完璧な大和撫子(自称)は、見栄っ張り
突然短いコメディ書きたくなったので。
申しわけないが見合いをしてほしい、と父に頭を下げられて頼まれたその瞬間、私は静かに微笑んだ。
背筋をピンと伸ばし、決して動じず。
完璧な大和撫子は、このような場で声を荒げたりしない。
――その代わり、心の中で全力で泣く。
子供がスーパーのお菓子売り場でジタバタと駄々をこねるように、私の心の中は号泣だ。
絶対嫌だ、お見合いも結婚も。
でもこれはこちらからは断れない話なのも分かっていた。
何せ、我が家は格式こそ高く歴史も古いが、とにかく金がない。
先代、つまり私のおじいさまに当たる人がとんでもない放蕩者だったせいだ。
おばあさまはとても苦労していて、嫁入りの時に持っていらしていたものをほとんど売ったそうだ。
そうして、子供であるお父様と、お父様と双子である叔母の二人を育て上げたと聞いている。
ちなみに先祖代々の土地などは先代の放蕩のせいでほぼなくなり、残されたのはこの家屋敷くらいだ。
そんな我が家の戦犯であるおじいさまは、私が生まれたばかりの頃、あっさり交通事故で亡くなったそうだ。
そこからお父様は残された家族を守るため、僅かに残っていた人脈をフルに使い、小さな事業を立ち上げた。
子供のころ、お父様はほとんど家にいなくて寂しかったけれど、その分、お母さまとおばあ様が私を大事にしてくれたし、めったに帰ってこなくても、お父様も私を大事にしてくれていた。
ていうか、お母さま、よくこんな全てが火の車の家に嫁入りしたな、と思って聞いたことがあったが、おばあ様がお茶を教えていた教室に通った縁でお父様と知り合い、お母さまがお父様に一目ぼれしたらしい。
まあ、うちのお父様、顔はめちゃくちゃよくて、50代の今では、とんでもないイケオジである。
いつだったか、男性モデルとして、イケオジご用達の雑誌の表紙を飾ったこともある。
あの時はお母さまが本屋で買えるだけ雑誌を買い占めて、その手伝いをさせられたっけ……。
その遺伝子のおかげで、私も外見だけはとんでもない花丸なわけだが。
立てば芍薬、座れば牡丹、歩く姿は百合の花、は私のことである。
お父様の事業もそれなりにうまくはいっていたが、何せ、クソ爺の残した借金が重しになっていた。これをどうにかしたい、と考えていた両親のところに飛び込んできたのがお見合い話だった。
お相手は、私でも名前を知っている大きな企業の重役の方の息子さんらしい。
写真だけは見せられたが、うん、ボンボンだな、という印象。
できれば向こうから断ってもらいたい。それなら角が立たない。
だからまずお見合いだけは腹をくくって、渋々出かけた。
私は両親と祖母にそれは大切に育てられた。
お茶、お花、家事。
どれも完璧だ。
……うん、教わってきた年月だけは。
控えめに、奥ゆかしく、そして誰よりも隙のない令嬢として振る舞えば、きっと向こうが遠慮するはずだ。そう思っていた。
「家事など、嗜む程度でございます」
嘘である。
嗜むどころか、包丁を持てば指の数が減る。減りかけたことはもう数えきれない。
だが私の言葉に、お見合いの場で、お相手の青年は深く頷いた。
「……素晴らしい。実に、奥ゆかしい方だ」
——この時点で、私はまだ気づいていなかった。
自らの見栄が、取り返しのつかない好感度を叩き出していることに。
「家事の手際は、皆様に褒められるようなものでは……」
そう口にした瞬間、控えめに視線を伏せる。
完璧だ。我ながら完璧な所作である。
お相手の青年は、しばし考え込むように黙り――やがて、感嘆したように息を吐いた。
「……実に慎み深い。何事も誇らぬ、その姿勢が素晴らしい」
誇っている。
心の中では盛大に誇っている。
だが、表に出すのはあくまで遠慮がちに。
「恐れ入ります。至らぬ点も多うございますので」
これも嘘である。
至らぬ点しかない。
隣に座っているお母さまの頬がプルプルと震えているのが見えた。
そりゃ、誰よりも知ってるもんね……。
だが私の過剰な謙遜が、どうやら彼の琴線をぶち抜いたらしい。
「いやいや、そのように仰るところが、また……」
青年は、まるで珍しい工芸品でも眺めるような目で私を見た。
まずい。これはまずい。
さらに追撃が来る。
