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無銘の神童と有銘の乙女~無能と呼ばれる俺を、最強の少女たちが独占したがる理由~  作者: まめだいふく
第2章:摩耶島合同合宿・三強激突編

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第30話:氷河回廊の迷い子


 雨音と、肉が焼けるような嫌な匂いが、ふっと消えた。


 鳳凰寺氷華の瞳に映っていた、数年前の凄惨な戦場――「地獄」の残像が、ゆっくりと摩耶島の夜の静寂へと溶けていく。


 代わりに鼻腔を突いたのは、冷え切った大気の香りと、彼女自身が知らぬ間に解き放っていた、凍てつくような魔力の冷気だった。



 過去への強制同期。


 天霧迅が自らの「闇」をさらけ出し、氷華に見せた真実。



 それは、彼女がこれまで「自分を捨てた薄情な男」として憎むことで辛うじて心の均衡を保ってきた、その前提を根底から覆すものだった。


「……あ、あ、ぁ……っ」


 氷華は、糸の切れた人形のように氷の床に崩れ落ちた。


 膝を突いた床からは、彼女自身の制御を離れた冷気が溢れ出し、白銀の城の至る所で氷の結晶が不気味な音を立てて増殖していく。


 指先が震え、奥歯がガチガチと鳴る。それは寒さゆえではない。脳内に直接流し込まれた、迅の「痛み」と「絶望」があまりにも巨大すぎたからだ。



 自分が「救助を待つ無垢な少女」だと思っていたあの避難所が、実は軍が自分を『部品(スペア)』として調整するための檻であったという戦慄の事実。


 その話は頭の隅に置いてあったからまだいい。問題はそのあとだ。


 迅が世界を敵に回り、『神童』という輝かしい未来を自らドブに捨て、左腕を粉砕してまで守り抜いたのが、他でもない自分という存在であったということ。



 そして、あの日、地下駅で浴びせられた「お前を見るだけで反吐が出る」という、今も胸を刺し続けているあの言葉が――。

 


(……嘘だった……。全部、私を守るための、嘘だったの……?)



 氷華の瞳から、大粒の涙が溢れ出した。だが、その涙は頬を伝う前に、彼女から溢れ出す極低温のフォトンによってカチリと凍りつき、冷たい粒となって床に弾けた。



 あまりにも重い真実。

 だが、その絶望の底で、彼女の愛はさらなる変質を遂げた。


 迅が自分を愛していたからこそ突き放したのだと確信した瞬間、氷華の中の「独占欲」は、もはや正気を保てるレベルを超えて突き抜けてしまった。



「……ああ、そっか。そうだったのね。迅様……」



 氷華が、ふふ、と壊れたように笑った。


 ゆっくりと立ち上がった彼女の周囲で、氷の壁がさらに高く、鋭く反り立つ。その氷はもはや透明ではなく、迅から見せられた「闇」を写し取ったかのように、深淵のような黒味を帯び始めていた。

 

「貴方は、あの日からずっと……私一人のために、世界を敵に回して、死神になっていたのね。……あぁ、なんて愛おしい。貴方が誰からも理解されず、蔑まれ、それでも私という『光』を守ろうとしてくれた……。ねえ、その献身に、私はどう応えればいい?」



 氷華の呟きに、迅は答えない。ただ、抜身の刀のように鋭い視線で、崩壊していく少女を見つめている。


 氷華は恍惚とした表情で、自らの胸元を抱きしめた。



「もういいのよ。貴方が世界を守る必要なんてない。世界が貴方を認めないなら、私がその世界をすべて凍らせてあげる。貴方を汚す泥棒猫も、貴方を嘲笑う有象無象も、全部……全部、私の氷の中に閉じ込めて、私だけのものにしてあげる……!」



 その瞬間、氷華から放たれたフォトンが、自ら作り上げた『銀世界』の檻を内側から食い破るように暴走した。


 氷華様の背後に、巨大な氷の女神像――星導武具『氷霊ヴァルキリー』が顕現し、摩耶島の半分を瞬時に氷点下へと叩き落とした。


 大規模干渉術式――絶対零度の処刑場だ。


 合宿所の残骸が氷に包まれ、大気中の水分が結晶化して、視界をダイヤモンドダストが覆い尽くす。


 彼女の脳内には、最近迅の周りに群がっていた少女たちの姿が、排除すべき「ノイズ」として鮮明に浮かび上がっていた。

 

