第7話:弧光なき対決
旧校舎の地下深く。
そこは、かつてフォトン技術の黎明期に実験場として使われていた、今は忘れ去られた巨大な空洞だった。湿り気を帯びたコンクリートの壁が、天井から下がる微かな非常灯に照らされ、不気味な影を落としている。
「……随分と、湿気た場所を戦場に選んだものね、学園長」
氷華が、自身のマントの裾を払いながら独り言ちる。彼女は規律局長として、そしてこの非公式戦の立会人として、冷徹な表情で壁際に立っていた。
だが、その視線の先には、すでに戦いの熱を孕んだ二人の影があった。
「いいじゃない、氷女! むしろ、このくらい暗い方が、アタシ様の炎が綺麗に映えるわよ!」
恋火が、巨大な大剣を床に突き立てる。
ドォォ、と重厚な音が空洞に反響した。彼女の背後で揺らめく紅蓮のマントが、闇を朱く塗りつぶし、周囲の気温を急激に上昇させていく。
「……終わったら、すぐに帰らせてもらうぞ」
対する迅は、古びたハーフマントを羽織ったまま、腰の『黒鉄』の柄に手を置いていた。
彼からは、一切のフォトンが感じられない。恋火という太陽のような熱量の前では、彼はただの背景にすら見える。だが、その静寂こそが、この場に漂う緊張感の正体だった。
「あはは! アンタ、まだそんな余裕こいてるの? 嬉しいわ……その余裕を、アタシ様が力ずくで剥がしてあげるのが、今から楽しみで仕方ないもの!」
恋火が指先で自身のデバイスを弾いた。
本来、学園内での抜刀はシステムによって厳重に管理されているが、この未登録演習場ではその制限が効かない。
『――セーフティ・ロック、解除』
機械的な音声が響くと同時、恋火の全フォトンが解放された。
爆発的な焔の翼が彼女の背中に展開され、地下の酸素が、文字通り彼女一人に吸い込まれていく。
「行くわよ、迅! アタシ様の情熱……全部アンタに叩き込んであげる!」
恋火が地面を蹴った。
ドォォン! という衝撃波と共に、彼女の体は紅蓮の流星となって迅へと肉薄する。
大剣『朱雀』が、頭上から一閃。
それは、単なる物理的な斬撃ではない。剣筋の後に残る熱波が、周囲の空気をプラズマ化させ、真空すら焼き切る一撃。
だが、迅の瞳に揺らぎはなかった。
「……熱すぎるんだよ、お前は」
迅は、抜刀しない。
鞘に入ったままの『黒鉄』を、斜め前方へと掲げた。
地下空間を、鼓膜を劈くような金属音が震わせる。
恋火の全力の一撃を、迅は『黒鉄』の鞘の先端一点で、正面から受け止めていた。
「えっ……!?」
恋火の目が驚愕に見開かれる。
自分の『朱雀』は、フォトンによって超高温化し、触れるものすべてをメルトダウンさせるはずの武装だ。それを、ただの鉄の棒一本で、しかも受け止めた瞬間の重さを完璧に殺して静止させるなど、理論上あり得ない。
「フォトンを乗せれば威力が上がる。……だが、その分、刃の『重心』がボヤけてるぞ」
迅は、手首をわずかに捻った。
それだけで、『朱雀』の刀身が滑るように受け流され、恋火の姿勢が大きく前方へと崩れる。
「あはは、面白い! 重心がボヤけてるって言うなら、これならどう!?」
恋火は体勢を崩したまま、空いた左手で迅の胸元へフォトンの爆破を放とうとする。近距離でのゼロ距離射撃。
だが、迅の方が一瞬早かった。
彼は翻したマントを、恋火の左腕に絡め取ったのだ。
「――天霧流・撥・蛇絡」
柔らかな布が、恋火の剛腕を優しく、しかし確実に拘束する。
発射されようとしたフォトンがマントの中で行き場を失い、不発の火花となって散った。
「なっ……!?」
「言ったはずだ。お前の動きは、風に乗って流れてくる、とな」
迅は恋火の懐へ、深く踏み込んだ。
懐に潜り込まれた恋火だったが、その瞳に宿ったのは敗北の予感ではなく、狂おしいほどの歓喜だった。
「あはは! 近い、近いわよ迅! アンタのその冷たい体温が、アタシ様をさらに熱くさせる!」
恋火は強引に左腕の拘束を振りほどくと、バックステップと同時に大剣『朱雀』を地面に叩きつけた。
「――紅蓮鳳凰・壱ノ陣・焦土!」
足元のコンクリートが真っ赤に熱せられ、溶岩のようなマグマが噴き出す。迅は微動だにせず、ただ一歩、横に滑るような歩法でその噴火を避けた。だが、恋火の本命はそこではなかった。
「逃がさないわよ……これで、終わりだ!!」
恋火の全フォトンが、彼女の背負った真っ赤なマントへと逆流する。
地下空間の全酸素が、一箇所に凝縮されるような圧迫感。
恋火の背後に、巨大な、あまりにも巨大な火の鳥の幻影が顕現した。それは空洞の天井を焼き、岩肌をガラス状に変貌させるほどの絶対的な熱量を孕んでいる。
「――焼き尽くしなさい! 紅蓮鳳凰・終ノ陣・万物灰燼」
