第3話:鉄の棒、一閃
国立御剣学園の放課後。それは、生徒たちにとって「第二の戦場」である。
校舎の至る所にあるモニターには、その日一日の活動で得られた支持率の集計結果が映し出しされ、順位を上げた者は誇らしげにマントを靡かせ、下げた者は焦燥に駆られて特訓へと向かう。
「……いたぜ。例の『外格』様だ」
夕闇が迫る旧校舎へと続く渡り廊下。迅の歩みを止めるように、三人の影が立ちふさがった。
中央に立つのは、御剣学園・高等部二年の上位ランカー、桐生 豪。
彼は学園内ランキングで常に五十位以内をキープする実力者であり、その胸元で輝くデバイスは、彼の高揚感に応えるように激しい紅色のフォトンを撒き散らしていた。
「昨日は鳳凰寺様の慈悲で命拾いしたみたいだが、今日はそうはいかないぜ。お前みたいなゴミがこの学園に居座るのは、俺たち努力してるランカーへの侮辱なんだよ」
桐生が纏う軍服は、肩パッドに強化フォトンジェネレーターが内蔵された特注品だ。彼が指を鳴らすと、背負った深紅のマントがジェットエンジンのような噴射音を立て、彼の周囲に物理的な衝撃波を発生させる。
「おいおい、桐生さん。こんな奴にわざわざ剣を抜くんですか? ただの鉄の棒を振り回すだけの原始人ですよ」
背後の取り巻きたちが、下卑た笑い声を上げる。
迅は足を止め、ゆっくりと桐生を見上げた。
「……わざわざご苦労なことだ。わざわざ支持率を下げるような『弱い者いじめ』を、こんな人気の無い場所でやるなんてな」
「何だと……?」
桐生の眉が跳ね上がる。
「弱い者いじめだと? 勘違いするな。これは学園の『浄化』だ。お前のようなイレギュラーを排除して、俺の支持率をさらに盤石にするための正当な『闘争』なんだよ!」
桐生が腰の『アーク・ガントレット』を起動させた。
瞬時に、彼の右腕を覆うように巨大な光の籠手が形成される。それは高密度のフォトンを物理的な打撃力に変換する、近接戦闘に特化した星導兵装だ。
「おい、迅! 逃げろ!」
遠くから、迅の数少ない知人であり、学園の情報通である九条蓮が駆け寄ろうとするが、桐生の取り巻きたちが展開した『拘束結界』に阻まれる。
「無駄だよ、九条。こいつには一度、この世界の『輝き』の差ってやつを、その鈍い体に刻んでやる必要があるんだ」
桐生が地面を蹴った。
フォトンのブーストを受けたその速度は、人間の反射神経を遥かに超越している。
一瞬で迅の懐へと潜り込み、光り輝く籠手を迅の顔面へと叩きつける。
「終わりだ! 『紅蓮・砕破』!」
演習場の強化ガラスをも粉砕する一撃。
だが、迅はその瞬間まで、微動だにしなかった。
ただ、腰の『黒鉄』の柄に、無造作に右手を添えただけ。
――刹那。
廊下に響いたのは、爆発音ではなく、短く鋭い「音」だった。
カツン、という。
硬い金属同士が、一点で噛み合ったような音。
「……え?」
桐生の声が漏れる。
自分の放った絶対的な力の一撃が、迅の顔面を捉える直前で、完全に静止していた。
迅は、抜刀すらしていない。
鞘に収まったままの『黒鉄』を、わずか数センチだけ持ち上げ、桐生の籠手の関節部――星導エネルギーの供給路が露出している一点に、鞘の先端を差し込んでいたのだ。
「……星導に頼りすぎなんだよ。出力が高い分、一点を突かれれば流れが止まる。教科書に書いてなかったか?」
迅の冷めた声が、桐生の耳元で響いた。
「な……な、何をしやがった……! 俺の出力が、逆流して……!?」
桐生のデバイスから、耳障りなエラー音が鳴り響く。
高密度のエネルギーが逃げ場を失い、自らの籠手を内側から焼き始めようとしていた。
「退けと言ったはずだ。……次は、鞘だけじゃ済まさないぞ」
迅の宵闇色の瞳に、本物の戦士の冷徹さが宿る。