「最近の迅様の周りには、泥棒猫ばかり……。恋火さんといい、八咫、八坂の……あんな女たちが、私のためにすべてを捨てた迅様に馴れ馴れしく触れていいはずがないのよ。迅様を再び『光』の中に引き摺り戻そうとする不浄な存在……。消してあげる。私が、すべて……」



 氷華の背後に、氷で作られた巨大な翼が展開される。それはかつての規律の象徴ではなく、愛する男を永遠に監禁するための、美しくも禍々しい檻の羽だった。

 



 しかしその時。


 氷華の作り上げた絶対零度の結界を、物理的に「焼き切る」ような赤い光線が、外部から突き刺さった。



「――ふざけんじゃないわよ、このメンヘラ氷女ッ!!」



 轟音と共に氷の壁が爆散し、立ち込める白煙を切り裂いて一人の少女が乱入した。



 八坂恋火。


 全身から噴き上がる紅蓮のフォトンが、氷華の冷気を強引に押し返している。彼女は迅を案じ、外側から死死と術式を叩きつけ、この閉鎖空間を強引にこじ開けたのだ。



「迅! 大丈夫!? ……って、あんた何ボサッとしてんのよ。この女、完全に目がイッちゃってるじゃない!」


 恋火は地面を滑るように迅の前に躍り出ると、朱色の太刀を正眼に構えた。彼女の瞳には、かつての戦友である氷華への情けはなく、ただ「迅を守る」という野生的な決意だけが燃えていた。


「恋火さん……。貴方が迅様に触れるたび、私の心がいかに汚されるか……。分かりますか?」

「はぁ!? あんたの理屈、一ミリも理解できないわよ! 私が迅をどう想おうが、あんたに指図される筋合いなんてないんだから!!」


 氷華の視線が、極低温の刃となって恋火を貫こうとする。


 恋火はそれを鼻で笑い飛ばし、さらに火力を高めた。



「迅がどんな過去を背負ってようが、今の迅は私の隣にいるの! あんたみたいな過去に縛られた化石に、迅を渡すわけないでしょ!!」

「……そう。……なら、死になさい」



 氷華の指先が動いた。


 床から、巨大な氷の槍が無数に突き出し、恋火を全方位から包囲する。

 

 白銀の王と、紅蓮の王。


 一人の男の「過去」と「現在」を奪い合う、最悪の決戦の火蓋が切られた。




 氷華の指先がわずかに動いた瞬間、物理法則を無視した極低温の質量が恋火を襲った。


 床、壁、天井――あらゆる接地面から突き出した氷の槍は、一つ一つが巨木の如き太さを持ちながら、その先端は細胞の隙間さえ通り抜けるほどに鋭利だ。



「……あまーいっ!!」


 恋火は吠えた。彼女の全身から溢れ出す紅蓮のフォトンが、爆風となって周囲の氷槍を根元から粉砕する。蒸発した氷が白い霧となって視界を遮るが、恋火の『直感』は、霧の向こうで静かに鎮座する巨大な影を捉えていた。



 星導武具――『氷霊ヴァルキリー』。


 それは鳳凰寺家の至宝であり、本来は「外敵から民を守るための盾」として祀られてきた女神像だ。だが今、氷華の背後に顕現したその像は、虚ろな眼窩から黒い冷気を滴らせ、右手に握られた巨大な氷の剣を無慈悲に振り下ろそうとしている。



「恋火さん。貴方のその『熱』が、迅様の心を惑わせる毒なのです。……自覚はありませんか? 貴方が隣にいることで、迅様は再び戦い。再び、傷を負わなければならなくなる」


 氷華の声は、もはや感情の起伏すら凍りついたかのように平坦だった。女神像の剣が振り下ろされる。ただの物理的な斬撃ではない。その剣筋が通った空間そのものが「凍結」し、時間の流れさえもが停止したかのような錯覚を恋火に与えた。



「――っ! ガッ、ぁぁああ!!」


 恋火は『朱雀』でそれを受け止めた。凄まじい衝撃が腕を伝い、足元の床がクレーター状に陥没する。一万度を超えるはずの恋火の炎が、女神像の冷気によって物理的に「押し潰されて」いるのだ。


「誰が……誰がそんなこと、決めたのよッ!! 迅が戦うのは、迅がそう決めたからよ! あんたみたいに勝手に守るフリして、自分だけの箱庭に閉じ込めるのが愛だって言うなら……そんなもん、私が一滴残らず蒸発させてやるわ!!」



