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ふあ、と和葉はあくびをした。
うーん、なんかいい気持ち。いいことがあったような。
「おはよう。」
瑞樹の声がする。
「おはよ…え?」
反射でおはようと返した和葉は、はて?と首をかしげる。
なんで瑞樹の声がするの?
ぎしっとベッドが軋む音がして、和葉はそちらを向いた。瑞樹がベッドの端に座ったようだ。手が和葉の頭のすぐ隣にある。
「??」
「和葉。」
見上げると瑞樹の顔がすぐ近くにあった。
「っ」
「和葉。俺、朝までイイコで待ってたんだけど?」
瑞樹は笑顔だが、目が笑っていない。
っていうか、ギラギラ?
「えっうそ、ごめん!なんだっけ!?」
「和葉が寝ちゃったからホテルに泊まったんだよ。覚えてない?」
覚えて…覚えて…るっ!
「ごっごめん!うそ!私寝ちゃったの!?」
瑞樹に恥ずかしい告白を聞かれて、好きだって言ってもらえて、ほっとして…えっと、チョコを食べたんだっけ?で、寝ちゃったの?朝まで?うそっ
「ごめん!ほんとにごめんね!」
和葉は言いながら起きあがろうとするが、瑞樹の顔がどいてくれない。
ちょっちょっと!近いんだけど!
「どういう状況か分かってる?」
瑞樹が和葉の髪を撫でながら優しく聞いた。
「分かってる!分かってるからちょっとどいて!」
そのまま寝ちゃったってことは、メイクも、服も、そのままってことでしょ!?歯磨きしてないし、ほんと無理!
その様子をじっと見ていた瑞樹だったが、はあーっと大きなため息をついて口元を押さえた。
がーん、呆れられちゃった。え、どうするの。今からカモーン!とか両手を広げるべき!?
和葉がアワアワしていると、瑞樹の顔がもっと近づいてきて、和葉は思わず目をぎゅっと閉じた。
チュッ
おでこにやわらかい感触。大きなリップ音付きだ。
「今夜、ね?」
瑞樹は甘やかに笑った。有無を言わせないオーラが漂っている。
和葉は真っ赤な顔をして固まった。
やっべー、危なかった。
シャワーに駆け込んだ和葉をベッドから見送った瑞樹は、両手で顔を覆ってつぶやいた。
「まじ、危なかった。」
瑞樹は目を瞑りながら言った。
「おう、やばいだろ。和葉は『恍惚の実』食ってんぞ。」
瑞樹ががばっと顔を上げると、ベッドサイドのトレーから高級チョコレートをつまんでいる悪魔がいた。
「おい!勝手に入って来んなよ!」
なにを今さら、という視線を瑞樹に投げた悪魔は、かまわずに2個目の包装を破いた。
「…『恍惚の実』ってなんだ?」
「魔女が媚薬によく使う実だ。」
「え、媚薬…?」
「和葉にはあんまり効いてないみたいだが、あいつもただのニンゲンだからな。」
「っ!」
瑞樹はバスルームに駆け込んだ。
びっくりした。
朝からほんとにびっくりした。
確かに最近少し寝不足ではあったけど、昨日の午後から今朝までぐっすり寝ちゃうってどうなの、どうなのよ、私。
…どうやって私を部屋まで運んだんだろう。寝てる人間って重いって聞くけど。どうしよう、コイツすげー重いなとか思われてたら!!!
やめよう、今考えるとドツボにはまる気がする。早くシャワー浴びて出ないと。会社に間に合わなくなる。
浴室のドアを開けた和葉は、おー!っと声を上げる。さすが高級ホテル。アメニティが充実している。
あっ!これフランス産の有名シャンプー!石鹸もいい匂い!パッケージも可愛い!
あっ!
和葉は上を見上げた。
これ!雨みたいに上から水が降ってくるシャワーじゃない!?わー、初めて使う!