その瞬間、周囲の空気が物理的に重くなったかのような錯覚を、その場にいた全員が共有していた。
「ふ、ふざけるな……! 偶然だ、今のはただの偶然に決まってる!」
桐生豪の顔が、屈辱と焦燥で歪んだ。
彼の右腕を覆う『アーク・ガントレット』が、供給路を突かれたことで不安定に火花を散らしている。上位ランカーとしてのプライドが、目の前の光らないゴミに手も足も出なかった事実を拒絶していた。
「取り巻き共! 結界を強めろ! 逃がすなよ!」
桐生が叫ぶと、周囲の二人が展開していた『拘束結界』の出力が上がり、渡り廊下の空間が紫色の電磁光で塗りつぶされる。物理的な重圧が迅の肩にのしかかるが、彼は依然として、柳のようにしなやかな立ち姿を崩さない。
「死ね! 全力出力だ!」
桐生は左手で右腕のガントレットを強引に叩き、安全装置を解除した。
情動チャネルから溢れ出した紅色のフォトンが、彼の背負った深紅のマントを炎のように燃え上がらせる。もはやそれは格闘戦の域を超えた、小規模な爆発を拳に纏わせるに等しい暴挙だった。
「『爆炎・震天衝』!!」
回避不能。結界によって逃げ場を封じられた迅に対し、桐生は自らの全支持率を注ぎ込んだ最大の一撃を放った。空気が熱で歪み、渡り廊下の床が衝撃波でひび割れる。
だが。
迅は、ただ一度、静かに息を吐いた。
「……目を閉じろ、蓮」
その言葉が終わるか終わらないかの刹那。
迅の体が、まるで陽炎のように揺れた。
抜刀術の極意。それは、鞘から放たれる刃の速さだけではない。
鞘そのものをバラストとして利用し、全身のバネと体重移動を一点に集約させる、物理学の極致。
――刹那の一閃。
キィィィィィィィン!!
鼓膜を突き刺すような、高周波の金属音が響き渡った。
何が起きたのか、目撃できた者は一人もいなかった。
桐生の放った爆炎の拳が、迅の顔面に届くよりも早く。
迅の『黒鉄』は、鞘に収まったまま、桐生の肘、肩、そしてデバイスの基部という三つの急所を、瞬き一つの間に叩き抜いていたのだ。
「……が、はっ!?」
桐生の動きが止まった。
炎が消える。フォトンの残光が、霧散していく。
彼が纏っていた最新鋭の『アーク・シェル』が、ガラスが砕けるような音を立てて剥離し、宙に散った。
「ば、馬鹿な……。俺のシェルを、ただの棒で……物理攻撃だけで、中和しただと……!?」
「シェルは万能じゃない。フォトンの周波数に合わせて『振動』を与えれば、脆くも崩れる。お前の剣技には、その隙を埋める『地力』が足りないんだよ」
迅は、既に桐生の背後に立っていた。
いつの間にか鞘から数センチだけ覗いていた『黒鉄』の鈍色の刀身が、カチリ、と音を立てて鞘に収まる。
桐生は膝から崩れ落ちた。
物理的なダメージ以上に、自らが絶対の信頼を置いていた星導テクノロジーが、前時代の遺物であるはずの「抜刀」に完敗したという事実が、彼の精神をへし折っていた。
「ひ、ひぃぃ……っ!」
取り巻きの二人が、結界を維持することも忘れて尻餅をつく。
彼らの目に映るのは、夕闇の中でチャコールグレーのマントを翻す、漆黒の死神のような迅の姿だった。
「……もう一度言うぞ。そこを退け。これ以上、俺の時間を奪うな」
迅の声には、怒りすらこもっていない。
それが、彼らには何よりも恐ろしかった。
その時、渡り廊下の隅に設置された監視カメラのランプが、妖しく赤く点滅していた。
この一連の出来事を、ある「視線」が確実に見届けていたのだ。
渡り廊下には、不気味なほどの静寂が降りていた。
膝をつき、肩で荒い息をつく桐生豪。彼が誇っていた上位ランカーの威厳は、剥がれ落ちたアーク・シェルの破片と共に、無残に床に散らばっている。
「……信じられねえ」
