第20話:勝者、そして嵐の招待状
予選全試合終了後、御剣学園の表彰台は、かつてない異様な熱気に包まれていた。
中央に立つのは、一切のアークシェルを纏わず、ただ一本の黒刀を携えたままの迅だ。その左右を、もはや勝利の喜びというよりは「獲物を仕留めた充足感」に満ちた表情の氷華と恋火が、これでもかとばかりに密着して固めている。
「……離れろと言っている。いい加減にしろ」
「嫌ですわ。迅様は今、激戦で心身共に疲弊していらっしゃる。規律局長として、その体温を一定に保つ義務があります」
「アタシだって疲れてんのよ! 迅の体温で癒やされる権利があるわ。ほら、迅、もっとこっちに……っ!」
氷華は凛とした姿勢を崩さぬまま迅の左腕を胸に抱き込み、恋火は右腕に絡みついてその肩に頭を預けている。世界中に配信されている公式映像は、もはや武闘大会の表彰式ではなく、一人の王と二人の愛妾による「勝利のパレード」と化していた。
その時、ハイヒールの乾いた音が表彰台に響いた。
「――最高のショーだったわ、迅くん。そして規律局長に不知火さん」
現れたのは、運営理事長の千早だ。
彼女は手にした黒い封筒を弄びながら、迅を見つめる。その瞳の奥には、愛欲とも、実験動物を見る好奇心ともつかない、昏い悦びが渦巻いていた。
「貴方たちが稼ぎ出した『支持率』は、学園史上最高値を更新したわ。……そのご褒美として、特別なステージを用意したの」
千早は、迅の胸元にその封筒をスッと差し入れた。指先がわざとらしく迅の胸板をなぞり、氷華と恋火の視線が殺意で鋭くなる。
「……なんだ、これは」
「三校合同、特別強化合宿への招待状よ。我が御剣、そして八坂。さらに科学の粋を集めた八咫。各校のトップランカーだけが集まる、秘匿された聖域……。そこで、貴方たちにはさらに『共鳴』を深めてもらいたいわ」
千早はそう言い残し、耳元で「二人だけじゃ……足りないでしょ?」と、毒のように甘い声を囁いて去っていった。
合宿。
それは、閉鎖された空間で、逃げ場のない関係を強制される「檻」に他ならない。
「合宿……。つまり、迅様と朝から晩まで、同じ屋根の下で過ごすということ……!?」
「え、ええっ!? そんなの、アタシの心臓が持たないわよ……!」
二人の少女がそれぞれの妄想で赤面する中、迅は観客席の隅に、白緑色のサイドポニーが揺れるのを見た。
表彰式の喧騒が遠のき、御剣学園の広大な敷地は深い夜の帳に包まれていた。
予選を突破した猛者たちに与えられる専用の特別宿舎。そこは最新のセキュリティと贅を尽くした内装を誇るが、今の迅にとっては、熱狂から逃れるための束の間の「檻」でしかなかった。
迅は、月明かりだけが差し込む静かな私室で、千早から渡された黒い封筒を見つめていた。
『三校合同特別強化合宿』。
その文字の裏側に透けて見えるのは、さらなる支持率の搾取と、少女たちの愛憎を煽って楽しもうとする千早の歪んだ愉悦だ。
「……くだらないな」
迅が封筒を机に放り出した、その瞬間だった。
一切の予兆なく、部屋の空気がわずかに爆ぜた。
物理的な侵入ではない。電子錠をクラッキングされた形跡すらなく、あたかも空間の構成データが書き換えられたかのように、窓際の闇から「それ」は現れた。
「――あはは。セキュリティ、ザルだね。これじゃ僕の『解析』を妨げる壁にはならないよ」
そこにいたのは、八咫工科の特別専攻生、静だった。
白緑色のサイドポニーが、窓から差し込む冷たい月光を反射して、まるでミント色の火花のように揺れている。彼女は音もなく着地すると、まるで自分の部屋であるかのように迅の私物――棚に置かれた手入れ用の砥石や、予備の着替えなどに指を這わせた。
「……勝手に入り込むなと言ったはずだ。死にたいのか、お前は」
迅の声音には、容赦のない殺気が混じっていた。
だが、静は怯えるどころか、その殺気すらも「未知のデータ」として楽しむように目を細める。
「怖いなぁ。でも、死ぬ前に君のことをもっと知っておかないと。……予選決勝のあの『二極螺旋』、あれは凄かったよ。恋火の朱雀と氷華のヴァルキリー。相反するフォトンを、君はただの『刀』で、物理的な圧縮力だけで押さえ込んだ。……理論上はね、君の手首の骨が粉砕されてなきゃおかしいんだ」
静は一歩、また一歩と迅に近づいてくる。
彼女の腰のベルトで明滅するデバイスが、迅の生体情報をリアルタイムでスキャンしているのか、青い光が部屋を不気味に照らし出す。
「君の細胞、君の筋肉、君の……魂。……それ、全部僕に預けてよ。……あんな、感情を爆発させるだけの脳筋(恋火)や、潔癖症の規律人形(氷華)じゃ、君の真の価値を引き出せない」
静の手が、迅の胸元に伸びる。
その指先は、科学者の探究心を超えた、熱を帯びた女の独占欲を孕んでいた。彼女にとって、迅はもはや解明すべき数式ではなく、自分の頭脳という完璧な領域に閉じ込めておきたい愛おしいバグへと変貌していた。
「合宿……楽しみだね。……そこは僕たち八咫が、電子的な監視網を敷いた聖域だ。……二人の邪魔が入らない『密室』、僕がいくらでも作ってあげる。……君の肌の温度が、何度まで上がったら壊れるのか……僕が、誰よりも正確に記録してあげるから」
