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無銘の神童と有銘の乙女~無能と呼ばれる俺を、最強の少女たちが独占したがる理由~  作者: まめだいふく
第2章:摩耶島合同合宿・三強激突編

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第28話:【過去編】銀色の脱走、血塗られた背信


 廃都を脱出した二人が辿り着いたのは、かつて旧時代の地下鉄駅だった場所だった。


 地上では軍の監視ドローンが絶え間なくサーチライトを走らせているが、地下の奥深く、フォトンの粒子さえ届かないこの暗闇だけが、今の二人にとって唯一の安息の地だった。


「……迅様、怪我を見せてください。背中、さっき撃たれたところが……」


 氷華が震える指先で、迅の破れた軍服に触れようとする。


 だが、迅はその手を冷たく振り払った。


「触るな。……傷口にフォトンを近づけるな。拒絶反応が起きる」


 迅の声は、地下駅の静寂に不気味なほど低く響いた。


 彼の背中からは、血液と共に、黒く濁った煙のようなフォトンが立ち上っている。それは通常の「光」ではなく、過負荷によって変質したエネルギーの残滓だった。


 迅は、壁に背を預けて力なく座り込むと、懐から煤けた『星辰(せいしん)双剣(そうけん)大綬章(だいじゅしょう)』を取り出し、それをじっと見つめた。


「迅様……どうして、そんなことになったんですか? 迅様は、世界を救う英雄だったはずなのに……。どうして、自分たちの軍に撃たれなきゃいけないんですか……っ」


 氷華が泣きながら問いかける。


 迅は、重い瞼をゆっくりと開け、暗闇の先を見据えた。


「……英雄など、ただの『商品』だ。……お前は軍の地下施設で、何を見ていた?」

「え……? 私は、ただ、怪我をした人たちを助けようと、看護のボランティアとして……」

「違う。お前が入れられていたのは、ボランティアの宿舎じゃない。……あれは、『培養槽』だ」


 迅の言葉に、氷華の肩が大きく跳ねた。


 脳裏に、白い部屋で繰り返された、記憶の曖昧な注射や検査の記憶が蘇る。


「お前は、鳳凰寺家という名家に生まれながら、あまりにも高いフォトン適格を持って生まれた。……軍は、俺という『現行の部品』が壊れた時のために、お前を予備のパーツとして、あそこで『調整』していたんだ」