結界から解放された九条蓮が、呆然と呟きながら歩み寄ってきた。彼は迅の隣に並び、床に転がった最新鋭ガントレットの残骸と、迅の腰にある古びた『黒鉄』を交互に見つめる。
「おい、迅……。お前、今何をした? 桐生の出力は確かにBランク以上だったはずだ。それを、フォトンも使わずに『鞘』だけで弾き飛ばすなんて、物理法則が仕事してねえぞ」
「物理法則に従ったから、勝てたんだよ」
迅は無造作にマントの埃を払い、歩き出す。
「奴の攻撃は速かったが、軸がブレていた。光の出力に体が振り回されてる証拠だ。そこを少し突いて、重心をずらしてやっただけだ」
「『だけ』で済む話かよ……」
蓮は苦笑しながら、手元のタブレットを操作した。情報屋としての直感が、この場の空気が一変したことを告げている。
「だが、マズいことになったぞ。今の騒ぎ、隠しカメラに撮られてた。ほら、見ろよ」
蓮が示した画面には、学園内の匿名掲示板と動画配信サイトが映し出されていた。
そこには、先ほどの「一瞬」の映像が、驚異的な速度で拡散されていた。
『【速報】外格の編入生、上位ランカーの桐生を一撃で粉砕』
『アーク・シェルなしで物理中和? バグだろこれ』
『フォトン未検出なのに、動きが速すぎる。天霧家の秘奥か?』
コメント欄は、困惑と興奮で埋め尽くされている。
しかし、特筆すべきは別の場所にあった。
「……見てくれ。支持率の項目だ」
蓮が指差す先、迅の個人ページ。
相変わらず、公式の支持率は『0%』のままだ。システムは「フォトンを用いた戦闘」以外を評価の対象外としている。
だが、その下にある「チップ」と「注目度」の非公式カウンターだけが、バグのように激しく明滅し、見たこともない桁数で跳ね上がっていた。
「公式が『無』と断じても、見てる奴らの『本能』は誤魔化せない。みんな、この泥臭い、理不尽なまでの『強さ』に惹かれ始めてるんだ」
迅はその画面を一瞥するだけで、興味なさそうに視線を外した。
「……勝手に言わせておけ。俺はただ、やるべきことをやるだけだ」
「やるべきこと、か。……なら、これにも備えておけよ」
蓮が指差した先――渡り廊下の突き当たり、夕闇の向こうから、一人の少女が歩いてくる。
規律局の腕章。氷の粒子を纏ったマント。
鳳凰寺氷華だ。
彼女は倒れ伏す桐生たちには目もくれず、迅の前で足を止めた。
その瞳の中には、怒りよりも深い、困惑の炎が揺らめている。
「……実力の検分は、既に終わったはずよ。なぜ、また騒ぎを起こしたの」
「俺はただ、道を空けろと言っただけだ。それを聞かなかったのは、そっちの部下だろう」
二人の間に、冷たい火花が散る。
氷華の胸元のデバイスは、かつてないほど高い音でアラートを鳴らしている。
「拒絶」ではない。「警告」でもない。
それは、あまりにも強すぎる感情の流入に、システムが悲鳴を上げている音だった。
「……貴方のその戦い方は、学園の、そして今の世界の秩序を壊すわ。フォトンを持たず、美しくもない、ただの暴力。そんなものが認められるはずがない」
「美しさを競いに来たんじゃないと言っただろ。俺は、勝つためにここにいる」
迅は氷華の横を通り抜ける。
その際、彼が纏うチャコールグレーのマントの裾が、氷華の純白の軍服を微かに掠めた。
氷華はその場に立ち尽くし、自分の胸を強く抑えた。
システムの数値は、彼を「無」だと言う。
秩序は、彼を「不適格」だと言う。
――だが、今、私の指先に残ったこの熱は、一体何なの?
「……天霧迅。貴方を、このまま放っておくわけにはいかないわ」
銀髪の少女の呟きは、夜の風に溶けて消えた。
学園の「バグ」は、もはや無視できないほど大きく、そして深く、既存の序列に食い込み始めていた。
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