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小人の肩に乗って  作者: 入江晶
2.記憶の兆し
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2-1.病室の母

 母さんが家に帰ってくることになり、病院に迎えに行った。

 てっきり弟が生まれるから入院しているのだと思っていた僕は、病院に向かう父さんの車の中で、きっとまた生まれる頃にもう一度入院するのだろうなと考えていた。そうであれば、母さんがまだ全然お腹が膨らんで見えないうちに入院したということも、説明がつくわけだ。もっとも、落ち込んでいるのが隠しきれていない父さんの様子、表情の理由までは説明できないのだけれど。

 病室で久しぶりに会った母さんは、いくらか痩せたような気がした。表情は父さんのように暗く、そんな様子を隠そうとしているみたいではあったけれど、少なくとも僕には、それが全くうまくいっていないように思えた。

 二人きりにさせられたけれど、何を話せばいいのか分からなかった。とりあえず、学校に出した作文で賞をもらったという、用意しておいた話題を始めた。パソコンで清書してタブレットに入れるというところまで自分でやったというおまけをつけて、それを見せながら。本当は書いた内容について自分で詳しく話すつもりだったけれど、どうにもわざとらしいというか馬鹿馬鹿しく思えて、賞をもらったとだけ言ってタブレットを渡してから、何も言えなくなってしまった。

 僕が書いたのは、要するに自分が生きているのは、たくさんの人や機械の、目に見えたり見えなかったりする働きとか、金属やら燃料やら食べ物とかのたくさんの物(作文の中では、『資源』という真面目くさった言葉を使った)、そして物とも言えないような電気とかの働きの流れに支えられているということで、僕はそんな自分を、そういうたくさんのものが流れ込んでくる、砂時計のようなものだと表現した。そしてその砂は、今では地球のあちこちから、様々な道筋を通って僕にまで届いているのだと。正直言って僕の言いたいことはここで終わったのだけれど、僕は良い子ぶって、そうやって支えてくれる全ての存在への感謝と、そういうことに報いる行動への決意を最後に書き加えた。自分でも苦笑いをしてしまいながら。それが画竜点睛なのか蛇足なのかは分からないけれど、たぶん後者なのだろう。でもどうやら、おかげで賞がもらえたらしい。やたらとその部分について褒められたから。

 読み終えた母さんも、その作文について僕を褒めた。しかし、具体的にどこが良いということについて言われたのが最後の部分だけだったからか、あまり嬉しく感じられなかった。どこかからまるごと持ってきたようなそんな言葉についてばかり褒められることに、僕は内心うんざりしていた。

 僕は、自分が砂時計のような存在(実際には砂時計の砂は通り過ぎるだけなのだから、このたとえはあまり正しくないのだけれど)だと気づいたとき、大発見をしたと思った。自分はここにしかいないけれど、実は世界中に、そして過去の時間に対しても糸が張り巡らされた蜘蛛の巣の中心のような存在なのだということが、はっきりと、頭の中にイメージとして現れ、経験したことがないほど興奮した。世界の秘密を解き明かしたんだと思った。だから、ちょうどこの考えを書くのにおあつらえ向きなテーマだと気づいて、初めてやる気を出して、楽しいと感じながら、作文を書いた。しかし、褒められたのは僕の発見そのものではないところばかりだったわけだ。

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