「最近は、自己主張の強い女性の方が多くて。あなたのような、古き良き大和撫子は、実に貴重だ」
古き良き、とは何だ。
私は今まさに、見栄という名の化粧を厚塗りしている最中なのだが。
だが彼は、うんうんと一人で納得している。
――違う。
包丁を持てば指が危ないし、洗濯物は縮む。
なのに。
「ええ、まあ……お恥ずかしながら」
口から出たのは、肯定にも否定にも聞こえる曖昧な相槌だった。
「つーかーれーたー!」
徹底的に「大和撫子」を演じるのほんと疲れるんだってば……。
「ちょっとせめて着替えなさいよ」
呆れた声が”鏡”から聞こえて、ベッドに寝転がったまま、そちらに視線を向けると、大きな古い姿見の鏡の中から”私”が呆れ顔でこちらを見ていた。
あー、我ながらほんと綺麗な顔してるわ……。
「もうめんどい。今日はこのまま寝たい……」
「バカじゃないの。ってバカだったわ、あなたは。メイク落とさないと、明日の朝には顔にヒビ入ってるわよ」
「そこまで厚塗りしてないもん」
これが、家族も知らない私の秘密だ。
子供のころ、蔵にあったこの大きな姿見の鏡が気に入ってえっちらおっちら部屋に運んできた後で、おばあさまにおねだりして私のものにした。
そしてある日、鏡の仲から”私”に話しかけられたのだ。
最初は幽霊か何かかと思ったが、”私”は鏡の向こうの世界で、全く同じ人生を生きているもう一人の”私”だった。
ただ、私と違うのは向こうの”私”は、見栄を張らなくても「大和撫子」なことだった。
お茶もお花も家事も完ぺきにこなす。それが見栄でないことは、鏡越しに”私”の生活を見せてもらって分かった。
私が”私”より秀でているのは、着物の着付けくらいだ。
これだけは見栄でも何でもなく、子供のころから仕込まれたので完璧にできる。
何度か教えてほしいと頼まれたので、鏡の前で教えたのだが、お茶もお花も家事も完ぺきにこなす”私”の手が、着物にだけは不器用極まりない惨事を引き起こす。努力は続けているみたいだが、どうしたらあんなに襟の袷が乱れるのか私には理解できない……。
その翌日。
私は、再びお見合い相手と会うことになった。
理由は簡単だ。
向こうが、やたらと乗り気だったからである。
しかも今回は、二人きりではない。
青年の両親――つまり、未来の義理の両親候補まで同席するという。
どうしてこうなった。
「昨日は、息子が大変失礼を……」
そう言って深々と一歩下がった位置から頭を下げたのは、柔らかな物腰のご婦人だった。母よりは少し年上かな……。
上品な笑み、完璧な所作。爪の先まで”品”が満ちている。
あ、これ、私が一番苦手なタイプの“本物”だ。
「いえ、とんでもございません」
条件反射で、背筋が伸びる。
「息子が申しておりました。あなたは実に控えめで、己を誇らず、それでいて芯のある方だと」
……誰の話?
青年の父親――重役オーラ全開の男性が、静かに頷く。
「最近は、自己主張の強さを“自立”と履き違える者も多い。だが、あなたは違う」
違うらしい。
「家庭を守る覚悟が、所作の一つ一つに滲んでいる」
滲んでない。
緊張で指先が震えているだけだ。
だが、ここで否定するのはまずい。
私は昨日学習した。
謙遜は、彼らの中で“美徳ポイント”に変換される。
今はそのポイントを重ねるしかない場面なのだ。
私の長年の見栄という仮面が更に分厚くなる。
「……身に余るお言葉です」
視線を伏せ、声を一段落とし、背を丸めるようにお辞儀をする。
すると。
「ほら、あの間だ」
父親が小さく息を吐いた。
「作為がない。計算ではない。生まれ持った品格だ。さすが名家の令嬢だな」
計算の塊です。
私の脳内では、見栄と言う電卓がフル稼働している。
母親らしきご婦人が、嬉しそうに手を打った。
「まあ……ぜひ一度、御得意なお料理などご相伴させていただきたいですわ」
――終わった。
私の中で、何かが確実に終わった。
包丁を持てば指が減る。
出汁は市販。
煮物は煮崩れる。
うつ向いたままの私を見て肯定ととったのか、向こうのお母さまが息をついて褒めてくる。
「まあ、控えめ。料理を誇らないところまで完璧だなんて」
誇れないだけです。
「最近は、SNSで料理を自慢なさる方も多いでしょう?」
多いですね。
私は載せたら炎上します。いろんな意味で。
