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「あー、お前たちにはちゃんとに話したことはなかったかな。ごめん。パパにとっては当たり前過ぎて忘れてた。」
父は頭をかいた。
「私も当たり前だと思ってたけど。でもなんか、男の人ってどれだけ残業したとか、どれだけ働いたとか、自慢しない?」
「まあ、そういう人もいるけど。そうか。パパも和葉が小さい頃は外で働いてたんだよ。覚えてないかな?」
「そういえば、そうだったような?幼稚園くらいのとき?」
「そうだね。僕が朝会社に行こうとすると『パパ行かないで』って泣いたりしてたもんなー。」
父は懐かしそうに目を細めた。
「それは覚えてない。」
「うっ、いいんだ、パパの大切な思い出だから。」
「そうだなー、昔話になっちゃうけど、聞きたい?」
「うん。」
和葉は即答した。
「双葉も。そんなところに隠れてないで出ておいで。ずいぶんと早いシャワーだったね。」
「あははは。いや、朝シャンはしすぎると禿げるらしいから。」
「双葉意味わかんない。」
和葉はそう言いながらも、双葉が座れるようにソファーの端を開けた。
「お前たちのおじいちゃんおばあちゃん、僕の両親だね、僕が若い頃に亡くなったのは知っているだろう?」
父方の祖父母はすでに他界していることは聞いている。
二人はこくっと頷いた。
「僕が高校生の時にね、修学旅行に行っている間に火事でなくなったんだよ。住んでいたマンションが全焼してね。」
「そうだったの?」
二人はびっくりして聞いた。
「そう。幸い妹は、お前たちの叔母さんだね、おじいちゃんおばあちゃんの家に行っていっていなかったんだ。『お兄ちゃんが泊まりに行くなら私も泊まる!』って言ってね。ほんとうによかったよ。妹まで死んじゃったら僕は家族をすべて失うことになっていたから。」
父は遠くを見つめた。
「それからパパと叔母さんはおじいちゃんおばあちゃんの家で育ったんだ。大学生になってから家は離れたけどね。二人はそれからほどなくして天国に行っちゃったんだ。パパはママと出会って、結婚した。だんだん火事のことも思い出すことは少なくなってね。和葉と双葉が生まれた時は本当に嬉しかった。」
父はふうとため息をついた。
「でも、きっかけはなんだったかもう覚えていないんだけど、急に怖くなったんだ。今、パパが家を出て、帰ってくる時に家がなかったら?家が火事になったら?誰かが事故にあっていたら?考え出すとキリがなくて、家を離れるのが怖くて仕方なかったんだ。」
和葉は幼い頃のことをふと思い出した。父が夜帰ってきて、ぎゅっと和葉を抱きしめて離さなかったことがある。和葉はイヤイヤをしたけど、その時はどうしても離してくれなかった。今思えば、あの時パパは震えていた?とにかくパパが怖かったことは印象に残っている。
「最初は隠してたんだけどね。ママにはすぐにバレたよ。で、いろいろ話して、僕が専業主夫になることにしたんだ。ママはバリバリ出世してね。やー、パパが働くよりよっぽど稼げるねって二人で笑ったんだ。」
ふふと父が思い出し笑いをした。
「だからパパは、ここで、家で、お前たちを送り出したい。お嫁に行くこともあるかもしれないけど、もっと先でも全然いい、というか和葉、そのお友達とやらを連れてきなさい。」
「パパ、話逸れてる。」
双葉がツッコむ。
「ごほん。だから、二人がきちんとした、きちんとした人の元に行くまでは、僕は家にいるよ。」
「そしたらパパ、一生専業主夫だよ。私ヨメになんかいかないから。」
双葉が自信満々に宣言する。
「あー…そうだな。それでももちろんいいんだけど、やっぱり安心できる男に任せたいというか。」
「私は一人で食っていけます。」
「でも老後は寂しいぞ。」
「甘い!王子様はいくらでもいる。二次元に。」
「うん、パパはその辺はよく分からないけど。双葉が幸せならいいよ。」
「だからパパは私が一人暮らししたいって言った時も反対したの?マンションだったから?」
「あー…うん、そう。ごめんね。叔母さんにも怒られたんだ。『私たちのトラウマを娘たちにも植え付けるのか』って。『私たちの代で断ち切らないと』って。あと『うちのローン四十年の高級マンションにケチつけるのか』とも言われたな。」
父は苦笑いをする。
叔母さんが家を貸してくれると言った時、パパはすごくナーバスになっていた。マンションの隅から隅まで見て、建築構造がとか、周囲の安全はとか、ハザードマップがあるかとか、ほんとに細かかったのだ。
うざいとか思ってごめんなさい。そういえばパパは青い顔をしてマンションに入っていってた。気づかなくてごめん。
「…ごめんなさい。」
「和葉が謝ることじゃないよ。パパが乗り越えるものだから。」
「パパ、私はずっと家にいるから安心してね!」
双葉が湿った空気を払うように明るく言った。
「双葉のはガチっぽすぎる。」
「ガチだし。」
「嫁き遅れるよ。」
「おねえだって彼氏と喧嘩してるんでしょ。」
うっ、姉妹ならではの容赦ない攻撃!
「仲直り、できるかな。」
「和葉を泣かすような奴には渡せないな。」
「泣いてないし。」
「でも泣きそうでしょう。やっぱり任せられないな。」
父が和葉の顔を心配そうに見た。




