決して愛の告白をしてはいけない部屋で
ある日突然、二人の若い男女は閉じ込められた。
壁も、床も、天井も、見渡す限り真っ白な部屋に。
窓もない。あちこち叩いても固い音が響くばかり。
戸惑う二人の間に、どこからか、ひらりとメッセージが舞い降りた。
『この部屋で、決して愛の告白をしてはいけない。先にした方が負け。永遠に戻れなくなる』
部屋と同じ、真っ白な紙に綴られた無機質な文字。
男女は一層戸惑い、揺れる視線を交わしては首を振った。
この男女は元々、正式な書類を交わした婚約者同士である。
愛がどうのこうのよりも家の為。高位貴族とあれば、それが当たり前の世界で。
代々騎士団長を務めており、武勲を立て侯爵位を賜った家の長男と、王族の血を引く由緒正しい侯爵家の長女。
年頃の二人が結ばれるのは極めて自然だった。
本人達の意思を除いては────
────と引っ張りたいところだが、あまり時間がないので、さっさと明かしてしまおう。
そう、この二人、よくある単純な両片想いである。
男は強面な上に生まれながらの口下手タイプ。
女は感情を表に出さぬよう厳しく躾けられたタイプ。
初対面から惹かれ合い、あれこれ悶えては眠れないほど惚れ抜いているのに、いざ会うとお互い地蔵のようにスンッと固まってしまう。
そんな残念な二人を真っ白な部屋に閉じ込め、黒いメッセージを落としたらどうなるか。
私は試してみることにしたのだ。
「……とりあえず座りませんか?」
「そう……ですね」
男が慣れない手付きで広げたハンカチの上に、女は
会釈しながら上品に腰を下ろす。男もその隣に、遠慮がちに胡座をかく。
しばらくすると、二人は同時に口を開いた。
「一体ここは」
「ここは一体」
『どこなんでしょう?』
タイミングが重なり口をつぐむ二人の代わりに、後に続いたであろう言葉を呟いてみる。
本当に……正反対のくせに似た者同士なんだからと、勝手にニマニマしてしまう。
男の手の中で、カサリと音を立てるメッセージ。
二人はそれをもう一度覗き込んだ。
「『永遠に戻れなくなる』トハ……ドウイウコトデショウネ」
可笑しいくらい棒読みな男の問いに、女も淡々と返す。
「元の場所に戻れなくなる、つまりはこの部屋から出られなくなるということでしょうか。……それは困りますね」
見事に『愛の告白』をスルーする二人に、私は違う違う! と苦笑する。
わざわざこんな部屋を用意したというのに、あえて遠回りする二人が愛おしい。
見守るしか出来ない私。長い沈黙が続いた後で、女の方がやっと口火を切ってくれた。
「どちらかが『愛の告白』……とやらをすれば、どちらかは部屋から出られるのでしょうか」
そうっ! それ!
私は前のめりになる。
「エエト……『愛の告白』……トハ?」
そんなの決まってるでしょ!!
相変わらずぎこちない男の問いに、思わず叫んでしまう。
『愛してる』とか『愛している』とか……う~ん、『好きだ』じゃちょっと弱いかな。とにかく愛する人の胸を撃ち抜くような、熱烈な言葉よ!