青年が、満足そうに微笑んだ。
「お母さま、彼女は“できて当たり前”だと思っているだけですよ」
思ってない。
一度も思ったことがない。
だが向こうのご両親は、深く、深く頷いた。
「素晴らしい……」
「理想的ね……」
その瞬間。
――ああ、これ。
私は悟った。
私が何を言っても、何を言わなくても、評価が上がるフェーズに入っている。
見栄と言う名の私の自尊心はこうしてハードルを上げるのだ。
分かってた、分かってたからお見合いを断りたかったのだ。
帰宅後。
「だから言ったでしょ」
鏡の中の“私”が、腕を組んでいた。
「謙遜はね、相手の理想を映す鏡になるの」
「そんな高尚な話じゃないから!」
「あなた、否定しないもの。否定しない=肯定、と受け取られるのよ」
私はベッドに突っ伏した。
「ねえ……これ、どこまで行くと思う?」
「さあ。少なくとも――」
鏡の“私”は、少し楽しそうに笑った。
「向こうから破談になる可能性は、もうほぼゼロね」
私は、声にならない悲鳴を上げた。
こうして。
見栄と誤解と理想像が積み重なった結果、私は今日もまた、“完璧な大和撫子”として評価を更新し続けている。
なお、包丁は相変わらず危険物指定である。
「一品でいいのよ」
鏡の中の“私”は、やけに真剣な顔をしていた。
「……一品?」
「そう。全部できる必要はない。一品だけ、完璧に作れるようになりなさい。あなたは自分の見栄を崩せないし、崩したくないんでしょ?ならその見栄を貫くしかないのよ」
私はベッドに座ったまま、胡乱な目を”私”に向ける。
「いやいや、そもそも料理全般が――」
「黙りなさい」
ぴしゃり。
……鏡越しでも声の圧が強い。
「見合い相手も、ご両親も、“家庭的な象徴”としての一品を求めているだけよ。毎日の献立表じゃない」
「象徴って……」
「つまり、あなたに必要なのは完璧な一皿」
なんか納得しかけている自分が怖い。
「で、何を作るのが正解なの?」
「だし巻き卵」
「……は?」
即答だった。
「包丁を使わない」
「うん」
「火加減と出汁で“奥ゆかしさ”が演出できる」
「うん……?」
「失敗しても、最悪スクランブルエッグか卵焼きにはなる」
最後の一言が、やけに現実的だった。
「しかも」
鏡の“私”は指を立てた。
「だし巻き卵は和食・家庭的・朝食・優しさ・母性。全部詰め込める完璧な一品よ」
強い。
だし巻き卵、全方位に属性が強すぎる。
「……でも、私、確実に焦がすけど?」
「だから、スパルタで叩き込むわ」
その日から。
私の地獄は、始まった。
部屋に持ち込んだカセットコンロを置いたテーブルの上には卵が大量にある。
まずは出汁取りを徹底的に仕込まれた。
市販の出汁でいいのでは?と言っても「このひと手間が大事なのよ」と譲らないので、まずはひたすら出汁を作る練習。
昆布は水で、鰹節は煮立たせない。沸騰直前に火を止める。
昆布はまだいい。水に浸しておくだけだから。鰹節は、油断するとすぐ煮立ってしまうので、最後にはストップウォッチを使うことにした。
鰹節が鍋に沈むのを待って、布巾で濾しておく。
卵4個を割りほぐしてザルで濾しておく。
卵の殻が入らないように割れるようになるまで何パック使ったかは考えたくない。
うちの食費の1割以上は使ってるはずだ。
出汁。
薄口しょうゆ。
みりん。
これらを混ぜ合わせて卵液を作る。
――ここまでは何とかできた。
「火が強すぎる」
「今弱すぎ。基本は中火って言ってるでしょ!」
「卵液を入れる“間”が違う。卵は手前に向かって巻くの。奥に向かって巻いちゃだめよ」
「巻く手首が雑」
「雑」
「雑」
「雑しか言ってないじゃん!」
鏡の“私”は、ため息をつきながらこちらの私の所作の一つ一つにダメ出しをする。
「大和撫子は、雑に巻かない。雑に巻かれた卵が嘆いてるわ」
「卵に人格与えないで!」
卵焼き用のフライパンの中で、無残に崩れる卵。
焦げ。
破れ。
謎のスクランブルエッグ化。
何度も、何度も。
腕がだるい。
部屋が出汁臭い。
卵の匂いがトラウマになりかける。
「もう無理……」
「泣く暇があるなら巻きなさい」
「鬼か!」
「”私”よ。”私”が鬼ならあなたもそうよ」
「すみませんでした……」
三日目。
五日目。
七日目。
