第8話:所有権の宣言
「……な、な……」
地下演習場に、氷華の震える声が響く。
彼女の手元にある規律局用端末には、今まさに全世界へ向けてリアルタイム配信されている衝撃のツーショットが映し出されていた。
煤汚れ、しかし満足げに笑う不知火恋火が、嫌がる迅の首に腕を回し、カメラに向かって高らかに言い放つ動画。
『――いい、みんな聞きなさい! この男、天霧迅は、今日からアタシ様が所有することに決めたわ! 異論は認めない! アタシ様の火を消した責任、一生かけて取らせてあげるんだから!』
「何が、所有……何が、一生……! 不知火恋火、貴女という人はぁ!!」
氷華のレイピアから放たれた極寒のフォトンが、地下の壁を凍りつかせ、激しく爆ぜた。彼女の支持率は、怒りと焦燥によって、本来の彼女ならあり得ない攻撃的な数値を叩き出している。
一方、当の本人である迅は、恋火の腕を力尽くで引き剥がし、辟易とした表情で溜息をついた。
「……勝手なことを言うな。俺は誰の所有物でもない。ましてや、お前のような騒がしい女のペットになるつもりはない」
「あはは! 照れなくていいわよ! アンタのその静かな目が、さっきアタシ様を熱くさせた時に、もう契約は済んでるのよ!」
恋火はデバイスを操作し、自身のSNSのプロフィール欄を瞬時に書き換えた。
【状態:天霧迅を絶賛所有中】
「おい、迅! 端末が鳴り止まねえぞ!」
そこへ、旧校舎の階段を駆け下りてきたのは、親友の九条蓮だった。彼は手元のタブレットに表示される、バグのように跳ね上がるグラフを見せて叫ぶ。
「見ろよ、このボルテージの跳ね方! 八坂のトップランカーがお前に『所有権宣言』をしたせいで、お前の注目度は全ランカー中1位だ! 支持率0%なのに、注目度だけが学園最高記録を更新してる!」
「……最悪だ」
迅は額を押さえた。
平穏な学園生活を求めて外格に身を置いていたはずが、不知火恋火という太陽に照らされたことで、彼の隠したかった影が、逆に世界で最も濃い影として浮き彫りになってしまったのだ。
「――注目度が高いのは、良いことじゃない。天霧君」
闇の中から、学園長・千早の涼やかな声が響く。彼女はホログラムの映像を指先で弄びながら、満足そうに目を細めていた。
「システムが、君たちの関係を『運命的な共鳴』として自動追従し始めたわ。これで、次の『弧光の祭典』のメインコンテンツは決まりね」
「……待て。俺を祭りの見せ物にするつもりか?」
「いいえ。君が『平穏』を望むなら、この熱狂を乗り越えて、自分の価値を証明してみせなさい。……もっとも、この『恋の暴君』が、君を逃がしてくれるとは思えないけれど?」
恋火は迅の隣で、「当然でしょ!」と言わんばかりに胸を張る。
氷華は冷徹な仮面をかなぐり捨て、迅の反対側の腕を掴んだ。
「認めません……。このような不当な宣言、規律局長として、そして御剣学園の生徒として、断固として認めません!」
炎の少女と氷の少女。二人の視線が、迅の目の前で激しく火花を散らす。
迅の支持率0%という安息の地は、完全に崩壊しようとしていた。
地下から地上へ戻った迅たちを待っていたのは、静寂ではなく、地鳴りのような歓声と無数のフラッシュの光だった。
「出てきたぞ! 『暴君』を屈服させた例の外格だ!」
「マジかよ、不知火恋火が本当にベタ惚れな顔してる……!」
旧校舎の出口を埋め尽くす生徒たち。その頭上には、無数の撮影ドローンが蜂の巣のように滞空し、あらゆる角度から迅の姿を配信している。学園の大型モニターには、恋火が宣言した『所有権』の文字が躍り、チップのログが滝のように流れ落ちていた。
「ちょっと、邪魔よどきなさい! アタシ様と迅の凱旋パレードなんだから、道を開けなさいな!」
恋火は迅の腕にこれでもかと抱きつき、周囲の野次馬に大剣を軽く振ってみせる。彼女から溢れ出す黄金色の感応オーラは、もはや隠す気すらないほどに眩く、彼女の所有欲を視覚化していた。
「放しなさい、不知火恋火! 彼のパーソナルスペースを侵害することは、精神的な規律違反です!」
反対側から氷華が、迅のもう片方の腕を掴んで引き剥がそうとする。
右からは焦熱のフォトン、左からは極寒の冷気。その中心で、迅はまるで板挟みになった石像のように無表情を貫いていたが、その内心は爆発寸前のストレスに晒されていた。
「……お前ら、いい加減にしろ。腕が千切れる」
「千切れたらアタシ様がフォトンの義手を作ってあげるわよ! 迅の色に合わせた、最高に熱い奴をね!」
「不吉なことを言わないで! 迅、貴方は規律局が保護します。こんな野蛮な女の所有物になる必要はありません!」
