その優しさに愛情を①
「ゴメン、今日も行けそうにないんだ・・・。」
この台詞を聞くのは今月に入ってこれで5回目。
落胆を顔に出さないように、ティナは優しく微笑んだ。
「うぅん、気にしないで。お仕事、がんばってね。」
「うん、ゴメン・・・。」
恋人の力無い笑顔が悲しい。
ティナは胸が締め付けられる思いがした。
ティナの恋人・ソラムは、弦楽器工房を営む父の後を継ぐために、王都の有名工房で修行の日々を送っている。
まだ見習いの彼の仕事は雑用ばかり。しかし朝から晩まで多忙を極め、滅多に無い休日さえ工房の都合で取消になる。
今日も一緒に夕食を取る約束だった。
それで勝手口まで迎えに来たのだ。一人暮らしをしているティナの部屋で、手料理を振る舞うつもりだった。
なのに・・・。
(こんな事が多すぎるわ。
先月もほとんどお休みがなかったのに・・・。)
これでは身体を壊してしまう。
恋人の身を按じるティナが、そう思った時だった。
「おい下っ端!
研磨室の掃除は済んだんだろうな!?」
偉そうな声が聞こえてきた。
ソラムが慌てて振り返る。悪意がこもった冷たい怒声に、ティナも思わず身を竦めた。
開きっぱなしになっている勝手口から、意地悪そうな大男が睨んいる。
ドゥリーという名の技師だそうだ。
とても優れた弦楽器職人で、この工房の親方に特別目を掛けられているらしい。
しかし・・・。
「仕事も出来ないくせに女と逢引きか?
いいご身分だな!」
「す、すみません!」
「言われた事はすぐにやっとけ!
木材切出し場の片付けも済んでないんだろう?!」
「はい! すぐに!」
「あと、マカラ社の弦線100箱ちゃんと発注したんだろうな?!
届いたら倉庫へ入れておけ!今夜中にだぞ、いいな!? 」
「はい、ドゥリーさん!
・・・ごめんティナ、また今度!」
大慌てで勝手口へと駆け込むソラムを、ティナは悲しい思いで見送った。
「・・・ふん!」
そんなティナを睨み付け、ドゥリーも工房の中へと消えた。
バタン!と大きな音を立てて、後ろ手に扉を閉めながら。
ますます悲しい思いになった。
ティナは小さく吐息を付いた。
---×××---(´・ω・`)---×××---
夕暮れの王都城下街。
王城へと続く大通りは、まだまだ多くの人で賑わっていた。
野菜や果物を売る屋台では、残り物を少しでも売ろうと声を張り上げ客引きする。
串刺しの肉やソーセージを売る屋台も負けていない。美味しそうな匂いを辺りに振りまき、仕事帰りで家路に急ぐ人達の足を止めている。
活気ある賑やかな通りをティナは1人、歩き回った。
ふと立ち止まり、空を見上げる。
西日を浴びた王城が朱に輝いて美しい。
ティナは工房での出来事を思い、何度目かの吐息を付いた。
(大魔女のお姉様に相談する? でも・・・。)
王城の方へ足を向けては、躊躇いがちに踵を返す。そんな事を繰り返しながら、もう随分歩き回っている。
途方に暮れて佇むティナは、突然誰かに捕まえられた!
「よぅ! 街中で会うなんて奇遇だな♪」
「きゃぁ!・・・え?あ、お義兄様!」
陽気な義兄・オスカーが、ティナの肩を抱くようにして明るく笑い掛けてきた。
---〇〇〇---〇〇〇---〇〇○---
オスカーは精悍な見た目に似合わず、甘い物が好きだった。
屋台で糖蜜パイを奢ってもらい、通りの片隅で一緒に食べる。義兄の優しさに気が緩み、気付けば心の悩みを全部話してしまっていた。
「なるほど、下っ端いびりだな。
職人は上下関係が厳しいからなぁ。どこの工房でも多少はあるモンなんだが・・・。」
「はい。ソラムもそう言ってます。
心配ないって言ってくれるんですけど・・・。」
ティナは食べかけの糖蜜パイに目線を落とした。
「ごめんなさい、お忙しいのにこんな話をしてしまって。
今日はどうされたんですか? 城下街でお会いするなんて珍しいですね。」
「 ロイド の店を訪ねたんだ。
生憎留守で、義姉さんまでいなかったけどね。」
オスカーが義姉と呼ぶのはもちろん、長姉の元魔女。
その夫・ロイドは城下街で小間物屋を営む、とても善良な青年だった。
「お留守?
ロイド義兄様がお店を空けるなんて珍しいですね。」
「うん。店番していたご隠居さんも首を傾げてたよ。
どこほっつき歩いてるかわからないそうだ。
珍しいな。フラフラ遊び回るような人じゃないんだが。」
糖蜜パイの最後の一口を口に放り込み、オスカーがニッコリ微笑んだ。
「それはともかく、ソラムの事だな。
明日にでもその工房に行ってみよう。
状況をよく確かめて来る。その方がミシュリーが口を出すより、ずっと穏便だろうからな。」
「あ、有難うございます、お義兄様!」
ティナは心から安心した。
大魔女ミシュリーは敬愛している姉である。
ティナはもちろんソラムの事も、とても可愛がってくれている。
しかし彼女は困った事に、お節介焼きで少々過激。
だから相談に行くのを躊躇っていたのだ。
もし彼女がソラムの苦境を知ってしまえば、いったいどうなってしまうだろう・・・?