ある瞬間、ふっと、手応えが変わった。
卵液が、するりと広がる。
泡立たない。
焦げない。
箸が、迷わない。
くるり。
――巻けた。
綺麗な層。
ふっくらとした厚み。
出汁の香りが、ちゃんと立っている。
私は、フライパンを見つめたまま、呆然とした。
「……できた?」
鏡の“私”が、初めて小さく微笑んだ。
「ええ」
「完璧?」
「完璧。食べてみなさい」
その言葉に、膝から力が抜け、味見をすると、実においしかった。
なんだ、私、美味しいもの作れるじゃん……。
翌週。
お相手の家での“家庭料理お披露目”の日。
きれいなキッチンの使い方に戸惑ったけれど「だし巻き卵を作ります」という一言で皆様が笑顔になったので、”私”のチョイスは間違っていなかったらしい。
私が作っただし巻き卵を、着いてきた私のお母さまがきれいに切り分けてくれた。
切り分けるのに包丁使いたくない…!!と泣きついた私のためにお母さまが助手、ということで来てくれたのだ。
――計画通りだ。
箸で持ち上げた瞬間。
「まあ……」
ご婦人が、目を見開いた。
「この層……」
「出汁の香り……」
「朝に、こんなものが出てきたら……」
青年は、しみじみと呟いた。
「……心が救われますね」
救ってない。
救われてるのは、私の指だ。
だが、その日以降。
私の料理スキルは、先方にこう評価されるようになった。
――「だし巻き卵が絶品の大和撫子」と。
私の評価がさらに上がり、もうどうあっても逃げられないところまで来ていた。
その日から。
私は、だし巻き卵を作るたびに思い出すようになった。
――あの人が、箸を止めて言った言葉を。
「……心が救われますね」
冗談でも、お世辞でもなく。
ただ静かに、噛み締めるように言った、あの声。
不思議と、悪い気はしなかった。
見栄で塗り固めた私を見ているはずなのに、その奥にある“何か”まで、見られた気がして。
……いや、気のせいだ。
多分、出汁の力だ。
そんなことをベッドの上でうんうんと考えていた矢先。
「ところで――」
と、鏡の中の“私”が、何でもない調子で口を開いた。
「先方から、次のお誘いが来てるらしいわよ」
「何でそんなこと知ってんの?」
「あのね、そちらの世界とこちらは同じ流れなの。私にも来たのよ、彼とのお見合い話」
「はぁ!?」
「私は完璧にこなしたわよ、お見合い。正直、かなり私も彼からの好感度は高いわね」
……何それ。
「だし巻き卵も作ったけど、すごく気に入ってもらえたわ」
「……」
「そうしたら、次のお正月にはぜひご一緒に、ですって。だからあなたのところにも同じお誘いが来るはずだわ」
「……また来るの?」
「来るわね。しかも今回は」
嫌な予感しかしない。
「お正月料理をお願いしたい、ですって」
「え、無理」
だし巻き卵は、包丁を使わない。
だし巻き卵は、安全だ。
だし巻き卵は、私の聖域だ。
――だが。
お正月料理なんて作るどころか食べたことしかない。
「おせち料理を何品か作るわよ」
「……はい?」
鏡の“私”は、にっこりと微笑んだ。
「包丁、使うわよ」
「いや、だから無理。お正月は私、インフルエンザにかかる予定」
「さて、お互い教え合わないとね」
「何を!?」
「だから、あなたは私に着物の着付けを、私はあなたにおせち料理を。家で作って持っていけばいいんだから、向こうで作るよりハードル低いでしょ?」
おせち料理ってあれよね、お重に入ってるきらびやかなやつ。
「むりむりむり!あんなの私には無理!」
「できる様に仕込んであげるわよ。だって」
鏡の中の“私”は、少しだけ、からかうような目をした。
「あなた、次の約束の話を聞いたとき、ちょっとだけ――嬉しそうだったもの」
……そんなわけない。
見栄だ。
きっと見栄だ。見栄に全振りで生きて来た私の心はそんな柔くない。
なのに。
あの人がまた、だし巻き卵を食べる顔を思い出してしまった時点で、もう否定できなかった。
こうして私は今日もまた、見栄と誤解と少しの本音を抱えながら、“完璧な大和撫子”を更新し続けている。
”私”に着物の着付けのスパルタ教育をしながら、”私”におせち料理を習う日々が始まった。
なお、包丁は――まもなく、解禁予定である。
終
良ければ、ヒロインの作るお節料理の候補をください。