浴室は通常のシャワーヘッドと、頭上に備え付けられたレインシャワーの二つが設置されていた。
ワクワクが抑えられなかった和葉は、服を着たままシャワーのハンドルを捻った。
「わっ普通のシャワーが出ちゃった。これを…きっと切り替えると…」
ノブを引っ張ると、頭上からお湯が降ってきた。
「わわわわ!服が濡れる!」
なんで急いでいる時ってこういうどうでもいいことが気になるんだろ。早く服脱いでシャワー浴びないと。
よし!とシャワーを止めようとしたところ、
「和葉!和葉!大丈夫か!?」
と瑞樹がいきなりドアを開けて入ってきた。
「きゃ!なに!」
びっくりした和葉は一歩下がるが、瑞樹は構わず中に入ってくる。ちょうど頭上のシャワーが瑞樹の肩に当たり、服が濡れていく。
あ…瑞樹、服…
「和葉。大丈夫か?」
両手で和葉の顔を掴むと瑞樹は和葉の目を探った。
「え、なにが?大丈夫だよ。」
「熱は?」
「え、ないと思うけど。」
「体がだるかったりする?」
「ううん、いっぱい寝たからすっきり。」
「その…体の一部に異常は?」
「体の一部?」
「下半身とか?」
「下半身?」
和葉は思わず自分の下半身を見た。
あっ、タイツが濡れてる。…てかここ、てかここ…
「出てってよー!瑞樹のバカー!!!!」
和葉は泣き出しそうになりながら叫んだ。
「ごめん!ごめん!出てくから!」
部屋に戻った和葉はカンカンだった。
瑞樹は大人しくソファーに座っている。おざなりに濡れた服と髪を拭いたが、まだ湿っている。
昨日眠れぬ一夜を過ごしたソファー。ただいま。
「その…」
瑞樹はなんと切り出そうか、とりあえず説明をしなくてはと焦る。
プリプリ怒りながら瑞樹と距離を開けてどんっソファーに座った和葉は、
「私瑞樹とは絶対に一緒にお風呂入らないから。パパとママは時々入ってるけど、ぜぇったいに瑞樹とは入らないから。」
と宣言した。
え…
「絶対に、一生入らないから。」
そんな…
「違うんだ!別に覗きに行ったわけじゃなくて!」
瑞樹は弁明する。いやだ、一緒に風呂は入りたいじゃないか!
しばらくうさんぐさげに瑞樹の話を聞いていた和葉だが、うーん、そういうこともあるかもね、だってあの人悪魔だもんね、違うわ、魔族って言ってたわ、とあっさり納得した。
「え、分かってくれた…?」
「うん、分かった。」
瑞樹に魔力入りのチョコレートを食べさせた身としては、あまり深いところまでつっこまれたくない。
よかった、とほっとした瑞樹は
「今日は会社休んだほうがいい。」
と言った。
会社のやつらが和葉の色香に惑わされたらどうする。
「二日も続けて休めないよ。」
「じゃあ、起きられないようにしてあげようか?」
いつの間にか距離を詰めていた瑞樹が、和葉に覆いかぶさる。
あれ?さっきまで私が怒ってたのに。
形勢逆転を感じた和葉は、大人しく
「イイエ、休みます。」
と言った。
「今日はぜってー定時で上がる!」
和葉をタクシーに押し込んだ瑞樹は、鼻息荒く道を歩く。濡れた服に風がかかって少し肌寒いが、それすらも気にならない。
「お前どこまでヘタレ・イイコちゃんなんだよ。テキトーに理由つけてサボれよ。会社くらい。」
悪魔がぽっと出てきて言った。この先のドーナツ屋さんの朝ドナスペシャルが欲しかったらしい。
「はっ_それもそうだな!悪魔!お前はたまにはいいこと言うな!」
10食分のドーナッツを買わされた瑞樹は、ご機嫌に走っていった。
やれやれ、今日は和葉のところには行かないでやる。デザートだけくすねるか。
悪魔は肩をすくめた。
さ、悪い魔族をシメに行くとするかね。俺の獲物を横取りするなんていい度胸じゃねえか。今夜は荒れるぞ。
悪魔は残虐に笑った。