恋火が剣を振り下ろすと同時に、巨大な火の鳥が迅に向かって滑空した。
地下演習場のすべてを飲み込む、紅蓮の奔流。
回避不能。防御不能。
立会人の氷華ですら、咄嗟に多重のアーク・シェルを展開し、目を細めるほどの絶望的な輝き。
「迅……っ!」
氷華の叫びが、熱風の中にかき消される。
だが、その火炎の嵐の中心で、迅は静かに腰を落としていた。
彼の右手が、ついに『黒鉄』の柄を――本気で握りしめる。
「……フォトンは所詮、光の塊に過ぎない」
迅の周囲、数センチの空気が、彼の殺気だけで物理的に凍てつく。
火の鳥の嘴が彼の鼻先に届く、その刹那。
「――天霧流・撥・断風」
迅が、わずかに一歩だけ踏み込んだ。
それは回避ではない。火炎の最も勢いの強い芯へと、自ら突っ込む自殺行為にしか見えなかった。
抜刀は、まだ。
だが、迅が鞘のまま突き出した『黒鉄』の軌道に沿って、空気が真っ二つに裂けた。
火炎の奔流が、迅の体を掠める直前で左右へと綺麗に割り振られる。それは、彼がフォトンを消したのではない。あまりにも鋭く、あまりにも正確な突きによって生じた真空の道が、酸素を奪い、炎という現象そのものを窒息させたのだ。
「え……?」
恋火の喉元から、掠れた声が漏れる。
紅蓮の光に包まれた視界の向こう。
すべての炎を割り裂き、一滴の汗も流さず、静寂を纏ったままの迅が、死神のような速度で彼女の懐へと迫っていた。
「……光で目を焼かれたな、お前は」
迅の宵闇色の瞳が、至近距離で恋火の意識を射抜いた。
紅蓮の猛火が二つに割れ、その裂け目から死を体現したような静寂が躍り出た。
恋火の視界には、自分を飲み込むはずの熱風を背負い、一糸乱れぬ姿で迫る迅の姿。
「あ……」
恋火が大剣を戻そうとした時には、すべてが遅すぎた。
迅の手首が、電光石火の速さで翻る。
それは抜刀ですらない。迅は鞘に収まったままの『黒鉄』を、恋火の死角からその顎先へと叩き込み、彼女の意識を一瞬だけ浮かび上がらせた。そして、重力すら利用した流れるような動作で、ついに『黒鉄』の鯉口を切る。
キィィィィン、という、耳鳴りのような鋭い金属音が地下空間に響き渡った。
恋火が正気に戻った時、彼女の喉元には、冷たく、そして一切の光を反射しない黒い刃の峰がピタリと添えられていた。
「……終わりだ」
迅の声は、地下の静寂よりも深く、冷たかった。
恋火の全フォトンを注ぎ込んだ『紅蓮鳳凰』は、迅の背後で虚しく爆ぜ、地下演習場の壁を焼き焦がして消えていった。
「……はぁ、はぁ……っ……」
恋火の肩が激しく上下する。喉元の刃から伝わる本物の鋼の冷たさが、彼女の脳内に渦巻いていた焦熱を急速に冷却していく。
立会人の氷華は、展開していたシェルを解き、息を呑んだまま動けずにいた。
最新鋭のアーク・シェルも、トップランカーの極大出力も、この時代遅れの鉄の前では何の意味もなさなかった。
「……あはは……。あはははは!」
沈黙を破ったのは、恋火の笑い声だった。
彼女は喉元に刃を突きつけられたまま、顔を赤らめ、狂おしいほどの歓喜を目に宿して迅を見上げた。
「凄い……凄いじゃない、迅! アタシ様のすべてを、そんな風に真っ向から、しかも無で捻り潰すなんて! ああ、もう……最高だわ!」
「……負けを認めるなら、さっさと退け。刃が滑るぞ」
迅は不愉快そうに眉を寄せ、刀を鞘に収めると、背を向けた。
だが、恋火の狩猟はここからが本番だった。彼女は立ち上がり、自身のデバイスから放たれる黄金色の感応オーラを全開にする。
「負けを認める? 違うわよ! アタシ様、今まで誰にも負けたことなんてなかった。だから、自分を負かしてくれる『誰か』をずっと探してたの!」
恋火は高らかに宣言し、自撮り用のドローンを無理やり起動させた。
「いい、世界中に教えてあげるわ! 天霧迅! アンタ、今日からアタシ様の『物』になりなさい!」
「……は?」
迅が振り返る間もなく、恋火は彼の腕を強引に掴み、カメラに向けて極上の笑顔を作った。
その瞬間、システムの脆弱性を突くように、学園中の全モニターに二人のツーショットが強制配信された。
『――速報! 不知火恋火、天霧迅に対し所有権を正式宣言!』
『支持率ボルテージ、計測不能! 観測史上最高のブーストを記録!』
「な……っ、何を……何を勝手なことをしているの、不知火!!」
氷華の悲鳴のような叫びが響くが、時すでに遅し。
支持率0%だったはずの迅の名は、最強の暴君を従えた男として、瞬く間に世界を席巻し始めた。
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