二人の言い争いに呼応するように、周囲のボルテージメーターが臨界点を指して点滅し始める。支持率システムが、この三角関係を史上最高のエンターテインメントとして認定し、学園全体のデバイスから大音量のBGMが流れ出した。
「おい、迅……これ、もう止まんねえぞ」
人混みをかき分けて近寄ってきた蓮が、引きつった笑いでタブレットを見せる。
「見てみろ、お前の個人ページ。支持率自体は0%のままだが、ページへのアクセス数が、現役トップランカー10人分を合わせたより多い。『世界で最も有名な無名』。それが今のお前の二つ名だ」
迅は、自分を取り囲む熱狂と、腕に絡みつく二人の体温を冷めた目で見つめた。
かつて彼が天才と呼ばれ、光の中にいた頃。人々は彼の強さを称賛し、その剣に熱狂した。だが、今この場にある熱狂は、それとは全く異質だ。
大衆は、迅の強さそのものよりも、彼を巡る物語を、そして高慢な女王たちが一人の少年に振り回される歪な恋を消費している。
「……反吐が出る」
迅が小さく呟いたその瞬間、彼のマントから、一切の感情を排した冷徹な殺気がわずかに漏れ出した。
騒いでいた生徒たちが、本能的な恐怖に一瞬で沈黙する。
「――アタシ様を無視して、何に怒ってるの? 迅」
恋火だけが、その殺気の中に潜む迅の孤独を敏感に感じ取り、さらに強く彼の腕を握りしめた。彼女の瞳には、独占欲を超えた、もっと深い理解への渇望が浮かんでいた。
「アタシ様が言ったでしょ。アンタのその冷たい目……アタシ様以外の誰にも、理解なんてさせないんだから」
物語の歯車は、迅の意思を置き去りにして、より深く、より残酷に噛み合い始めていた。
喧騒が夜の帳に吸い込まれていく中、迅は半ば強引に二人を振り切り、学生寮へと逃げ帰った。
だが、静寂が戻ったわけではない。窓の外では、依然として低空飛行するドローンが、迅の部屋の明かりを狙って旋回している。
一方、規律局長室。
主を失った部屋で、鳳凰寺氷華は一人、デスクに突っ伏していた。銀髪が乱れ、いつもは完璧なまでに整えられた軍服の襟元が、わずかに緩んでいる。
「……何が、所有権よ。何が、ペットよ」
彼女の指先が、モニターに映し出された迅と恋火のツーショットをなぞる。
恋火の、あんなに嬉しそうで、無防備で、情熱的な笑顔を、自分は一度でも迅に向けたことがあっただろうか。
規律、監視、凍結、外格。
自分が迅に投げかけてきた言葉は、常に彼を縛り、遠ざけるためのものばかりだった。
「……私は、ただ。あの日、私を救ってくれた貴方を……」
氷華の瞳から、一筋の雫が零れ落ちる。それはフォトンによる氷の粒ではなく、熱を持った一人の少女の涙だった。
幼い頃、崩壊する廃墟の中で、光を捨てた迅が自分を抱き上げてくれたあの瞬間。彼女にとって、迅は規律で縛るべき対象ではなく、唯一無二の光だったのだ。
だが、その想いを告げる勇気を持てぬまま、彼女は規律局長という仮面を被り、彼を監視することでしか側にいる方法を見つけられなかった。
その時、デスクの通信機が冷たく鳴り響いた。
『――鳳凰寺局長。聞こえているかしら?』
学園長、千早の声だ。氷華は瞬時に涙を拭い、いつもの冷徹な表情を作り直して画面に向き合う。
「……はい、学園長。何でしょうか」
『面白いデータが取れたわ。今の学園、いえ、世界中の視聴者は、不知火さんと君、そして天霧君が織りなす歪な関係に、かつてないほどのチップを投げている。……これを利用しない手はないわ』
「利用……? 彼は、天霧迅は、管理対象です! 見世物ではありません!」
『いいえ、彼は今や最高のコンテンツよ。……規律局に命じます。明日より、不知火恋火と天霧迅の「接触制限」を解除しなさい。代わりに、君が彼らの監視兼、恋のライバルとして、公式に介入するのよ』
「な……!? 私に、そんな……そんな破廉恥な真似をしろと言うのですか!」
『支持率がすべて。それがこの学園の、唯一の正義よ』
通信が切れる。
氷華は拳を握りしめ、震える唇を噛んだ。
自分が愛する規律が、自分自身の私情を飲み込んで、怪物のように肥大化していく。
同じ頃、迅は暗い自室で、『黒鉄』を丁寧に手入れしていた。
デバイスの通知をすべてオフにし、ただ鉄の感触だけを確かめる。
「……アタシ様、か」
脳裏をよぎるのは、恋火のあの爛々とした瞳。
そして、去り際の氷華が見せた、今にも泣き出しそうな横顔。
迅は窓の外のドローンを鋭く一瞥し、深く、重い溜息をついた。
「平穏なんて、最初からなかったな」
バグを巡る三角関係は、もはや誰にも止められない加速を見せ始めていた。