 恋火のフォトンが、赤から青へと変色し始める。それは自身の生命力をも燃料に変える、禁忌に近い出力向上だ。


 彼女の背後に、炎の翼が何重にも重なり合い、巨大な神鳥の幻影が咆哮を上げる。



「――吠えろ、朱雀!! すべてを焼き払い、天へと昇れ!! 朱雀(すざく)天昇(てんしょう)!!」



 恋火が地を蹴った。一万度の熱線と化した彼女の突進は、氷華の展開した『氷河回廊』を真っ向から焼き切り、女神像の胸元へと迫る。


 対する氷華は、恍惚とした笑みを浮かべたまま、空中に浮かぶ無数の氷の結晶を一点に集束させた。



「無駄ですよ。この領域において、私の氷は絶対の真理。……貴方の熱ごと、零度以下の虚無へ沈みなさい」



 氷華が両手を合わせると、女神像がその身を盾にするようにして恋火の熱波を正面から受け止めた。

 



 摩耶島全体が地震のような激しい振動に見舞われた。


 絶対零度の処刑場と、一万度の爆炎。


 二つの相反する極大魔力が衝突した中心点では、大気がプラズマ化し、青白い雷光が四方に飛び散る。合宿所の残骸はもはや原形を留めておらず、周囲の海面さえもが蒸発と氷結を同時に繰り返して激しくのたうっている。



「……あ、あぁ……っ。迅様、見ていてください……。今、この不浄な炎を消して差し上げます……」



 氷華の瞳から、一筋の血が流れた。過負荷だ。どれほど至宝の才能があろうとも、この規模の干渉は精神を、そして脳を焼き切る。だが、彼女はそれを「痛み」ではなく「迅への愛」として享受していた。



「っ……この、メンヘラ……! どんだけ執念深いのよ……っ!」



 恋火の炎が、じわじわと氷に押し返されていく。


 周囲の酸素が奪われ、意識が遠のき始める。絶対零度の冷気は、彼女の強靭な魔力障壁さえも浸透し、心臓の鼓動を一つ、また一つと遅らせていった。


 だが、二人の少女の「命」を懸けた衝突が、最高潮に達しようとしたその時。



 ――衝突の中心、炎と氷が混ざり合い、崩壊し続ける空間のど真ん中に、一人の男が歩み出た。



 迅だった。


 彼は、二人の極大魔力が生み出す衝撃波を、あたかもそよ風であるかのように受け流し、戦場の最奥へと踏み込む。


 その左腕には、記憶の中で見た「あの傷」が疼くように赤黒く光り、右手には、何も映さない黒い鉄の塊――『黒鉄』が握られていた。



「迅……!? 下がって! 今のこれ、あんたでも耐えられな――」

「迅様……あぁ、やはり、貴方が私を止めてくださるのね……」



 二人の声が重なる。


 だが、迅の瞳に宿っているのは、慈悲でも共感でもない。


 それは、数年間の地獄を生き抜き、すべてを「無」へと還す理を体得した、冷徹な騎士の意思だった。



「……二人とも、そこまでだ」


 迅が、『黒鉄』を無造作に、しかし完璧な軌道で振り上げた。


 フォトンによるエフェクトはない。ただ、空間の重みそのものを刃に乗せたかのような、天霧流の真髄。



 その一振りが、炎と氷の境界線を、物理的に「切断」した。




 一万度の『朱雀天昇』と、絶対零度の『氷霊ヴァルキリー』。


 二つの極限が激突し、もはや誰にも止められないはずの「破滅の特異点」へ、迅は一切の躊躇なく踏み込んだ。


 かつて『星辰の墓標』で、フォトンの供給を断たれ、術式さえ凍結された極限状態。そこで彼が辿り着いたのは――純粋な「武」の理だった。



「天霧流・ばち空蝉(うつせみ)



 迅が放ったのは、受け流しの極致である『撥』の一法。


 それは最終形などではない。荒れ狂う暴風の中に、針の穴を通すような精密さで『黒鉄』を割り込ませ、二人のエネルギーの「流れ」を物理的に逸らすための技術だ。

 