「その工房、
魔法で ぶ っ 潰 し ち ま う かもしれないな。」
「止めてください、怖いです!!!」
ティナは身を震わせた。
「冗談冗談♪ とにかく俺に任せとけ。
できればソラムともちょっと話をしてみて・・・。ん???」
突然、オスカーが目を剥いた。
「あれ? ロイドじゃないか!」
義兄の目線をティナも追う。
通りを行き交う人々の中に、眼鏡を掛けた温厚そうな青年の姿が見て取れた。
くたびれた上着を羽織った男と一緒だった。なにやら熱心に話し合っているが、声は遠くて聞こえない。
「まぁ本当、 ロイド義兄様だわ!
誰とお話してるんでしょうか? 見た事ない人ですけど・・・。!? 」
答えを求めて見上げた義兄の強ばった表情に息を飲む。
眉を潜めるオスカーが、小さな声でささやいた。
「アイツは確か・・。
王都の裏通りを縄張りにしてる一味のお頭だ!
窃盗だの詐欺だの 陳腐な犯罪 やらかす小悪党さ。」
思いがけない義兄の言葉にゾッとした。
「な、なんでそんな人と?!」
「まぁ、ロイドはちょいと人が良過ぎるからな。
おっとりしてるって言うか、呑気って言うか・・・。」
オスカーにとってロイドは義兄。総勢11人居る義兄弟の中で、一番上の存在である。
そんな彼に敬意を表し、その人柄を表す言葉は気を遣って慎重に選ぶが、要するにどこか抜けてるのだ。
その辺を小悪党に付け入られたのなら、放っておくなどとてもできない。「陳腐な犯罪」に巻き込まれたら、とんでもなく大変だ!
「よし、後を付けてみよう。
ティナ、送ってやれなくて悪いんだが気を付けて帰れよ?」
言うが早いか、オスカーが人混み目がけて走り出す。
「待ってください! 私も行きます!!!」
もう糖蜜パイを味わっている場合じゃない。
ティナも慌てて走り出した。
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王都の裏通りは大通り沿いに幾つかある。
治安はそんなに悪くない。通りの数だけ下町があり、義理堅く陽気な人々がのんびり楽しく暮らしている。
しかし、この裏通りだけは別だった。
王都中心部に近いこの通りは、そびえ立つ王城に陽の光を遮られて晴れた昼間でも薄暗い。ほとんどの住民がより良い場所に引っ越したというのに、「陳腐な犯罪」をやらかす一味はそこに居座り続けていた。
「警察も手を焼いてる連中だよ。」
オスカーが眉を潜めてささやいた。
「何度とっ捕まえてもまたこの通りに帰って来るそうだ。
カタギになる気はないらしい。」
「なんでそんな人達とロイド義兄様が?」
「さぁ? 後で本人に聞くしかないな。」
ロイドを追って来たオスカーとティナは、不思議そうに首を傾げた。
建屋の角に身を潜め、こっそり様子を覗き見る。
うらぶれた酒場の勝手口はちょっとした袋小路になっている。そこに集まる如何わしい若者達の中に、ロイドの姿が確認できた。
くたびれた上着の男もいる。耳を澄ますと彼らの会話が聞こえてきた。
「それで、ブツは?
ちゃんと数だけ集まったんだろうな?」
「へい、ここに。
でも兄貴、数だけはどうにもなりやせんでした。」
「王都中走り回ってかき集めたんですが、どこも品薄で・・・。」
「オイラもダメだ、これっぽっちっきゃ手に入りやせんでした。」
若者達が上着の男に 何か を差し出している。
残念ながらティナ達がいる場所からは、それが 何か は見えなかった。
「そうか・・・。
ロイド、すまねぇ。これじゃ半分にも満たねぇな。」
「謝らないでくれ、無理を頼んだのは僕なんだから。」
「大丈夫かい?
アンタがコレを集めてる理由がバレたら とんでもない事 になるんだぜ?
まさか 命に関わる 事ぁないだろうが・・・。」
「そうだな。きっと た だ で は す ま な い 。
何とかうまくやってみるよ。
ありがとう、君達には本当に感謝してる。」
「ロイド・・・。」
「・・・。」
この会話だけでも相当危険。
ティナはオスカーと青ざめた顔を見合わせた。
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王都に夜の帳が降りてきた。
大通りでは行き交う人も減ってきた。一つ、また一つと店の明かりが消えて行く通りを、大事そうに何かを抱えたロイドが小走りに駆けていく。
「今度はどこへ行くんでしょうか?」
「さぁ? 全く見当も付かない。」
後を追うティナとオスカーは、義兄の不可解な行動にすっかり困惑していた。
戸惑いながらも付いていく内に、ロイドが大通りを抜け側道に入る。
(えっ? ここは・・・。)
ティナは思わずたちどまった。
とてもよく知る道だった。さっきもここを通ったばかり。これはどういう事だろう?
「なんだ?
ソラムがいる工房へ向かってるじゃないか?!」
オスカーも驚き足を止める。
ロイドが弦楽器工房裏の勝手口に辿り付いた時だった。
「何をやってるんだお前は!このウスノロめ!!!」
荒々しい怒声が聞こえてきた。
弦楽器技師・ドゥリーの声だ。