「そうですね……たとえば私が観たお芝居を参考にしますと、『愛してる』とか『愛している』ですとか……」
私の気持ちを代弁してくれる女にホッとする。
男はふんふんと真剣に頷くと、女に向かってこう言った。
「ならば……非常に不本意でしょうが、私が『愛してる』と言います。そうすれば、貴女一人でここを出られますから」
「そんな……! 何故そのようなことを!」
顔色を青くする女に、男はキッパリと言い放つ。
「どのみち私はいつ命を失うかもしれぬ身である故、一生貴女を守り抜ける男性と結ばれ、幸せになって欲しいのです」
女は真っ青な顔を激しく振り、ゴツゴツした手を震える両手で包み込む。
「お国に命を捧げる騎士様と婚約したのですもの、そんな覚悟などとうに出来ておりますわ。いずれ騎士団長となるべく尊い貴方様を失うなど……不本意でしょうが、私に『愛している』と言わせてください」
今度は男の顔が、赤から青へと忙しなく変わる。
「騎士の代わりはいるが、貴女の代わりはいない」
「いいえ、私などいなくても構いませんが、貴方は我が国の宝です」
「何を言う! 貴女はれっきとした王家の血を引くご令嬢で……」
そんな押し問答が繰り返された。
興奮を抑えるハーブティーも、新鮮な空気を送る扇もない、閉ざされたシンプルな空間で。
そのうち二人から、紳士と淑女の仮面が剥がれていく。
「……貴女がこれほど分からず屋だとは思わなかったよ。淑女たるもの、夫となる男性には素直に従うべきじゃないのか?」
「貴方こそ。随分頑固でいらっしゃるのね。たかが婚約者の為に、騎士としての誇りを捨てるなんてどうかしているわ」
想像以上の険悪なムードにハラハラする。
二人とも永遠にこの部屋を出られないのではないか……案じたその時、男は華奢な手をガシッと包み直した。
「騎士としての誇り? ……はっ! そんなもの、貴女がいなければ屑同然だ!」
「屑……」
無防備に瞠られる女の瞳に、男は想いを一気に注ぎ込む。
「ああ。俺は貴女が思っている以上に、情けない男なんだよ。貴女を守れないなら、国も王宮も滅びたって構わないとすら思っている。……騎士の誓いを立てたくせにな」
女は驚きながらもただただ受け止め、やがてこくりと呑み込んだ。
「……私も、貴方が思っているような淑女などではありません。本当は、本当は愛の告白なんかせずに、貴方と二人、永遠にここに閉じ込められていたいと願っているのですから」
白い床がぐにゃりと歪み、女の爪先を押し上げる。
バランスを崩し、胸板に飛び込んできた女を、男は逞しい腕でしっかりと抱き止めた。
「……『愛してる』なんて、なんだか薄っぺらく感じるんだよ、エリノア。もっと、何かもっといい言葉はないだろうか」
「私も……私もそれをずっと考えていました。この気持ちは、そんな言葉ではとても言い表せなくて……ねえ、どうしましょう、グレイアム様」
四方から白い壁が押し寄せる。
抱き合う二人をぐいぐいと圧迫し、僅かな隙間さえ熱に埋めていく。
もうこれ以上は……
女の背中に、男の胸に、言葉にならない熱い息が吐き出される。
白い天井が無理矢理歪む前に、二人は唇を寄せ、自然に『愛』を交わしていた。
◇
「……さん、お薬入れますね」
すうっと痛みが遠退き、晴れやかになる視界。
あの部屋よりも真っ白な病院のベッドで、私は今、奇跡を見届けている。
“ 両片想いの婚約者が散々すれ違った挙げ句、やっと結婚して想いが通じたというのに、僅か一ヶ月後に夫が戦死する ”
今時珍しいバッドエンドでヒットした私の小説。
あのラストでよかったのだと思う一方で、幸せにしてあげられなかった二人に対し、罪悪感を抱いていた。
さあ、同時に愛の告白をした二人は、どうなったのだろう……
重たい瞼を閉じて、軽やかに続きを描く。
◇
長い唇を離した時には、いつの間にかあの部屋は消えていた。
夢のように不思議な出来事。
だが、交わした愛は消えることなく、グレイアムとエリノアを確かに包んでいた。
白い礼服とドレスを纏った二人は、白い神殿で愛を誓い、メッセージ通り永遠に戻れなくなった。
設定より一年早く結ばれ、忽ち第一子を授かった夫婦。
出産予定日よりひと月も早く妻が産気づいた為に、夫の出征が半日遅れる。
────たったそれだけで守られた二人の幸せに、私はニマニマと微笑んでいた。
ありがとうございました。