第5話:静寂を裂く紅蓮
「規律だの、監視だの、ちまちましたルールはアタシ様が全部燃やしてあげるって言ったでしょ!」
不知火恋火の咆哮と共に、演習場に太陽が墜ちた。
彼女が担ぐ大剣の刀身から、圧縮された超高密度の火炎フォトンが噴出される。それはもはや剣筋という概念を超えた、物理的な熱波の壁となって演習場を飲み込んでいった。
「くっ……総員、最大出力で防壁を展開! 暴徒を演習場から叩き出しなさい!」
氷華の鋭い号令が飛ぶ。
彼女の背後に控えていた規律局員たち――学園内でも選りすぐりのエリートたちが、一斉に自身のデバイスを起動した。
「アイギスシールド、展開!」
「凍土の壁、出力最大!」
数十枚の光り輝くアークシェルが重なり合い、恋火の炎を食い止めようとする。
多色多光のフォトンが火花を散らし、空間がミシミシと軋むような音を立てた。最新鋭のテクノロジーによる盾と、一個人の情熱が引き起こす矛の激突。
だが、恋火の勢いは止まらない。
「あはは! 盾が薄いわよ、御剣の坊やたち! もっとアタシ様を熱くさせてみなさい!」
恋火が纏う朱色の軍服の袖が、溢れ出すフォトンの圧力で激しく弾ける。
彼女の背負った真っ赤なマントは、もはや布としての形状を留めていなかった。それは不定形に揺らめく巨大な炎の翼と化し、一羽の巨大な鳳凰が羽ばたくかのように、演習場全体の酸素を強引に吸い上げていく。
「――紅蓮鳳凰・塵旋風!」
恋火が大剣を水平に一閃させた。
刹那、規律局員たちが展開していた重層的なアークシェルが、まるで熱したナイフを通されたバターのように、呆気なくメルトダウンした。
「な……ば、馬鹿な!? Bランク以上のシールドが、一撃で……!」
「熱い、熱すぎる! 出力が逆流して、デバイスが持たない!」
悲鳴と共に、規律局員たちが次々と吹き飛ばされていく。
彼らが誇っていた純白の軍服は煤に汚れ、自慢のマントは恋火の熱波に焼かれて無残に縮れ上がっていた。わずか数秒。御剣学園の誇る規律の番人たちが、たった一人の少女によって文字通り一掃されたのだ。
「あーあ、期待外れ。御剣の規律って、こんなに脆いの?」
恋火は大剣を肩に担ぎ直し、立ち上る黒煙の中から、悠然と歩みを進める。
彼女の足跡が刻まれるたび、強化セラミックの床が真っ赤に熱せられ、溶岩のようにドロリと溶け出していく。
その破壊の跡を見つめながら、迅は依然として、自らのマントにくるまるように壁際に立っていた。
「……やりすぎだ、バカ。ここは戦場じゃない、学校だぞ」
「あはは! 厳しいわね、迅! でも、アタシ様を本気にさせたのは、昨日アンタが見せたあの冷たい輝きなんだから、責任取ってもらわなきゃ!」
恋火の瞳は、狂おしいほどの情熱に燃え盛っている。
彼女にとって、この破壊は単なる示威行為ではない。それは、自分と同じ、あるいは自分を超える熱を持つ者への、彼女なりの最高級の求愛行動だった。
「……不知火恋火。貴女の行為は、もはや他校の親善大使としての立場を逸脱しているわ」
霧散した氷の粒の中から、再び氷華が姿を現す。
彼女の周囲だけは、恋火の熱波に抗うように、絶対零度のフォトンが渦を巻いていた。だが、その背後の部下たちが全滅した今、彼女の孤立は明らかだった。
「規律が脆いかどうか、私の剣で直接確かめてみなさい!」
氷華の銀髪が逆立ち、彼女の群青色のマントが、氷の結晶を纏って巨大な刃へと変貌する。
炎と氷。
相容れない二つの極大エネルギーが、迅という一人の少年を奪い合うための戦場を、さらに深く焼き、凍てつかせていく。
演習場の空気は、今や二分されていた。
恋火が放つ、すべてを焼き尽くす「焦熱」と、氷華が呼び寄せる、すべてを凍止させる「極寒」。
正反対のフォトンが中央で衝突し、水蒸気爆発にも似た衝撃波が、円形の壁を激しく叩きつける。
「アッハハ! いいわね、氷女! その寒気、アタシ様がもっと熱くしてあげるわ!」
「黙りなさい、野蛮人! 貴女の熱は、規律を乱すノイズに過ぎない!」
恋火の大剣が、地を這う炎の蛇となって氷華を急襲する。
氷華は一歩も引かず、レイピアを指揮棒のように振るった。
「――雪月花・二の型。氷河回廊!」
瞬時に床から巨大な氷の壁が突き出し、炎の蛇を正面から噛み砕く。
だが、二人の天才による全力の激突は、もはや演習場のキャパシティを超えつつあった。
逃げ遅れた一般生徒たちが、熱波と冷気の余波に煽られ、パニックに陥る。
「おい、出口が……氷で塞がってるぞ!」
「熱い! 誰か、冷却シェルを張ってくれ!」
崩壊する天井の破片。制御を失ったフォトンの火花。
その混乱の渦中で、迅だけが依然として静寂の中にいた。
「……たく。どいつもこいつも、派手にやりゃいいと思ってやがる」
迅は腰の黒鉄の柄を親指で軽く弾き、鯉口を切った。
彼が動いたのは、まさにその直後だった。
上空から、恋火の斬撃によって弾け飛んだ巨大なセラミックの瓦礫が、逃げ惑う生徒たちの頭上へと降り注ぐ。
「あ……」
一人の少女が腰を抜かし、頭上を仰いで目を瞑る。
だが、衝撃は来なかった。