静は、迅の耳元でそう囁くと、サイドポニーを一振りして背を向けた。
「……ああ、それと。……君に触れたあの二人には、ちょっとした『計算間違い』をプレゼントしておいたよ。……今頃、部屋で暴れてるんじゃないかな?」
静がパチンと指を鳴らすと、彼女の姿は再び光の粒子となって霧散した。
その直後。
廊下の向こうから、「キャーッ! なによこれ、お風呂から出られないじゃないっ!」という恋火の叫び声と、「……不潔です! 誰ですか、私のクローゼットの中身をすべて不知火のポスターに差し替えたのはっ!!」という氷華の悲鳴が響き渡った。
迅は、夜の静寂を切り裂く少女たちの騒動を聞きながら、深く溜息をついた。
合宿の舞台は、もはや三人の少女たちが理性という名のリミッターを完全に外した、文字通りの略奪戦場になることを予感させられた。
静が仕掛けた悪戯という名の宣戦布告によって、特別宿舎の夜は阿鼻叫喚の地獄絵図と化していた。
恋火は浴室の電子ロックがハッキングされ、全裸のまま一時間も閉じ込められた挙句、ようやく脱出した先で氷華と鉢合わせ、お互いの「迅様への不純な動機」をなすりつけ合って夜通し口論を繰り広げたらしい。
そして翌朝。
学園のメインポートに用意された特注の浮遊リムジンの前には、寝不足で目の下に微かな隈を作りつつも、迅を巡る闘争心だけは一切衰えていない二人の姿があった。
「……迅様、おはようございます。昨晩は規律を乱す不届きな『バグ』のせいで、お見苦しいところを……。ですが、合宿では私が24時間体制で貴方の身辺を清掃し、害虫を一匹たりとも寄せ付けません」
氷華は、徹夜で迅の合宿用荷物を消毒し尽くしたのか、その手元には規律局の紋章が入った重厚なトランクが握られている。その銀髪は朝露に濡れて美しく輝いているが、瞳の奥に宿る独占欲の炎は、絶対零度の冷気すら蒸発させるほどに熱い。
「ちょっと、アタシを害虫扱いしないでよ! 迅、昨日のあのお姫様抱っこ……アタシ、一晩中思い出して眠れなかったんだからね!? 合宿ではもっと、その……特別な特訓、してくれるんでしょ?」
恋火は顔を真っ赤にしながらも、迅の右腕を強引に抱え込んだ。その豊満な胸が迅の二の腕に押し付けられるが、彼女はそれを隠そうともしない。むしろ、隣で殺気を放つ氷華への見せつけであるかのようだった。
「……行くぞ。騒ぐなら置いていく」
迅が冷淡に言い放ち、リムジンに乗り込む。
車内は、三人が座るにはあまりに広く、そして密室感の強い贅沢な造りだった。迅が中央のシートに腰を下ろすと、案の定、左右の座席は瞬時に埋まった。
「こちらが私の指定席です」
「アタシ様がこっちに決まってんでしょ!」
二人の少女の体温が、迅の左右から伝わってくる。
リムジンが静かに浮上し、学園の喧騒を離れて一路、特別合宿地である孤島『神州・摩耶島』へと向かう。
その車内の大型モニターに、突然ノイズが走り、千早の艶やかな姿が映し出された。
『――あら、皆さん揃ったようね。予選突破、本当におめでとう。……今から向かう「摩耶島」は、三校の星導技術を統合した、世界で最も過激な訓練施設よ』
千早はグラスを傾け、画面越しに迅を愛おしげに見つめる。
『今回の合宿のルールはただ一つ。……「常に、支持率を稼ぎ続けること」。島内のあらゆる場所に配置されたドローンが、貴方たちの生活を24時間監視し、世界中にライブ配信するわ。……食事、睡眠、そしてお風呂。……貴方たちがどれだけ「密接」に共鳴できているか、その愛の深さがそのまま訓練予算になるの』
「……なんですって!? 24時間監視ですって!?」
「……お風呂まで、ライブ配信……? ということは、迅様と私の清らかな入浴シーンが、世界中に……っ!?」
恋火と氷華が絶叫する中、千早は不敵な笑みを浮かべて言葉を続けた。
『ちなみに。合宿地では、八咫の代表者である「静」くんも合流するわ。……彼女はすでに島で、迅くんとの「相性」をシミュレートしながら待っているそうよ。……三つ巴の愛の乱舞、楽しみにしているわね?』
モニターが消え、リムジンの窓の外には、雲を突き抜けてそびえ立つ摩耶島の巨大な訓練塔が見えてきた。
迅は、左右で今にも取っ組み合いを始めそうな二人の気配を感じながら、自身の腰に帯びた『黒鉄』の柄に手を置いた。
科学による解析を掲げる、静。
純潔と独占を誓う、氷華。
情熱と本能を燃やす、恋火。
三方向からの愛憎という名の重圧。
支持率という名の鎖。
だが、迅は分かっていた。
この歪んだ合宿の果てに待っているのは、甘い生活などではない。
自分を、そして彼女たちを「システム」から奪い去るための、より苛烈な戦いであることを。
「……支持率など、俺の剣で叩き切ってやる」
迅の独り言は、少女たちの喧騒に消えていった。
リムジンが島に着陸し、ハッチが開く。
そこには、白緑色のサイドポニーを潮風に揺らし、不敵な笑みを浮かべて待つ静の姿があった。
「――お帰り、迅くん。……僕と君の『特異点』、ここから始めようか」