 氷華の視界が、ぐにゃりと歪む。


 自分が迅に会いたくて、彼を追いかけて戦場に来たと思っていたその意志さえも、軍によって誘導された「予定調和」だったのかもしれない。


「俺は、それを知った。……俺の命を削って生み出す光が、お前を殺すためのエネルギーに変換される。そんなふざけたシステム、俺は認めない」


 迅が、自身の左手首を強く握りしめる。


 ミシミシと、骨が軋む音が聞こえた。彼の腕は、先ほどの突破戦での過負荷により、すでに内部から崩壊を始めていた。


「俺が軍を裏切ったのは、世界が嫌いになったからじゃない。……ただ、お前を『資源』になんて、させたくなかっただけだ」

「――っ、迅様!!」



 氷華は、たまらず迅の胸に飛び込んだ。


 彼が世界中から追われる身になった理由。英雄という地位も、未来も、すべてを投げ出した理由。


 それは、ただ自分一人の命を守るためだった。


 残酷なまでの献身。


 その事実を知った瞬間、氷華の心の中にあった「迅様への愛」は、純粋な憧れを通り越し、一生解けることのない呪縛――「共依存の愛」へと変質した。


「迅様……私は、迅様がいれば、何もいりません。家族も、名前も、未来も……全部捨てます。だから、私を置いていかないで……!」


 氷華は、迅の煤けた勲章を握るその手に、自分の手を重ねた。



 だが、その時。


 地下駅の入り口から、無数の軍用ブーツの足音が響いてきた。



『座標確定。裏切り者・天霧迅、および重要検体・鳳凰寺氷華を捕捉。これより強制確保に移行する。……抵抗する場合は、検体の生存を問わず「抹消」せよ』



 冷酷な命令と共に、暗闇の向こう側から、無数のレーザーサイトの紅い光が、二人を射抜いた。


「……しつこい奴らだ」


 迅は、氷華を自分の背後に庇うと、粉砕寸前の左腕を無理やり持ち上げた。


 その手には、白銀の刀『アロンダイト零式』ではない。


 瓦礫の中に転がっていた、ただの「重厚な鉄の棒」――後の『黒鉄』の原型となる、名もなき廃材を掴んでいた。


「耳を塞げ」


 迅の瞳から、最後の「光」が消える。


 それは、神童が初めて「武術」という名の、純粋な暴力を解き放とうとする予兆だった。




 地下駅のホームに、重苦しい金属音が反響する。


 踏み込んできたのは、軍の特殊鎮圧部隊――『執行者』。


 全身をフォトン強化外骨格で固めた、感情を排した殺戮のスペシャリストたちだ。


「……天霧迅。お前の『星導』はすでに凍結されている。抵抗は無意味だ」


 部隊長の声。その言葉通り、迅が手にしていた白銀の刀『アロンダイト零式』は、軍の遠隔操作によってその輝きを失い、ただの重い鉄屑へと変じている。


 星導術師にとって、フォトンの供給を断たれることは、手足をもがれるに等しい。だが、迅の瞳に宿る光は、むしろそれによって増幅されていた。


「……凍結、か。確かに俺のフォトン波形は、もう死んでいるも同然だな」


 迅は、足元に転がっていた一本の無骨な「鉄の棒」を拾い上げた。


 それはかつて、天霧家が星導術という技術が生まれる遥か昔、ただ「武」のみで戦場を駆けていた時代に使われていた、重厚な鍛造鉄の芯棒。


「迅様、そんな棒じゃ……っ、早く逃げてください!」


 背後で叫ぶ氷華。だが、迅は退かなかった。


 彼はゆっくりと腰を落とし、左手でその鉄の棒を、右手で動かなくなったアロンダイトを構えた。



「……鳳凰寺。俺の家の『天霧流』には、こんな古い教えがある」


 迅の周囲の大気が、震え始めた。


 フォトンではない。彼自身の肉体が、精神が、大気を直接揺らしているのだ。


「――光に頼る者は、光に裏切られる。だが、己の骨身に刻んだ理だけは、死ぬまで俺を裏切らない」

「突撃!!」


 部隊長の号令と共に、十数人の『執行者』が一斉に踏み込んできた。


 フォトンのブーストによる超高速の突進。一瞬で肉を削ぎ、骨を砕く光の剣が、迅の全方位から迫る。



 だが。


 迅の姿が、かき消えた。


「――!? どこだ、見失うな!」


 直後、地下駅に「メキリ」という、硬いものがひしゃげる音が響いた。


 迅はフォトンの加速を使わず、ただ純粋な「歩法」と「身のこなし」だけで、敵の死角へと滑り込んでいた。


 彼が振るった鉄の棒が、先頭の兵士の強化外骨格を、装甲ごと粉砕していた。



「ガ、ぁ……っ!?」


 衝撃波が兵士の肉体を突き抜け、背後の壁まで叩きつける。


 フォトンの防御壁を、ただの「質量」と「速度」が突き破ったのだ。


「な、なんだ、あの動きは……! 術式反応がないぞ!?」

「天霧流・撥・金剛」



 迅の動きは、もはや洗練された演武のようだった。


 敵が放つフォトンの斬撃を、手にした鉄の棒で「受け流し」、その重厚な一撃を相手の急所へと「叩き込む」。


 最新兵器に身を包んだエリートたちが、旧時代の鉄の棒一本を振り回す少年に、次々と地面へと転がされていく。