 空間そのものがひしゃげるような、硬質な異音が摩耶島の夜に響き渡った。



 次の瞬間、島を飲み込もうとしていた紅蓮の爆炎と絶対零度の吹雪が、迅の『黒鉄』が描いた円の軌跡に沿って、その指向性を失い四散していく。


「……なっ!? アタシ様の朱雀が、受け流された……!?」

「迅様……あぁ、やはり貴方は、私のすべてを……っ」


 恋火が驚愕に目を見開き、氷華が恍惚に喘ぐ。


 だが、二人の術式が消失したことで生じたのは、静寂ではない。行き場を失った莫大なフォトンが物理的な衝撃波へと変換され、合宿所の跡地を中心に島半分を消し飛ばしかねない猛烈な暴風が吹き荒れた。

 


 その破壊の嵐の中心で、迅は地を蹴った。

 フォトンの加速ではない。己の骨身に刻んだ天霧流の秘歩。



「――天霧流•影踏(かげふ)み」


 一瞬、迅の姿が二人の視界から消失する。


 魔力が底を突き、虚脱状態に陥りかけていた二人の少女は、気づいた時にはすでに、抗いようのない「力」によって地面へと縫い留められていた。



「ガ、ぁ……っ!?」

「っ、く……!?」



 迅は、左手で恋火の首筋を、右手で氷華の喉元を同時に捉え、そのまま凄まじい質量をかけて二人の少女を組み伏せた。


 瓦礫の山となった地面に二人の体が叩きつけられ、さらなる衝撃波が周囲の氷壁を粉々に粉砕していく。


 迅の左手首からは、無理な制圧によって再び古傷が開き、鮮血が滲み出していた。


 滴り落ちた迅の血が、恋火の肩を、そして氷華の頬を濡らす。その、あまりにも生々しい「熱」に触れた瞬間、二人の脳内にあった狂乱の熱気が、急速に引いていった。


「迅……あんた、また……自分の体を……。何で、そんなボロボロの腕で……」

「迅様……ごめんなさい、私……私はただ、貴方を……もう二度と失いたくなくて……」


 迅は、荒い息をつく二人を、自らの肉体で押さえ込むようにして支配し、静かに見下ろした。


 月光に照らされた彼の顔には、かつての『神童』の傲慢さも、復讐者の憎しみもない。ただ、自分を巡って壊れようとする世界を、力ずくで繋ぎ止めるための、重苦しい「責任」だけが宿っていた。


「…… 氷華。俺がお前を助けたのは、お前をこんな怪物にするためじゃない。……恋火、お前もだ。俺のことで、これ以上自分の命を削るな」



 迅の声は、凍てつくように冷たい。


 だが、その指先はわずかに震えていた。二人の少女を守るために、彼は再び、自分が最も忌み嫌う「暴力」の深淵に手を伸ばしたのだ。


「俺は、お前たちのどちらかを選ぶつもりはない。……だが、お前らがどれだけ壊れようとしても、俺が何度でもその手を掴んでやる。……それが、死神になった俺の我儘だ」



 迅はゆっくりと二人を解放し、立ち上がった。


 彼が背を向けた瞬間、摩耶島の半分を凍らせていた『絶対零度の回廊』が、パラパラと音を立てて砂のように崩壊し始める。


 島に静寂が戻る。


 瓦礫の山となった合宿所の跡地で、二人の少女は立ち上がることさえできず、去りゆく騎士の孤独な背中を、ただ見送ることしかできなかった。


 氷華は、頬に付着した迅の血を指でなぞり、それを自身の唇で味わう。


「……ええ、迅様。貴方がそう仰るなら、私はどこまでも貴方の地獄に付き合います。たとえ、この先がどんなに血塗られていようとも……」


 一方、恋火は拳を地面に叩きつけ、自身の無力さに歯噛みしていた。


「……。結局、また迅に守られて……。アタシは……っ」


 しかし、この惨劇は終わりではない。


 二人の少女の想いが、そして迅の覚悟が、最悪の形で試される時が迫っていた。




 翌朝。


 破壊し尽くされた合宿所の広場に、招集された生徒たちの前で、一ノ瀬千早が冷徹な宣告を下す。


「本選ペアの中間発表を行うわ。……天霧迅のペアは、鳳凰寺氷華。貴方に任せるわ」



 その瞬間。


 恋火の心は砕け、そして陰で見守っていた静の計算機が、物理的な異音を立てて粉砕される。


 運命は、残酷なまでに加速していく。


ここまで読んで頂きありがとうございます!

誤字脱字など御座いましたらコメント下さい。


「面白そう」「続きが気になる」と感じましたら、ブクマと↓の☆☆☆☆☆から評価頂けましたら幸いです

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