。
こんな女のせいで、死んでいく自分を呪っているのかも。
でも、自分のせいで人が死ぬ。
この責任は取らなくてはいけない。
一生背負って生きなければいけない。
目を見た。
死に行く男の目を見た。
そこにはただ、安堵だけがあった。
(無事でよかった)
(彼女は生きてる)
(よかった)
「なぜなの?」
(よかった……)
「あたしなんかのために」
(よか……っ……)
「なんであなたが死んじゃうのよ!」
(よ……か……)
「わかった。わかったわ」
(………………)
「あなたを、あたしの使い魔に命じます」
あたしの名前は、出渕ミチコ。
32歳の飛べない魔女。
平凡な毎日に、とても満足している。