 だが、その代償はあまりにも重かった。


「……ぐ、ぅ……っ!!」


 迅の左手首が、不自然な方向に曲がった。


 フォトンの保護なしに、物理的な質量を極限まで加速させ、敵の衝撃をすべて肉体で受け流し続ける。それは、人間の筋繊維や骨格が耐えられる限界を、とうに超えていた。


「迅様! もうやめて! 腕が、腕が壊れちゃう!!」


 氷華の悲鳴が地下駅に響く。


 迅の左手首からは、骨が軋む音と共に、ドロリとした鮮血が溢れ出し、手に持った鉄の棒を赤く染めていく。


 後に静が驚愕することになる「粉砕された手首」。その傷は、この時、たった一人の少女を守り抜くために、迅が自らの肉体を犠牲にして刻んだものだった。


「……関係、ない。……俺の腕の一本や二本……お前が部品にされることに比べれば……安いものだ」


 迅は、感覚の消えかかった左手で、鉄の棒をさらに強く握りしめた。



 血まみれの少年と、泣き叫ぶ少女。


 その光景は、英雄の凱旋とは程遠い、あまりにも惨めで、しかし、世界で最も「純粋な執着」に満ちていた。



 だが、軍の物量は止まらない。


 倒しても、倒しても、暗闇の奥から新しい『執行者』が現れる。


 迅の意識が、熱を帯びた疲労の中に溶け始めようとした。


「氷華……絶対に、離れるな……」


 迅は、迫りくる次の一隊を睨みつけながら、最後の力を振り絞って鉄の棒を振り上げた。



 地下駅のホームを、凄まじい轟音が揺らす。


 天井から崩落した瓦礫が土煙を上げ、視界を遮る中、迅は返り血に染まったまま立ち続けていた。足元には、もはや物言わぬ鉄屑と化した軍の精鋭たちが折り重なっている。


「……ハァ、ハァ……ッ……」


 迅の左腕は、もはや感覚がなかった。


 砕けた骨の破片が肉を突き破り、滴る鮮血が「鉄の棒」を伝って床に小さな水溜まりを作っている。その凄惨な姿に、軍の増援部隊も一瞬だけ足を止めて戦慄した。


「……迅様、もういい……もう十分です……! 私、迅様と一緒に死ねるなら……っ」


 背後から氷華が、迅の腰にしがみつく。彼女の涙が、迅の汚れた軍服を濡らした。


 その温もりに、迅の心が激しく揺れる。だが、彼は知っていた。このまま二人でいれば、軍は必ず彼女を捕らえ、その人格を抹消して「部品」に変えるだろう。


 彼女を「鳳凰寺」という光の当たる世界へ帰すためには、自分がここで「死神」になり、彼女の心から自分を消すしかない。



 迅は、自身の胸元で鈍く光る『星辰(せいしん)双剣(せいけん)大綬章(だいじゅしょう)』を、震える右手で強く握りしめた。これだけは、地獄に堕ちる自分の道標として、決して手放すわけにはいかない。



「……鳳凰寺。いい加減にしろ」


 迅は、冷酷なまでに静かな声で言った。


「え……?」

「お前を助けたのは、ただの気まぐれだ。軍への反逆に、ちょうどいい『理由』が欲しかっただけだ。……お前という弱者に縋り付かれるのは、今の俺には虫唾が走る」

「……っ、嘘……そんなの嘘です! 迅様は、私を……!」

「嘘だと思うなら、俺の目を見ろ」



 迅は氷華を振り返り、その視線を真っ向から射抜いた。


 優しさの欠片もない、突き放すような冷たい眼差し。粉砕された手首から流れる血さえも、まるで彼女を拒絶する境界線のようだった。



「俺は、お前という『足手まとい』から解放されて、自由に戦いたいだけだ。お前を鳳凰寺に帰せば、俺の役目は終わりだ。……二度と、俺の前には現れるな。その顔を見るだけで、俺が失った『神童』の地位を思い出して反吐が出る」



 それは、迅が人生で初めて吐いた、最も残酷な嘘だった。


 氷華の瞳から、光が失われていく。自分を救ってくれた神様が、自分を「地位を奪った元凶」として軽蔑している。その絶望が、彼女の純粋な愛を、底暗い執着へと変質させた。


「……わかりました。迅様が、そう仰るなら……」


 氷華はよろよろと立ち上がり、暗い通路の奥へと走り出した。


 彼女の手には、迅から渡されたものは何もない。ただ、自分を切り捨てた迅の冷たい言葉だけが、呪いのように胸に刻まれていた。



「――ターゲット逃走! 追え!!」


 部隊長が叫ぶ。だが、迅はその前に立ち塞がり、血に染まった鉄の棒を横一文字に構えた。


 左腕の骨が完全に「粉砕」されるバキリという音がしたが、迅はむしろ、その痛みを噛み締めて笑った。



「……ここから先は、一歩も通さないと言ったはずだ」

 


 地下駅全体を飲み込むような大爆発。


 迅は、崩れ落ちる天井の瓦礫を背に、一人で軍勢を食い止める。

 

 胸元の勲章を強く握りしめながら、彼は心の中でだけ、去り行く少女に告げた。



 ――これでいい、氷華。俺を憎んで、お前は光の中を歩け。

 

 

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