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今日は金曜日。和葉はデスクでうーんと背伸びをする。
このデータは今日中に終わらせそうだな。ちょっと定時過ぎちゃうけど、今夜は鍋にしようっていう話だし。準備もぱぱっとできるしね。
叔母家族が住んでいただけあって、キッチン用品は揃っている。戸棚の下を開けたら、土鍋が出てきたのだ。これはもう、鍋しかないでしょう、ということになった。
今日は寒いからなー、なに鍋がいいかな。水炊き、豆乳、ピリ辛系、そういえばトマトソースもアリだって聞いたことがあるな。シメに米とチーズを入れるとトマトチーズリゾットになるらしい。
和葉が今晩の鍋に思いを馳せていると、
「ね、和葉。今夜飲みに行かない?久しぶりに。」
と同期のゆうちゃんが声をかけてきた。
「ごめん、予定があって。」
土鍋が私を呼んでいるんです。
「デート?」
ゆうちゃんがにししと笑う。
「いや、そういうわけじゃないんだけど。最近一緒にごはんを食べる人がいるんだよね。」
いいね、いいね、と言いながらゆうちゃんがうんうん頷く。
「食べ物の好みが合うのは大事だよね。元彼は激辛料理が好きでしょっちゅう喧嘩したなあ。」
ゆうちゃんは遠い目をして言う。
食べ物の好みか。たしかに好み合うかも。これ食べましょうって言うとほとんど同意してくれるし。甘いものを一緒に食べられないのは残念だけど。そうだ、チョコ…どうしようかな。一応バレンタインだからなにか渡そうかな。でも甘いもの以外だと…煎餅とか?
和葉がぐるぐると考えていると、
「好みが合うってことは、舌の感覚が一緒ってことだからね。むふふ。」
ゆうちゃんはにやにやしながら和葉を肘で突く。
「ちょっと!そんなんじゃないってば!」
和葉は赤くなりながらゆうちゃんを叩く。
たまに一緒にごはん作ったりとかするだけだし、という和葉の呟きに、
「なにその新婚プレイ。」
とゆうちゃんは白けた目で和葉を見た。
その日は記念すべき今冬初鍋ということで、土鍋に敬意を示して水炊きとなった。シメは雑炊です。
「佐々本さん、そのへんの野菜エリア、もう火が通ってますよ。」
「っあ、はい、そうですね。あっつ!」
和葉と佐々本は鍋を囲んでいる。鍋はすでに3回目だ。
佐々本さん、心ここに在らずって感じだな。仕事忙しいのかな。
佐々本は鍋を凝視したと思ったら、ネギをきっと睨んで、鶏団子を見てへにょっと眉毛を下げている。
最近は、同じ時間くらいに帰宅して、和葉の家で料理をして食べ、9時前には解散、というのが二人の習慣になりつつある。
くーちゃんもときどき現れる。最近のお気に入りは硬めプリンだ。
週末は手の込んだ料理を一緒に作るのはどうかな。この前テレビで見た美味しいビーフシチューの作り方。じっくり煮込めば夜には肉がとろけているだろうし。
二人でキッチンに並んで料理をしている姿を想像したところで、ゆうちゃんの『なにその新婚プレイ。』という言葉を思い出した。
違う!違うってば。たまたま二人とも料理が好きなだけだし。ただのお隣さんだし。…そういえば呪いの件はいいのだろうか。
和葉は佐々本をちらっと見る。
14日はなにか佐々本さんが好きなものを作ろうかな、や、別にバレンタインだからとかじゃなくて。平日だからそんなにすごいことはできないけど。
『男子ウケ』『バレンタイン』『甘くないもの』で検索したら何か出てくるかな。あとで見てみよう。
和葉が考えていると、佐々本が意を決したように和葉の方を見て、
「清水さん、俺、今週末は実家に帰ります。」
と言った。
「あ、そうなんですね。」
…そっか。一緒にいられないのか。
和葉はぎゅっとしまった胸を無視して
「おうちでゆっくりしてきてください。」
とぎこちなく微笑んだ。
まだちゃんとに話してからそんなに経たないのに、週末も一緒にいられる気になってたなんて馬鹿だなあ。
和葉はさりげなく下を向く。
「それで、来週お話したいことがあります。聞いてくれますか?」
と佐々本は真剣な声で告げた。その声に驚いた和葉は、
「?はい。わかりました。来週ですね。」
と佐々本を見て答えた。
そう言って別れたが、佐々本とは週末を明けても連絡がつかなくなった。