ただ、硬いものが硬いものをいなす独特の重厚な音が、彼女の耳元で鳴った。
迅は少女の前に立ち、鞘に収まったままの黒鉄を、斜め上方へと突き出していた。
何トンという質量を持つ瓦礫が、迅の鉄の棒の先端一点に支えられ、まるで最初からそう設計されていたかのように、重力を無視してピタリと止まっている。
「……立て。死にたくなければ、あっちの非常口へ行け」
「あ、あ……」
少女が呆然と見上げる中、迅は手首の返し一つで、その巨大な瓦礫を投石機のように弾き飛ばした。
瓦礫は放物線を描き、激突し合う二人のヒロインのちょうど中間地点へと正確に叩き込まれる。
「な……っ!?」
「誰よ、邪魔するのは!」
不意の介入に、氷華と恋火のフォトンが乱れ、二人の距離が強制的に引き離される。
煤煙と霧が晴れた先、そこにはただ一人、古びた軍服のマントをはためかせ、不愉快そうに二人を見据える迅の姿があった。
「遊びはそこまでにしておけ。……これ以上やれば、この建物が崩れるぞ」
「迅……貴方、いつの間にあんな位置に」
氷華が戦慄する。自分の展開した氷の防壁を、彼は一切のフォトンを使わずに、ただの『歩法』だけで潜り抜けていたのだ。
「あはは! 最高! 今の、瓦礫を点で支えて弾いたわね! アンタ、やっぱりアタシ様の選んだ男だわ!」
恋火が頬を紅潮させ、大剣をさらに強く握りしめる。
だが、迅の視線は彼女たちではなく、演習場の奥、闇の中から近づいてくる第三の足音に向けられていた。
「邪魔しないでよ、迅! アタシ様は今、この氷女を『解凍』して、どっちがアンタに相応しいか決めてるところなんだから!」
恋火が叫び、大剣を再び構える。彼女の周囲で渦巻く熱量は、もはや演習場の冷却システムを完全にオーバーロードさせていた。焦熱のフォトンが紅蓮の稲妻となって空間を跳ね、彼女の瞳は獲物を見定めた肉食獣のように爛々と輝いている。
対する迅は、一歩前へと踏み出した。
「『相応しい』だの『解凍』だの、勝手なことばかり抜かすな。……ここは、お前の遊び場じゃない」
「あはは! 遊びじゃないわよ、本気も本気! ほら、アンタもその『黒い棒』を抜きなさいよ! アタシ様の熱を、アンタの力でねじ伏せてみてよ!」
恋火が地面を蹴る。紅蓮のマントが爆発的な推進力を生み、彼女の体は文字通り炎の弾丸となって迅へと肉薄した。
振り下ろされる大剣。一撃で戦車をも溶断するはずの超高温の斬撃が、迅の頭上から襲いかかる。
だが、迅は動かない。
抜刀すらしない。
彼がしたのは、ただ、左肩に掛けていたチャコールグレーのハーフマントを、無造作に一閃させたことだけだった。
「――天霧流・撥・風纏」
バサッ、という乾いた音。
それだけで、恋火の全出力を乗せた炎の旋風が、嘘のように左右へと割り振られた。
迅がマントを振るった軌道に沿って真空の壁が形成され、酸素を燃料とする恋火のフォトンが、彼の手前数センチで窒息するようにかき消えたのだ。
「え……?」
恋火の動きが止まる。
大剣を振り下ろした姿勢のまま、彼女は眼前に立つ少年の姿に息を呑んだ。
至近距離。
炎を裂いて現れた迅の目が、真っ直ぐに彼女を射抜いていた。
それは、冷徹な拒絶ではない。かといって、怯えでもない。
ただ、どこまでも深く、静かな――あらゆる情熱を飲み込み、その本質だけを剥き出しにするような、深淵の闇。
「……フォトンに頼りすぎて、自分の『重さ』を忘れてる。そんな浮ついた剣じゃ、俺の服一枚も焦がせないぞ」
迅の低い声が、恋火の鼓膜を震わせる。
その瞬間、恋火の胸の奥で、かつて感じたことのない激しい衝動が跳ねた。
支持率だの、人気だの、そんなデジタルの数値ではない。
一人の武人として、そして一人の少女として。
自分という存在が、たった一振りのマント、たった一言の言葉で、完全に支配されたという戦慄。
「あ……」
恋火のデバイスが、聞いたこともないような澄んだ高音を奏でる。
彼女の情動チャネルが、朱色から、より純度の高い、透き通った黄金色へと一瞬だけ変色した。
恋火の口端が、震えながらも吊り上がる。
「あはは……。あはははは! 凄い……凄いじゃない、迅! アタシ様の火力を、そんなボロ布一枚でいなすなんて!」
彼女は剣を引き、狂おしいほどの笑顔を迅に向けた。
「決めた。やっぱり、アンタはアタシ様が手に入れなきゃダメな男だわ。アンタのその目……アタシ様だけのものにさせてあげる!」
「……勝手に言ってろ」
迅は興味なさそうにマントを整えると、呆然と立ち尽くす氷華の横を通り過ぎ、壊れた壁の向こうへと姿を消した。
演習場に残されたのは、静寂と、熱に浮かされたような恋火の溜息。
そして、デバイスが示す予測不能の数値を見つめ、唇を噛み締める氷華だけだった。
「――『アタシ様、獲物を見つける』、か」
モニター越しにその様子を見ていた千早が、面白そうに呟く。
バグが、さらなる熱を呼び込み、物語は制御不能の加速を始めていた。
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